≪3話≫グリム・アベンジャーズ エイジ・オブ・イソップ
マッチの気紛れに救われた人々は、今日まで生き延びたことを神に感謝したでしょう。昨日までの暮らしといったら、耐え難い飢えと寒さ、そして翌朝には凍え死んでいるのではないかという底冷えする死の恐怖に震える日々でした。一方屋敷街の金持ちどもは赤々と暖炉が燃える豪邸で、テーブルからはみ出すほどのご馳走を毎日飽きるほど堪能していたのです。
それも今夜ばかりはあべこべになります。場違いなほど優雅なバイオリンの演奏を聴きながら、人々は欠けたお椀を持ち寄って列を成し、たっぷりの肉と野菜を煮込んだスープで身体を温めました。いつもは味のしない豆だけのスープがご馳走ですが、お椀の底が見えなくなるくらい具沢山のスープを振舞われ、人々は涙を流して喜びました。腹を満たしてワインですっかり上機嫌になると、バイオリンに合わせて踊り出さない者はいませんでした。
その頃豪邸を失った屋敷街の人々は、金の切れ目が縁の切れ目とばかりに懇意にしていた金持ち仲間から見放され、恥も外聞も無く施しを得ようとふらふらと通りをさまよい始めるのでした。自分たちは物乞いを見ても銅貨1枚恵んでやらなかったというのに、浅ましいものです。
貧民街での炊き出しは集まった全員に行き渡り、そろそろホッパーたちも一息ついてスープを食べようとしていました。そこに遠巻きに宴の様子を見ていた1人の男が遠慮がちに近づいてきます。
「すいません、私にも何か食べ物を恵んでもらえないでしょうか」
男はへらへらと愛想笑いを浮かべ、お椀を差し出してきます。その顔を見て、さっきまでご機嫌だったマッチの表情が急に険しくなりました。スープを温めていた焚き火がにわかに激しく燃え盛り、ホッパーとライアーはこの男がマッチを見捨てた父親だと察しました。
マッチは腕を組んで大鍋の前に立ちはだかり、媚びるような父親の目を冷たく睨み返します。父親は目の前の上品な身なりの女性が娘だと気づく様子もなく、ペコペコしながら施しを期待していました。
「失礼ですけど、貴方は他の人たちより顔色がいいようですね。本当に施しが必要なほど飢えているんですか?」
マッチは父親が最下層の人々より少しは恵まれていたことを知っています。馬鹿みたいにマッチを仕入れるお金はあるのですから、施しを受けるほど貧しいわけではありません。それに家はもっと歩いたところにあり、炊き出しの噂を聞いてわざわざやってきたとしか思えませんでした。
懐事情をすべて知られているとは思いもせず、父親は同情を誘うように情けない声を出します。
「それはもう、恥ずかしながらつい先日、売り物のマッチを一人娘にすべて持ち逃げされてしまって、もう食べ物を買うお金も残っていないのです。母親を亡くしてから男手一つで一生懸命育ててきたのに、恩を仇で返す酷い娘だったのです」
「その娘というのは、こんな顔じゃなかった?」
そう言うとマッチは荷物から赤いケープを引っ張り出し、父親の目の前で羽織ってみせました。見覚えのあるケープに気づき、父親は目を丸くします。
「お、お前!?」
「一生懸命育ててきたなんて、よくもそんな嘘が言えたものね。善良な父親が娘をあんな寒い夜に締め出すと思う?」
「それは、その方が同情して買ってもらえると思ったから!」
「マッチなんか一箱も売れやしなかったわ。口減らしに凍え死にさせようとしたんでしょう?少しでも反省していたなら恵んであげようと思ったけど、やっぱりあんたは最低の蛆虫よ」
マッチは父親のお椀を手で払い除けると、荷車に飛び乗って人々に叫びました。
「皆聞いてちょうだい!私はこの男にマッチを売ってくるよう命令されて、寒空の下に締め出されて凍え死にしかけたわ!こんな酷い父親が許されていいの!?」
それまで陽気に歌って踊っていた人々は、おぞましいものを見るような目を向けてマッチの父親を取り囲みました。食事を恵んでくれた女神のように心優しい娘を虐げていたなんて、スープで温まった身体が今度は怒りで熱くなってきます。
「皆、私たちにお礼なんていらないから、その悪魔みたいな男に石を投げて追い払ってちょうだい!」
マッチがリンゴを投げつけると、怒りに駆られた人々も一斉に石を拾ってマッチの父親に投げ始めました。父親は悲鳴を上げて逃げ出しましたが、炊き出しで元気を取り戻した人々に散々に追い回され、何度も石をぶつけられ傷だらけになって逃げ帰りました。
これでマッチの父親は顔と家と下劣な本性を皆に覚えられ、人々から忌み嫌われて惨めに生きていくことでしょう。奴隷のようにこき使っていた娘が大金を掴んで綺麗な服を纏い、目の前にご馳走をぶら下げながら石を投げてきたなんて、身体の傷以上に父親の歪んだ自尊心を八つ裂きにできたはずです。少し遠回りでしたが、これでようやくマッチの復讐は果たされたのでした。
炊き出しが終わって、人々はマッチに言葉に尽くせないほどの感謝の気持ちを示して家に帰っていきました。3人は残ったスープを分け合い、明日からどうするか焚き火を囲んで話し合います。
とりあえず宝石を売った金がまだまだ残っているので、当分暮らしに困ることはなさそうです。全員の復讐を果たしてこれといった目的もありませんが、3人の胸には豪邸を焼き払った時の世の中を引っ繰り返したような興奮が強く刻みつけられていました。
次はどんな大きなことをして人々を驚かせてやろうかと、3人は悪戯を考える子どものように思いつくまま野心を膨らませていきます。酒の勢いもあってか、今の自分たちにできないことはないと本気で信じて疑いませんでした。
「こうなったらどこまでものし上がってやりましょうよ。今日焼き払ってやった豪邸なんか玩具に見えるくらいの立派なお城に住んでやるんだわ」
「ああその意気だ!ちょうど俺もそれを頼もうと思ってたんだ!」
ホッパーでもライアーでもない男の声に、3人はお椀を引っ繰り返して飛び上がりました。いつの間にか輪に加わってスープを啜っていたのは、3人を引き合わせたルンペルスティルツキンでした。
「あんたか、脅かさないでくれよ」
ホッパーがバイオリンを下ろして安堵の息を吐きます。もう少しでRound(弾丸)のラの音で本気の光弾を撃っていたかもしれません。マッチも咄嗟に焚き火の炎を手に纏わせていましたが、脅かされた苛立ちをぶつけるように火の中に投げ返しました。まったく心臓に悪いくらい神出鬼没な男です。
スティルツキンは驚く3人を見て、悪戯が成功した子どものようにニヤニヤ笑いました。
「引っ繰り返すなんてもったいないなあ、こんなに絶品のスープなのに」
「そりゃどうも。それでいきなり何の用だ」
「何の用だって、他に何か言うことがあるんじゃないのか?随分楽しくやってるみたいだが、そいつは誰のおかげだ?」
子どもに言い聞かせるようにスプーンをちょんちょんと突きつけ、スティルツキンが薄ら笑いを浮かべて首を捻ってみせます。もちろん3人とも復讐のチャンスをくれたことに感謝していましたが、もう少し現れ方を考えてくれなければ素直にお礼もできません。
作品名:≪3話≫グリム・アベンジャーズ エイジ・オブ・イソップ 作家名:木吉ケリー