BLUE MOMENT10
「皿を……引き取りに、来た。い、一応、厨房を任された者としてはだな、備品の管理も私の仕事になる。その私が持ち出した皿を放置しては示しがつかない。したがって、開けてほしいのだが」
そうか。皿が足りないままでは片付かないのか。そりゃそうだ。厨房ではアーチャーが責任者みたいな立場になっているんだろうから、当然のことだな。
「…………」
俺は何をがっかりしてるんだ?
アーチャーは、当たり前に自分のすべきことをこなしているだけなのに……。
「…………あ、いや……、そうではなくて、だな、その…………、士郎、……顔を、見せては、くれないか?」
「えっ?」
「い、いや、さ、皿を、っ……」
顔を見せてくれって……?
言い直して、皿をって……。
アーチャーが、たどたどしい。
いつも、のべつまくなしで、立て板に水のごとく、言葉がすらすらとあの薄い唇から漏れてくるのに……。
慌ててベッドを下りて、洗っておいた皿を手に取った。
扉の前で、一度深呼吸をする。取手に手をかけたと同時にロックが解除された。
(よし……)
自分の中でタイミングを計って扉を引き開ければ、アーチャーの足が見える。
「あの……、ご、ごち、っ、ごちそうさま、でした」
顔も上げないまま皿を差し出したけど、アーチャーはなかなか手に取ってくれない。
「あ、テーブルも、か? あれって、アンタが投影したんじゃ……、あの、アーチャー?」
返事もしないアーチャーをつい見上げて、後悔した。
(なんで、そんな……、熱い瞳で……)
視線、外さないと……。
だけど、いきなり顔を背けるのも何か違う。
今ごろ俺を好きだと言ったアーチャーの言葉が、真実なんだとわかった。
わかったけれども、だからどうするってことでもない。好きだから抱き合うっていうのは、男女であればスムーズな話なんだろうけど、俺たちには当てはまらない。
「ほ、ほら、ちゃんと、受け取れよ、落と……っ!」
落とすなよっていいかけた俺の頬を、アーチャーの指がそっと撫でた。
今度こそ俯いて、アーチャーから目を逸らす。
ダメだ!
このままじゃ、アーチャーを……求めて……。
「士郎……」
低く、甘く、蕩けさせるような声が、俺の名を呼ぶ。
こんなの反則だ。
なんで、コイツ、こんな、ムダにいい声なんだ。
俺の未来だったかもしれないってのに、なんでこんなに……色気があるんだ……っ!
「……な、なん、だよ?」
呼ばれたから答えたけど、アーチャーは何も言わない。
(用もないのに呼ぶなよ……)
そんな声で呼ばれたら……、いや、目の前にいるってだけで、俺はどうにかなりそうなんだから……。
「……士郎」
「っ、だ、だからっ! なん――」
くい、と顎を取られ、否が応にも、アーチャーを見ることになる。
「ぁ、な……に……、」
何をするんだ、と不平の声を上げようにも、間近の鈍色の瞳に見据えられて声が萎んだ。
ふ、と言葉を紡げない唇に触れたのは、アーチャーのそれで……。
目を白黒させる間に、それは離れていって……。
「ぁ……………………」
頭が真っ白になる。
「はは。士郎、真っ赤だな」
俺を笑うコイツは、嘲るんじゃなくて……。
その笑みはずいぶんと照れ臭さにまみれていて、その、なんていうか、はにかむように笑うアーチャーに、俺は呆然とするだけで、顔どころか全身が、熱くて……。
「また、食事を持ってくるが……、気が向くようであれば、食堂に来てくれ」
言いながら、再びアーチャーの熱い唇が、今度は頬を掠めて、外国の人がやる挨拶みたいな軽いキスを俺にくれて去っていく。
「……………………」
その背中をずっと見ていたい。
(だけど……)
取手を引き戻して、扉を閉めた。
「っ……………………」
そのまま、膝をつく。
「バッカやろ……っ!」
どうしてくれるんだ。必死に抑えようとしていた熱が、今のキスで、一気に溢れた。
「…………ッカやろ……どうしろって…………いう……んだ、ょ…………」
扉の前でへたり込んだまま、動けなくなってしまった。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
我慢できなかった。
士郎が、あんな表情(かお)で私を見るから……。
“中でヨロシクやってるんだ、なんの影響もないと思うかい?”
所長代理は、にやり、と笑って言った。
そういうことなのだろうか?
士郎は今、深層で抱き合う六体目と自身の影響を受けて昂っている、というのだろうか?
まったくそんなそぶりはなかったが……。
ただ、調子が良さそうではない。
「っ……」
片手で口を覆い、項垂れる。
士郎の赤面を笑うことなどできない。私とて、ずいぶんと今、顔が熱い。
「抑え……られなかった…………」
英霊ともあろうものが、我慢できずに口づけるなど……。
情けないにもほどがある。
だが、首どころか、シャツの襟から垣間見えた胸元あたりまで、それに耳も……、あの様子では全身が色づいていることだろう。そんな状態の好いた相手を目の前にして、誰が衝動的にならずにいられるのだろうか。
真っ赤になった士郎の顔を思い出し、ついつい口許が綻ぶ。
「あんな程度で、真っ赤に……」
可愛いところがある。
ただ唇が触れ合っただけだ。濃厚なキスなどしていない。だというのに、三十代に届こうかという年齢のわりに、士郎の反応が幼い。今どきの高校生の方がもっと慣れていると思うのだが……。
ふと、そういう、私が当たり前だと思うような経験をできないまま、士郎は今の歳まで生きてきたのだと思い到る。
私に訥々と話してくれた士郎の記憶は、私の磨りきれた記録とは別物だった。であれば、私との経験値に差が出るのは仕方がないことで、士郎がその手のことに初心な反応を示すのも、また当然のことだ。
そんな士郎を私は愛おしいと思う。自分でもどうかしていると思いはするが、どうしようもなく甘やかしたい。
「明日は、出てくるだろうか……」
食堂に来てくれと伝えた。いくらなんでも部屋に籠りきりというのは、精神衛生上よくないはずだ。士郎が自室を出て食堂に来れば、その後は適当な理由をつけて私の部屋へ連れ込み、あわよくば…………。
(いやいや、何を勝手な……)
士郎には落ち着ける時間と場所が必要だと肝に銘じたはずだ。それを忘れたわけではないというのに……。
「はぁ……」
甘ったるいため息しか出ない。
「まったく、どうしようもな、っづ!」
ゴッ、とけっこうな音とともに、前頭部に痛みを覚える。
「ぅ…………」
額を押さえ、何が目の前にあるのか、と睨み付ければ、物言わぬ扉だ。
「……………………」
いつのまにか自室に着いていた。帰巣本能というやつだろうか、私は帰るべき場所に戻っている……。
少々、恥ずかしい思いを噛みしめ、自室に入り、持ち帰った皿を棚に置く。誰にも見咎められていないことを祈るものの、すぐにそんなことは気にならなくなる。
もう、狂ったように士郎のことで頭がいっぱいだ。
「は……」
今日も、ぼんやりするな、と厨房の面々には何度も苦言を吐かれた。やはり、私はいまだ厨房の厄介者のようだ。
「もう少し、辞退していようか……」
作品名:BLUE MOMENT10 作家名:さやけ