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BLUE MOMENT10

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 だが、士郎が食堂に来るかもしれない。その時に私がいないというのは、士郎を誘った手前、できる話ではない。したがって、なんとしても毎日厨房に立っていなければ。
「はぁ……」
 ため息がこぼれる。
 あれからまともに士郎と話せていない。
 私が知りたかった士郎の生きてきた道を知ることはできた。が、士郎はいまだ何かを隠しているような気がする。しかし、すべてを暴くというのは、やはり度が過ぎる。
(一応、士郎は話してくれたが……)
 私が、いまだ士郎の全幅の信頼を得てはいないのだと知らしめられている。
 そんな状況で、どうやって士郎をオトす?
 士郎は私が好きだと、どうしようもなく欲しくなると言った。だが、士郎からは、なんら歩み寄ってもらってはいない。だから待ちきれず、私は士郎の部屋を訪れたのだ。
 食器の返却を口実にして……、だが、きちんと顔が見たかったとも伝えた。どの程度士郎に伝わっているかはわからないが……。
「謝られても、な……」
 士郎は何度も謝罪を口にしていた。しかも、まるで大罪を犯したように士郎は謝るのだ。
 好きになどなってと、セックスなどしてと。
 それから、セックスなどすれば、私を汚してしまう、というようなことを言っていた。
(どういう思考だ……?)
 まさか、性行為は添い遂げる者としかしない、などという乙女チックなことを考えているのだろうか?
 いやいや、ありえないだろう。三十代に手が届きそうな男、しかも、衛宮士郎だぞ。いくら鈍いといっても、そこまで潔癖なことを言ったりはしないはずだ。
「では……、なぜ……?」
 あの少女のことが原因だろうか。
 確かに、士郎にとっては衝撃的なことだったろう。もしや、あれが初体験などというものであれば、些か不幸に過ぎると思わなくもない。
「それで、なのだろうか?」
 セックスが好きではないのは……。
 だとすれば、私はそんなトラウマのような行為を無理強いしたのか……。
 考えれば考えるほど落ち込みそうになる。知らなかったとはいえ、士郎の一番弱い部分を鉈でめった打ちにしたようなものだ。
 傷つけただろう。心底嫌気がさしただろう。
 それでも私に付き合ったのは、士郎にとって、それ以上に私の存在が重きを得ていたからだということなのか?
 士郎は己の身を差し出すと言った。私が自身の道に間違いではないと気づく機会を奪ってしまったからと謝っていた。すべてが私のものだと言った士郎は、いまだ、そのすべてをくれたわけではない。
「もう、違うのだろうか……」
 あの時はそのつもりだっただろうが、今となっては…………。
「は……」
 どうやって、進めていけばいいのか……。
(士郎と過ごす日々を、私はどうやって……?)
 繰り返す疑問の答えは、私だけでは出すことができない。
 士郎とともに導き出していかなければ。
「焦るな、オレ……」
 このところ何度も言い聞かせている。焦ってはだめだ、士郎の機微を窺いながら、と……。
「ん?」
 物音に扉を振り向く。
「なんだ?」
 いや、物音というよりも、喧騒に近い。だが、揉め事のようなものではなく、複数で騒いでいる、という感じだ。
 いったいなんだ?
 また、マスターをめぐって、狐と蛇が?
 だが、彼女たちの部屋はここから離れている。このあたりで騒ぐことはない。だとすれば、竜女と聖女か、それともアイドルを自称する二人か……。なんにしても、騒ぐのが好きなサーヴァントは少なくはない。
「やれやれ……」
 マスターが困っているかもしれない。止めに入るのは少々気が重いが、放っておくのはもっと気が引ける。立ち上がり、扉を開けるべくロックを解除しようとすれば、す、と先に扉が開いた。
「な……に、っんぅ!」
 何者だ、と問う前に口が塞がれ、がっしりと首を戒められ……。
 私の部屋の扉は、パスワードでロックを設定している。適当に数桁の数字を並べただけの単純なものだが、その数字を知っているのは、私と…………。
 目の前の、間近にあるものが何かと判断するより前に、その向こうのいくつかの視線を見返す。
 その表情は、みな一様に、ぽっかりと口を開け、目を丸くしている。
 思わず吹き出してしまいそうな面々の顔に、にこり、と笑みを作り、扉を閉めてロックをかけた。



*** *** ***

 ざわ……と、その廊下はさざめいた。
 壁を頼りに不確かな足取りで歩く者を、みな、息を詰めて見ていた。
 これは、マズいのではないか、と誰もが同じことを思ったはずだ。
 午後九時を過ぎたカルデアでは、サーヴァントもスタッフたちも、自由時間を謳歌している。
 その廊下には少なくはない人数が食事を終え、それぞれの自室へと向かったり、目的の場所へと向かったりしている。
 そんな中、サーヴァントはもちろんのこと、居合わせたカルデアのスタッフでさえ、その姿に目を奪われていた。
「ぁ…………、あ、あの、士郎さん!」
 そこにいる者全てが呆然としていたのも束の間、一番に動き出したのはカルデアのマスターである藤丸立香。慌てて駆け寄ったその行動は、正解だったと言える。
 数多のサーヴァントたちのマスターであり、カルデアのスタッフの中でも若年の彼が声をかけることにより、誰も無茶をしようとしない抑止力となるからだ。
 おそらく立香は無意識だろうが、最善の選択を取っていたということになる。これが、人理修復のために闘ってきた者の勘というものなのかどうかは判断が難しいところではあるが、とにかく立香は正答を選んでいる。
「士郎さん!」
 立香は壁伝いに、たどたどしい足取りでどこかへ向かおうとするその袖を掴んだ。
「ぁ、藤……丸、」
「ぅう、ぐふぅ……」
 思わずぐらつく自身を、立香は必死に立て直し、
「あ、あの、どこに? えと、い、急ぎじゃないなら、その、ちょっと、今は……、えっと……」
「…………」
「士郎さん?」
 上気した頬、滲んだ琥珀色の瞳、こぼれる吐息は熱を帯びている。
 これが、あの? と立香は何度も首を傾げたくなる。
 エミヤが人であったころの姿と言えばいいのか、過去を同じにした者とでも言えばいいのか、このカルデアに突然現れた、衛宮士郎。
 彼は、その身を呈してカルデアを守ろうとした者だ。不幸なことに魔神柱にとり憑かれたこともあったが、それも自らを切り刻むことで大事には至らなかった。その結果、彼の身には色々と不便なことが起こってはいたのだが。
 その彼が今、ありえないほど“ある種の空気”を纏っている。情婦に似た空気を宿し、それでいて生来の童顔がアンバランスさを醸し出す。常とは対極の空気感に、立香は息を呑むしかない。その上、無防備とも呼べる状態で廊下をふらふらと歩いている。
 狼の中に子羊一匹。
 立香には、そんなイメージが浮かんでしまった。
「え、えっと――」
「……いそ、いでるん……だ……」
「……………………」
 立香に目もくれず、士郎はまた一歩を踏み出す。
「あ、い、急ぎ、なんだ。あ、でも、えっと、」
 立香はどうにかして士郎を留め、どこかに保護しなければと辺りを見渡す。そしてようやく気づいた。
「ひえっ!」
作品名:BLUE MOMENT10 作家名:さやけ