彼方から ― 幕間 ―
空には星が瞬いているから、今夜、雨が降ることはなさそうだが、ノリコは勿論、自分たちが体を休める場所として考えても、不向きな場所と言える。
「確かにね……ジーナに、野営に適した場所を見つけてもらおうかね」
心配そうに眉を曇らせ、もう一度ノリコを覗き見るガーヤ。
彼女の言葉に、
「……そういや、アゴルは……?」
バーナダムがそう言いながら、松明を掲げ、辺りを見回す。
「そう言えば、さっきから姿が見えなったような……」
コーリキも同じように松明で辺りを照らし出しながら、アゴルの名を呼び始めた。
しかし、すぐに返事は返って来ず、皆も、松明を掲げて彼の名を呼び始める。
「何だよ、肝心な時に……!」
少し焦ったように、舌打ちをするバーナダム。
近場にいるのでは……そう思い、適当に見当を付けた方向に足を向けた時だった。
「みんな、こっちだ!」
まるで、その時を見計らったかのように、少し離れたところからアゴルの声が聴こえてきた。
「どこ行ってたんだよ、何度も呼んだのに」
彼に駆け寄り、バーナダムがムッとして責めるように言ってくる。
「済まん、ジーナに頼んで、野営地を見つけてもらっていたんでな」
「え……?」
バーナダムの言葉を意にも介さず、笑みを浮かべながらそう言ってくるアゴル。
まるで、こうなることを予想していたかのような彼の言動に、バーナダムは眼を丸くしていた。
「あんたにしては、中々、気が利くじゃないか、訊かれる前に動くなんてさ」
そう言いながら、皆と一緒に歩み寄ってくるガーヤ。
二の句が継げなくなっているバーナダムを横目に、
「さっき、エイジュに二回も訊かれていた時には、あほ面していたのにね」
と、アゴルの肩を叩いてくる。
「あほ面って……これでも、元傭兵だったんだがな……」
「分かっているよ、なに、あんたには失礼なことを二回も言われたからね、そのお返しさ」
「…………」
してやったりと言わんばかりの彼女の大らかな笑みに、アゴルも苦笑するしかなかった。
「とりあえず、助かったよ、案内してもらえるかい?」
「ああ、少し歩くがいい場所だ、付いてきてくれ」
アゴルは踵を返し、肩越しに皆に声を掛ける。
親子の後をついてゆく皆とは反対に、ガーヤはイザークの元へと戻ってきた。
「少し歩くそうだけど、大丈夫かい?」
そう言いながら、いまだ眠るノリコを覗き見る。
「問題ない」
頷き、そう返すイザークに続いて、
「大丈夫、大丈夫よ。あたしも一緒に居るから」
エイジュも微笑みながら、ガーヤに頷いてみせる。
「そうかい、じゃ、任せたよ」
エイジュの肩に手を置き、二人に笑顔を見せるガーヤ。
「野営の準備は済ましといてやる! おめぇらはゆっくり来い!」
小走りでやってくるガーヤを待つようにしながら、バラゴが手を上げ、そう言ってくれている。
他の面々も、バラゴと同じように手を振りながら、合流したガーヤと共にアゴルの後に付いて歩き始めた。
「……みんな、良い人たちばかりね……」
返事の代わりに手を振り返しながら、少しずつ小さくなる彼らの背中を見やり、エイジュはしみじみと、そう呟いた。
「……ああ」
相槌を返しながらも、イザークはさりげなく瞳だけを動かし、隣を歩くエイジュを見ている。
――今なら……
近くに、人の気配はない……懸念を問い質すチャンスかもしれない。
――しかし、ノリコがいる……
問い質したとして……彼女の答えが良いものでなかった場合――どうする?
最悪……今、この場で、エイジュと戦うことになってしまったら……?
気を失うほどの怪我を負わせてしまったノリコを、放り出すことなど出来ない。
それにもし、ノリコを人質に取られでもしたら……
かと言って、手を抜いて戦えるような相手ではないことも分かっている。
しかも、もし、そうなってしまったら……彼らに、ガーヤや左大公たちに『知られて』しまうかもしれない……
判断が付かなった。
一歩前を歩くエイジュの背中を見据え、イザークは答えを見つけられずにいた。
「今、何を考えているのか、当ててあげましょうか……イザーク」
「…………一体、なにを……」
思わず、肩越しに見やってくる彼女の瞳に、眼が行く。
不意の問い掛けに返答に間が空き、動揺が声音に出てしまっていた。
「考えていると言うよりも――『迷っている』と言った方が近いかしらね」
視線を前に戻し、イザークの動揺など意に介さぬように、言葉を重ねるエイジュ。
まるで、心の内が読めているかのような言い草に、イザークの表情が険しくなってゆく。
――考えを読まれた……? いや……
「そうか、おれの『気』を読んだんだな」
「そうよ、修練が足りなくてよ、イザーク」
肩越しに、クスクスと笑ってみせるエイジュ。
――彼女の言う通りだ……
エイジュに懸念を持ちながら、その懸念や迷い……そういうものを隠し切れず、身に纏っている『気』に知らずに表れてしまうようでは、確かに修練が足りないと言われても、返す言葉がない。
イザークは大きく深呼吸をすると気を落ち着かせる。
いくら考えを巡らせたところで、答えなど出ないし、『気』を読まれて気取られてしまうのであれば無意味だ。
イザークは覚悟を決めると、エイジュの背中をもう一度、見据えた。
「……大丈夫、大丈夫よ――あなた達のことは、誰にも言いはしないわ」
――ッ!!
開き直り、直接訊いてしまおうと心を決めた瞬間だった。
予期せぬ言葉に、一瞬、足が止まった。
「駄目よ、止まっては……何事も無かったかのように振る舞うくらい、雑作もないでしょう?」
続けて重ねられたエイジュの言葉に、辛うじて足を動かし続ける。
「……あんたは……」
「全部知っているわ、あなた達二人のことは――何もかも、ね……」
「――何も、かも……だと?」
彼女の言葉に、イザークはこれまでに一度も抱いたことがないほどの、『殺意』を抱いた。
「あんたは一体――何者だっ!」
低く抑えた声音に殺気が籠っている。
返答次第では殺すことも辞さない……纏う気から、そんな感情が読み取れる。
エイジュは伏し目がちに振り返ると、殺気が混じった気を漂わせるイザークを、上目遣いに見据えた。
「――――う……」
腕の中で、ノリコが僅かに声を上げ、身じろぎをした……
「――っ!!」
微かな動きにハッとして、思わずノリコを見やる。
眉を顰めていたのはほんの少しの間で、ノリコはすぐに、安らかな寝顔へと戻っていった。
その寝顔を確かめ、イザークもフッ……と愁眉を開く。
彼女を慈しむイザークの瞳に、エイジュもそっと微笑むと、目線を逸らしていた。
「ご免なさいね」
不意の一言に、イザークは瞳だけを動かし、エイジュを見やる。
「何故、謝る」
「あなたに、いらぬ殺意を、抱かせてしまったから……」
少し俯き加減に歩くエイジュ。
その身に纏う『気』からは、『敵意』も『偽り』も、感じられない。
純粋な『謝意』と、少しの『慈愛』が、イザークには感じられた。
作品名:彼方から ― 幕間 ― 作家名:自分らしく