彼方から ― 幕間 ―
「いやな、今更ながら、あんなクソ野郎の下で近衛をやっていたのかと思うとよ、自分で自分に腹が立ってな……今まで必死になって力を付けて、腕を磨いて、当たり前のように人を踏み台にしてよ、あんな野郎の近衛に召し上げられて、偉くなった気でいたなんてな……なんか、こう――情けなくてよ……」
「バラゴ……」
苦虫を噛み潰したような顔で炎を見詰め、また一つ、大きな溜め息を吐くバラゴ。
ガーヤは自己を顧みて嫌悪する彼を、その頬を緩めながら見詰めていた。
「そんなに卑下するもんじゃないよ」
「けどよ……」
ガーヤの言葉に顔を上げつつも、バラゴの表情はまだ優れない。
「だって、あんた……それに気付いて捨てられたんだろ? なかなか出来ることじゃないよ? 一度手に入れた地位や権力を捨てるってことはさ……それが出来たんだ、バラゴ、あんたも大した男だよ」
「……そうか?」
大らかなガーヤの微笑みに、バラゴが少し照れくさそうに額を掻いている。
「ガーヤの言う通りだ……バラゴ、貴殿がナーダ様の下で築いた地位を捨て、アゴル殿と共に我々の助けになってくれたからこそ、あの城から抜け出ることが出来た……わたしは、二人に感謝している。本当に有難う……」
「いえ、とんでもありません、左大公……どうか、頭を上げてください」
「そうだぜ、左大公、別に礼を言われるようなことじゃねぇ、おれはあの時、自分がそうしたいと思ったことをしたまでだからな」
座したまま、深々と二人に向けて頭を下げるジェイダに、アゴルは慌てて、バラゴは言葉は荒いが互いに、恐縮している。
「謙遜することはないですよ、アゴルさん、バラゴさん、父の言う通りです。わたしたちも、感謝しています」
ロンタルナが長男らしく、父の意を汲んで礼を言ってくる。
二人の言葉に、コーリキもバーナダムも、左大公の一行の一人として、二人に礼を述べていた。
左大公のような身分のある人物に、真摯に礼など言われたことのない二人にとって、今の状況は手に余り、互いに戸惑い見合ってしまっている。
「二人とも、こういう時は素直に謝辞を受け取っておくもんだよ、そうしないと、左大公がいつまで経っても頭を上げられないだろう?」
ガーヤにそう言われ、二人は照れくさそうにしながら、
「では、有難く……」
アゴルは同じように頭を下げ、
「ま、全部イザークの指示通りに動いただけだけどな」
バラゴはそう、一言付け加え、額を掻きながらアゴルに倣い頭を下げていた。
「そう言えば、そうだったな……」
城から脱出した後、ガーヤ達と再会した時、どうやって城から脱出できたのか、簡単に説明をしたことを思い出す。
バラゴの言葉に、バーナダムはそう言いながら、焚火の炎を挟み、斜向かいに座っているイザークを見た。
何か、含みがありそうな声音に気付き、他の面々の視線がバーナダムに集まってゆく。
「アゴルとバラゴが協力してくれたから出来たことだ……おれだけの力じゃない」
いつもの無表情で応えるイザーク。
ムッとした。
何故か、その言い草が癪に障る。
御前試合での、イザークの戦いぶりが頭を過る。
屈強で、まるで大岩のような体格をしたナーダの近衛、十人以上を相手にしていたのに、まるで遊んでいるかのようだった。
あの時は、能力なんか使っていなかった。
剣技と体術だけで、戦っていた……
自分の剣技や体術など、イザークから比べればまるで子供の遊戯だ。
左大公の警備隊として、毎日鍛錬を欠かしたことはなかった。
その辺の腕自慢の奴らより、自分の方が強いという自負もある。
けれど――それでもイザークには敵わない……手合わせしなくても分かる。
下手をすれば、バラゴやアゴルにだって敵わないかもしれない……
「そうかもしれねぇがよ、少しは自慢したって誰も文句は言わねぇぞ?」
バラゴがそんなことを言いながら、イザークの背中を叩き、豪快に笑い飛ばしている。
叩かれた背中に手を当てながら、イザークは困ったように眉を寄せ、バラゴを見ている。
「そこが、イザークの良いところなんだろう?」
返す言葉に困っているように見えたのか、アゴルが彼に、助け舟を出している。
まるで、旧知の仲のような三人……
――なんだよ、素直に自慢すりゃいいじゃないか
何故か更にイラっと来る。
じゃあ、本当にイザークが素直に自慢すればいいのかと言うと……それはそれで、ムカつくことも分かっている。
……やっかみだ。
自分はイザークを、やっかんでいる。
感情や思っていることが、素直に顔に出てしまう自分と違い、あいつはいつもクールで表情なんか滅多に崩さない。
悪い奴じゃないことは分かっている。
ガーヤと、いつどこで知り合ったのは知らないけど、ノリコを二つ返事で預かるくらい、ガーヤはイザークを信用している。
イザークも……ガーヤを信用している。
バラゴやアゴル、左大公たちだって、会ったばかりなのに……
エイジュだってそうだ。
お互い、知り合いってほどじゃないって言っていたけど、それでも、互いに信用しているように見える……
皆、碌に話もしない、無口なあいつを、何故かほとんど無条件で信用している。
――ノリコだって……
そう、ノリコは特に……
イザークには敵わない。
何もかも。
おれなんかより数段上で、遥かに強い――強いのに、それなのに……
イザークたちの後ろで眠るノリコを見やる。
掛けられた毛布から覗いている首元……遠目でも、服が変わっているのが分かる。
応急処置をした――そう言っていたイザーク。
バーナダムは知らぬ内に、カップを握る手に力を籠めていた。
「でも……ノリコは怪我をした」
明るい談笑の中、口にしてしまっていた。
言っても、仕方のないことだと分かっていたのに……
沈黙が訪れ、皆の視線が自分に集まるのが分かる。
イザークの動きが止まっているのも……
あいつだって、『それ』を気にしていることくらい、分かっているのに――一度口にしてしまったら、もう、止められなかった。
「ノリコだけが、あんな、大怪我を――したんだ……」
「…………」
バーナダムは、炎越しにイザークを見据えた。
イザークは俯き、バーナダムと眼を合わさない。
だが、カップを持つその手が、微かに震えている。
「……バーナダム」
ガーヤが、少し哀し気に見やり、呟く。
バーナダムの言葉は、確かに事実だ。
だが、あの状況の中、誰がイザークを責められるだろうか……
恐らく、ノリコに怪我を負わせてしまったことを一番悔いているのは、他ならぬイザーク自身であることは、誰もが分かっていることだ。
バーナダムの気持ちも、分からなくはない。
少なからず好意を寄せている女性が、自分の手の届かないところで怪我を負ってしまったのだ。
何故、その場にいることが出来なかったのかと自分を責めると同時に、どうしてもイザークを責める気持ちも、生まれてしまうのだろう……
手の届くところに――傍に居たくせに……と。
フゥ……と、誰かの溜め息が聴こえる。
バーナダムはハッとして、隣に視線を向けた。
エイジュと眼が合った。
作品名:彼方から ― 幕間 ― 作家名:自分らしく