彼方から ― 幕間 ―
小首を傾げて、優しいけれど困ったような笑みを浮かべている。
「…………」
彼女の瞳を正視できなくて、バーナダムは俯くように眼を背けた。
言っても詮無いことを口にしてしまったとは思っている。
しかし、間違ったことを言っているとも思っていない。
それでも、本当は、イザークに謝るべきなのかもしれないが…………それは、出来なかった。
スッ――と、徐にイザークが立ち上がった。
「ど、どうしたんだい?」
無言で踵を返し、どこかに行こうとするイザークに、ガーヤが慌てて声を掛ける。
「……薬草を――探してくる」
立ち止まり、振り向くことなく、背中を見せたまま言葉を返すイザーク。
「そりゃ、まぁ、必要だろうけど……」
ガーヤも立ち上がるとイザークに歩み寄り、心配そうにその顔を覗き込んだ。
「城から出る時、多くはないが持って来ている……それも使ってくれないだろうか」
ジェイダがそう申し出る。
「お気遣い、感謝する……だが、どの道、足りなくなることは目に見えている――今の内に、集めておきたい……」
端的に、少し横顔を見せながら、イザークはジェイダにそう言い軽く頭を下げると、
「ガーヤ……ノリコを頼む」
背を向けたまま、森へと足を向けた。
「イザーク、灯りは?」
そのまま行ってしまおうとする背中に、ガーヤは慌てて声を掛けた。
「大丈夫だ、月が出ている……」
月を仰ぎ見た後、イザークは火から少し離れた所で横たわるノリコを見やり、
「少しの間、頼む」
辛そうな横顔を見せた後、再び森へと足を向けた。
「分かったよ、けれど、気を付けてお行きよ」
ガーヤの言葉に微かに頷きを返し、イザークはそのまま、森へと入っていった。
「……やれやれ」
イザークの背中を見えなくなるまで見送り、ガーヤは大きく溜め息を吐いた。
「…………」
バーナダムも、ガーヤの背中越しにイザークが入っていった森へと眼を向けるが、すぐに背け、俯き、炎を睨みつけている。
少し、気まずい空気が流れている。
誰もが何かを言い出そうとして躊躇い、互いに見合い、言葉を出しあぐねいていた。
「……仕様がないわねぇ、二人とも……」
クスクスと、いつものように小首を傾げてバーナダムに笑みを向けながら、エイジュはゆっくりと立ち上がるとガーヤの所へと歩み寄る。
彼女に、バーナダムは悪いことをしたことが分かっていながら、素直に謝ることの出来ない子供のような表情を見せた。
「ちぇ……」
と、歯切れの悪い舌打ちをしながら……
「あんたも森に入る気かい?」
隣に立つエイジュにそう訊ねながら、ガーヤは肩越しにバーナダムを見やる。
彼女の視線に合わせるように、エイジュも彼を一瞥し、肩を竦め、
「違うわ、イザークに、余計な世話だと言われるかもしれないけれど、良く知らない森に入るのですもの、どんな獣がいるか分からないでしょう? 少し、払っておいてあげようかと思って……」
そう返した。
「そんなことも出来るのかい? あんたも芸が細かいねぇ……」
「……芸って……」
半分、感心したかようなガーヤの言い草に苦笑しながら、エイジュは森へと右の手の平を向け、気を薄く張り巡らせた。
**************
月の光が木々の隙間から射し込み、森の中を歩くイザークを照らし出している。
月明かりがあるとはいえ、常人では暗闇に等しい森の中を――草が鬱蒼と茂る中を、イザークは難儀することなく歩いてゆく。
その手には、既に幾つかの薬草が握られており、イザークはまるで散策でもしているかのように歩を進めていた。
不意に、遠くの方から獣の鳴き声が聞こえてきた。
その声にイザークは空を見上げ、少し、眉を顰める。
――これは……エイジュの気か……
薄く、微かに張り巡らされている気を感じ取り、イザークは彼女の技に感心する。
気の練度の高さが良く分かる技だ。
思わず、口元を緩め、
――余計な世話を……
そう思う。
森に出る獣ごとき、出くわしたところでどうと言うことはないが、煩わしいことは確かだ。
彼女の気遣いを有難く受け取ることにし、『戻ったら礼を言わねばな……』そう思いながら、薬草を求め奥へと進んだ。
半時ほど経っただろうか……
その手には、既に持ちきれないほどの薬草が集まっている。
それでもまだ、イザークは森の中を歩いていた。
『服が……』
腕に抱いたノリコを覗き込んだ時の、バーナダムの呟きが……先刻の、彼の言葉が耳に残っている。
『ノリコだけが、あんな、大怪我を――したんだ……』
――おれの、せいだ……
思わず、足が止まる。
様々な大きさの石や岩、そして土砂が、ノリコを襲う様が鮮明に脳裏に蘇る。
ノリコの悲鳴が――今も耳朶を捉えて離さない。
倒れこむ彼女の姿が、魔物が同化した大岩が彼女に向かって落ちてゆく様が、何度も瞼の裏に浮かんでは息を詰まらせ、臓腑を握り潰そうとしてくる。
無意識に、胸の辺りを掴んでいた。
――おれが、もっと力をコントロール出来ていたら……
ノリコをあんな酷い目に、遭わせることなどなかった……
気を失うほどの怪我をさせずに済んだ……
――醜い姿を……晒さずに済んだ……
【天上鬼】の姿を――
何故、このような力が自分の中に在るのか。
どうして、そのような力を持って生まれてきてしまったのか。
育ての親からは、何も教えてもらってなどいない。
生みの親は、生きているのかも死んでいるのかも分からない……
捨て去りたくても、逃れたくても――それは叶わない。
このまま、養父の言った通り、この世を震撼させる存在となるしかないのか……
意思とは無関係に、胸の辺りを掴んでいる手が、小刻みに震え出している。
そんな存在になどなりたくはない。
心で抗ってはみても、どうすればその運命から逃れることが出来るのか、その手掛かりすら掴めない。
世界中の占者が何年も前から、【目覚め】と言う存在がおれを、おれの中に眠る【天上鬼】を、目覚めさせると占っている。
自分の与り知らぬところで、勝手に世が動き、勝手に決めた道筋を、おれに押し付けているようにしか思えなかった。
そんな占いなど――自分の手で払拭してしまいたかった……
だから、どこの国よりも、誰よりも早く、『金の寝床』へと向かった。
【目覚め】を消すため……ノリコを……消す、ため……
それが、『運命』から逃れられる、唯一の方法だと、そう思えたからだ。
だが、何も知らぬノリコを、自分が【目覚め】と呼ばれる存在だと、自覚の無い彼女を手に掛けることなど――
同意もないまま理不尽にも、『運命』を背負わされた……おれも、ノリコも……
樹海で、彼女を殺せなかったのは多分、自分の境遇と彼女を重ねてしまっていたから……
だが、このまま共に居ればいずれ、ノリコがおれを――
おれは……どうすれば良いのか……
イザークは震えを抑えるかのように唇を噛み締め、瞼をきつく閉じ、更に強く、手を握り締めていた。
―― イザークが好き ――
作品名:彼方から ― 幕間 ― 作家名:自分らしく