彼方から ― 幕間 ―
背後から呼びかけられ振り向くと、手に書紙らしきものを持って、エイジュが立っている。
「なんだい?」
「これを、見て欲しいのだけれど……」
ノリコから少し離れたところに、書紙を地面に広げるエイジュに合わせ、ガーヤも体を寄せてゆく。
「これは……随分と詳細な地図だね、こんなに詳しく書き込まれているものは、初めて見るよ」
「そう? フフッ……あたしの旅路の軌跡――と言ったところかしら」
少し興奮しながら地図を覗き込むガーヤに、エイジュはそう言って笑い掛けた。
「あんたが自分で描いたのかい? 何でも出来るんだねぇ」
「ありがとう……」
ガーヤの素直な言葉に、はにかみ、俯くエイジュ。
「それよりも、今、この地図で言うとどの辺りにあたしたちが居るのか、分かるかしら?」
感嘆の眼差しを向けるガーヤの視線に耐え切れず、エイジュは直ぐに、話を本題へと戻した。
「グゼナの地図だね……そうだね、ここがセレナグゼナだから、今、あたし達はザーゴとの国境近くに在る、この町の北に居ることになるかね」
グゼナの首都、セレナグゼナを指で指しながらそのまま北へと伸びる街道沿いに指を這わせ、国境と首都との、ちょうど中間あたりに当たる、何も描かれていない場所を指でくるりと囲みながら、適切に答えてくれるガーヤ。
「そう、首都に行くまでの間に町があるのね、それは良かったわ……色々と調達しなければいけない物があるもの……」
ガーヤが指でくるりと囲んだ辺りに町があることを示す印をつけながら、エイジュは更にガーヤに訊ねた。
「この町まで、どのくらいかかるのかしら?」
「そうだね、普通に歩いて半日……ノリコへの負担を考えても、陽が傾く前には、着くんじゃないかと思うけどね」
「そう……それほどかからないのね」
「あとは、運び方だね……」
「そうね……」
揺らぐ炎が、微かな光で、眠るノリコの頬を仄かに赤く染めている。
落ち着いた寝息を立てる彼女を、二人は同時に見やっていた。
「アゴル! ちょっといいかしら」
焚火の周りで、バラゴや左大公たちと談笑をしていたアゴルに、エイジュは少し伸び上がるようにしながら声を掛ける。
彼女の声に、皆の視線が向く中、アゴルはジーナの手を引き、歩み寄ってきた。
「どうした? ……地図か、随分と詳細だな」
足下に広げられたグゼナの地図を見て、アゴルも感心したように見入る。
「エイジュのお手製さ」
「ほぉ! それは凄い」
透かさず、自慢気な笑みを見せ、そう言うガーヤ。
驚きと感嘆を籠めたアゴルの言葉に、エイジュはまたもはにかみながら礼を言うと、そそくさと話題を変える。
「あなた、元傭兵だったわよね? ノリコの体に負担を掛けないように運ぶ方法を、何か知らないかしら?」
「なるほど……そう言うことか」
自分が呼ばれた訳を理解したアゴルは、ジーナを傍らに座らせ、共に地図を覗き込む。
「とりあえず、この町まで行くつもりなのか?」
「ああ、掛かる時間は朝から歩いて陽が傾く前に到着ってとこかね」
アゴルの問い掛けにガーヤが応える。
「ここまでの道はどんな状態なのか分かるか? ガーヤ」
「この街道に出るまで、道らしき道はないね。起伏の割とある、山や荒れ地が少し続くんだよ――街道に出ちまえば、なだらかな一本道になるんだけどね」
「往来はどうだ?」
「この町からセレナグゼナまでは割と往来は多い方だと思うけど、ここから町までは、さほど無いよ。何せ、この町より北は、今通ってきた、国境しかないからね」
「そうか……」
ガーヤの答えに、地図を見詰めながら暫し考えるアゴル。
考え込む時の癖なのか、ジーナの頭を何度も優しく、撫でている。
ジーナも、その手に応えるように、嬉しそうな笑みを父に向けている。
その微笑ましい光景に、ガーヤもエイジュも、自然と口元が綻んだ。
「やはり、一人で背負ってゆくのが一番良いだろうな」
二人を見回し、アゴルはそう結論付けた。
「運ぶ方も、運ばれる方も、負担が軽くなる方法を知っている。少し準備が必要だが、大して時間はかからない、明日の朝、用意しよう」
「そうかい! じゃあ、そっちはあんたに任せるとしようか、ねぇ、エイジュ」
「ええ、そうね。助かるわ、アゴル」
「ああ、任せてくれ」
二人に頼もしい笑みを見せ、アゴルはジーナを促しながら立ち上がると、焚火の方へと戻ってゆく。
その背中を見やっていた二人の視線が同時に、バーナダムと合った。
目が合い、バーナダムはハッとして一瞬逸らすも、すぐに思い直したのか、再び二人の方を向き、立ち上がると歩み寄ってくる。
その様子を、擦れ違うアゴルや左大公たちが、無言で見詰めている。
「今……大丈夫か? ガーヤ」
遠慮がちに、眼を少し伏せながら、バーナダムがそう、言ってくる。
「……構わないけど――らしくないね、何だい?」
「いや……その、えっと……」
視線を彷徨わせながら、なんとも歯切れの悪い返答をするバーナダム。
その視線は頻りに、ノリコのことを窺っているようだ。
二人は、互いに顔を見合わせた後、彼は何を気にしているのかと、ノリコの方を見やる。
今は、穏やかな寝息を立てているノリコ。
掛けられた毛布が少しずれ、首元の服が覗いている。
「――!」
ピンとくるガーヤ。
「エイジュ、少し、ノリコを看ていてくれるかい?」
「ええ、構わなくてよ」
軽く溜め息を吐き、ガーヤはそう言うと立ち上がる。
「話しなら向こうで聞くよ」
「あ、ああ……済まない、ガーヤ」
バーナダムを促し、皆に声が届かないところまで離れてゆくガーヤ。
「仕様がないわねぇ……」
エイジュはそう言いながら、片方の眉だけを顰めた笑みを見せ、地図を畳みながらノリコの傍へ座り直した。
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「ノリコのことで、気になっていることがあるんだろう? バーナダム」
「えっ? あ、いや……えっと、その――うん……」
いきなり核心を衝かれ、バーナダムはしどろもどろになりながら、仕方がないようにコクンと頷いた。
「はっきりとお言いよ。らしくないね」
「…………」
まるで、母親のようなガーヤの言葉に、バーナダムは一時俯くとノリコを見やり、意を決したかのようにガーヤに眼を向けた。
「ガーヤ、ノリコの服が変わっているのに気が付いたか?」
「当り前じゃないか、それが、どうかしたのかい?」
まるきり意にも介していないガーヤの返答に、訊ねた方のバーナダムが動揺している。
「だ、だって、服が変わってるんだぞ? って言うことは、イザークが……その……」
言い掛けて、止めてしまう。
何を想像したのか、バーナダムの顔が赤く染まってゆく。
「服を脱がせたんだろうね、ノリコの怪我の応急処置をするためにさ」
代わりにガーヤが、『何を気にしているんだか』と言う眼をして、バーナダムが言い掛けた言葉を口にする。
更に真っ赤になるバーナダム。
「あいつ……ノリコは、気を失っているのに……」
唇を引き結び、赤くなってしまった顔を俯かせ、拳を強く握り締めている。
作品名:彼方から ― 幕間 ― 作家名:自分らしく