彼方から ― 幕間2 ― & 第三部の最初だけ
「この先、彼らと行動を共にしていくつもりなら、あなたも、『愚かではない人達』の中に入ると思うのだけれど?」
「……おれも?」
益々、『意味が分からない』とでも言いたげに、首を傾げてしまうアゴル。
そんなアゴルを、眼を細めて見やり、
「左大公達は何故、逃げているの? そんな左大公達をどうして、あなたもバラゴもガーヤも、それにイザークも、助けようと思ったのかしら?」
「どうして……」
改めて問われると、答え難いものだと分かる。
視線を地面に落とし、アゴルは黙してしまった。
自分がナーダの城に潜入した第一の目的は、『イザークをこの眼で見てみたい』――だったのだから。
勿論、左大公のような人物が陥れられ、やってもいない罪で処刑されるのを良しとは思わないが……
助け手を申し出たのは、正義感に駆られたからではない……個人的な都合と言っていい。
そう考えると、皆を騙しているようで、心苦しくなってくる。
自他の行動の差を鑑みているのか、アゴルの表情が少し、険しくなってゆく。
俯き、黙してしまったアゴルを諭すかのように、
「みんな、このままではいけないと――そう感じているからじゃないかしら」
エイジュはそう、呟いた。
「このままではいけない……」
彼女の言葉を反芻し、仰ぎ見るように目線を上げるアゴル。
エイジュは頷き、彼と目線を合わせると、
「さっきも言ったけれど、暗い影のような不穏な気配……みんなもハッキリとではないでしょうけれど、感じ取っているのではないかしらね……何も気にせず、自分のことだけを見て生きて行けば、そんなこと、気にもならないかもしれないけれど、少し――ほんの少し周りに目を向ければ、すぐに分かるのではないかしら……世界が、戦乱の世に向き始めていることに……」
そう言ってもう一度目を細め、微笑んだ。
「だから……このままではいけない――と?」
「あたしは、そう思っているわ……だからこそ、陥れられ、身の危険を感じても尚、国を正しい方向に導き直す為に――生き延びてその機会を待つ為に、彼らは逃げることを選んだのでしょうから……」
肩越しに、眠る左大公達を見やりながら、エイジュはそう言って、もう一度、笑みを見せた。
アゴルも同じように見やり、次いで、眠る娘を見詰めた後、再び、炎を見据え始めた。
再び、流れ始めた沈黙。
エイジュは特に何を言うこともなく、そのまま沈黙が流れるに任せ、ポットに残っていたお茶をカップへと注いでいる。
半時ほど、時が流れただろうか……
「迷っているのでしょう?」
「え?」
カップに口を付けながら、傍らに置いた書誌を手にし、エイジュは不意に、そう問い掛けた。
「微かだけれど、あなたの『気』から、そう感じ取れるの……」
彼女はそのまま書誌を膝の上に置くと、アゴルの方を見ることもなく、再び書誌を捲り始める。
「早急に答えを出す必要は、ないのじゃないかしら」
黙したまま見詰めてくる、アゴルの視線を感じながら、エイジュは言葉を続けてゆく。
「とりあえず、心の赴くままに動いて、実際に自分の目で確かめて……それから判断しても、遅くはないと思うのだけれど?」
「…………」
書誌を捲り、書かれた文章を眼で追いながら、言葉を紡ぐエイジュ。
アゴルは無言で聞き入った後、大きく、息を吐いた。
カップを手に取ると、残ったお茶を一気に飲み干すアゴル。
「済まない、仕事の邪魔をしてしまったな」
そう言って、どこか吹っ切れたような笑みを見せてくる。
「……いいえ、大丈夫よ」
エイジュもその笑みに応え、笑みを返す。
「このまま起きているつもりなのか? 火の番なら代わるが……」
「ありがとう、でも、まだ、書くことが残っているから」
アゴルの申し出に、エイジュは書誌を見せながら、暗に自分が番を続けることを伝えてくる。
「そうか……では、悪いが、もうひと眠りさせてもらう」
「ええ、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ……」
そう言って立ち上がろうとして、ふと、動きを止めるアゴル。
「……? どうかしたの?」
怪訝そうに首を傾げるエイジュを、まるで、騎士のように片膝を付いた状態のまま見詰め、
「そう言えば、白霧の森での礼がまだだったな――あの時は助かった……『ありがとう』」
最後の言葉に、他の感謝も籠め、頭を下げていた。
少し驚いたように、眼を見開くエイジュ。
「結構律儀なのね……別に、お礼なんてよかったのに……」
「ああ、まぁ――礼なら、無事助かってからにしてくれと、言われたからな……少し、遅くなったが……」
少し照れ臭そうにしながらアゴルは立ち上がり、
「それに、これでも一応、人の子の親だ。手本となるよう、心掛けているだけだ」
そう言って軽く手を振りながら、眠るジーナの元に戻ってゆく。
やがて、小さな寝息に重なるように、規則正しい寝息が聞こえ始めた。
***
月が、西の山の稜線に懸かろうとしている。
東の空が心持ち、明るくなり始めた気がする。
虫も寝静まったのか、そよ吹く風が枝葉を揺らす音が、聴こえてくるだけになった。
エイジュは仕事を終えた溜め息と共に書誌を閉じ、揺れる炎に新たに薪を焼べながら片膝を立て、その膝を抱えるように両腕と頭を乗せてゆく。
――あれで、良かったのかしら……
さっきの、どこか吹っ切れたようなアゴルの笑みを思い返す。
――まだ少し、迷いがあるようだったけれど、でも恐らくもう、『傭兵』には戻らないでしょうね
自然と、笑みが零れてくる。
彼はきっと、イザークの良き理解者となってくれる――そう思える。
瞼が重く感じられる。
能力が抑えられているせいだろうか……眠気を催したのは初めてだった。
――夜明けまで、あと二時――くらいかしらね
エイジュはそのまま、瞼を閉じた。
僅かな刻……暫しの休み、眠りを貪るために……
*************
覚めかけた意識に、人の話し声が聴こえてくる。
優しく頬を撫でる風が、良い香りを運んでくる。
薄っすらと開いた瞳に最初に映ったのは、ノリコの寝顔……
その思いも寄らぬ近さに、イザークの意識が一気に覚醒する。
――いつの間にっ!!
不覚にも寝入ってしまったことに焦り、イザークは即座に体を起こした。
――……?
途端に、ふわり――と体から落ちる毛布が眼に入り、思わず手に取る。
いつ寝入ってしまったのかも覚えていないのに、毛布を掛けた記憶などあるわけがない。
――誰かが、掛けてくれたのか……?
自分が寝入ってしまったその後で……
――一体誰が――
そう思い、焚火の方に眼をやる。
寝床を片付け、朝の支度に勤しんでいる皆の姿が眼に入る。
その中、エイジュが一人、歩み寄って来ていた。
「おはよう、イザーク」
「あ、ああ……おはよう」
小首を傾げてクスッと笑うエイジュ。
その仕草に、ハッと気付く。
「これは――あんたか?」
未だ眠っているノリコの傍らに跪くエイジュに、手にした毛布を見せながら、イザークは訊ねていた。
作品名:彼方から ― 幕間2 ― & 第三部の最初だけ 作家名:自分らしく