彼方から ― 幕間2 ― & 第三部の最初だけ
「お父さんが、止めに行くと……」
ロンタルナが眉を顰めて、三人の様子を見ている。
確かに、左大公は何かと頻りに話し掛けてはいるが、どうやら、埒が明かない状態になっているようだ……
「あいつ……悪い癖が出たんじゃないか?」
ロンタルナが、困っている様子の父を見て、コーリキにそう呟く。
「しょうがないな……バーナダムの奴」
コーリキも、頭を掻きながら溜め息を吐き、
「兄さん、おれ達も行きましょう」
と、ロンタルナに言葉を返した。
「仕方ないな……」
ロンタルナも、流石にこのまま放って置く訳にもいかない――と思ったのだろう、同じように溜め息を吐きながら兄弟で頷き合い、一歩、踏み出そうとした時だった。
『ぶちっ』――と、何かが切れるようなそんな音を、聴いた気がした……
「ロンタルナ様――」
冷たく漂い始めた空気と共に発せられた声に、ロンタルナは思わず体をビクつかせ、エイジュを見た。
「片付けの方は、もう、済まされたのですか……?」
低く、抑揚のない声音……口調は丁寧で優しげだが、その響きは冷たい。
「いや……まだ……」
ロンタルナは生唾を飲み込みながら、応えた。
「コーリキ様は……?」
「おれも……」
背中を見せたまま、身じろぎ一つせずに声を掛けてくるエイジュ。
その背から、冷たい気配が漂っている。
二人は同時に一歩、後退っていた。
「では、そちらを先に、済ませていただけますか?」
ゆっくりと振り向き、にっこりと微笑むエイジュ。
二人は無言で頷くと、おとなしく踵を返し、自分たちが寝ていた場所へと戻っていった。
まだ仕舞われていない、毛布や小物に手を掛け始めた二人を見た後、エイジュはやはりゆっくりと、今度はアゴルの方に、顔を向けた。
「アゴル」
「……なんだ?」
微笑んでいる――微笑んではいるが、その微笑みに温かみはない……
自分に向けられた笑みにアゴルは寒気を感じながら、エイジュに応えた。
「さっきの話だけれど、ノリコへの負担を考えると、背負う人を何度も交代させる訳にはいかないと思うの……下手をすると、余計なところを痛めかねないし……だから、一人の人が長く背負い続けられるように準備して欲しいのだけれど――出来るかしら?」
「大丈夫だ……そこは考えてある」
「そう……それは、良かったわ……バーナダムを手伝いに来させるから、少し、待っててもらっても良いかしら」
「……分かった」
アゴルの返しを耳に留め、エイジュは、張り付いたような微笑みのまま、体ごと視界を、バーナダムたちの方へ向ける。
そしてそのまま……
「バラゴ」
ポットを持ったままの彼に、声を掛けた。
「お、おう……」
今度はおれか――そう思いながら応えるバラゴ。
「野営の後始末――お願いしても良いかしら……?」
「おう……任せておけ」
エイジュの背中に笑顔でそう応えるが、声が、少し上擦る。
その間もずっと、左大公は何とかバーナダムを落ち着かせようと声を掛け続けており、そのバーナダムは取り合おうとしないイザークに食い下がっていた。
三人の様を見やりながら、エイジュはゆっくりと、歩み寄っていく。
その背中を見詰め、
「エイジュ……怒ってる?」
と、訊ねてくるジーナ。
「ああ、怒っていたな」
ギュッと抱きついてくるジーナの髪の毛を優しく撫でながら、アゴルはフゥッと、息を吐いた。
「おっかねぇな……あれだな、穏やかな人間ほど怒らせちゃいけねぇって、このことだな」
エイジュに聞こえないように、耳元でそう言ってくるバラゴ。
「……確かにな」
恐々と、彼女の背中を見やるバラゴに、アゴルは苦笑しながらそう返していた。
*************
「イザーク!」
食事を済ませ、片付けの為か、荷物を手に、ノリコから少し離れて行くイザーク。
まだ、ガーヤにスープを食べさせてもらっている彼女に、埃が掛からないよう、配慮してのことだろう。
気取らずに、自然とそんなことが出来るイザークに感心しながら、バーナダムは声を掛けた。
「なんだ?」
「ちょっと、話しがあるんだ」
「話し?」
そう応えながら更に、イザークはノリコから離れてゆく。
これも、ノリコを気遣っての行動なのだろうか……さりげない気配りに、また、感心してしまうバーナダム。
「話しとはなんだ?」
ある程度、ノリコたちから距離を置いたのを確かめ、イザークは怪訝そうに訊ねた。
「えーっと……その」
少し躊躇い、視線を彷徨わせるバーナダム。
まずは謝らないと、と思い、イザークに声を掛けたまでは良かったが、いざとなるとやはり勇気がいる。
だが、うじうじとしているのも、ハッキリとしない態度を取っているのも自分らしくないと、分かっている。
バーナダムはとりあえず姿勢を正し、イザークと眼を合わせると、
「昨夜は悪かったっ」
と、いきなり、思い切り頭を下げていた。
「…………」
あまりにも唐突な謝罪に、イザークは言葉をすぐには返せず、バーナダムの後頭部を見詰めるばかりだ。
謝られるとは思っていなかったし、何より、彼の言ったことは事実に過ぎない。
確かに、バーナダムの発言で、あの場に気まずい雰囲気が漂い、自身も少なからず辛い思いはしたが、それでも、謝る必要はないように思えた。
「いや、気にしていない」
イザークはそう言いながら首を横に振り、
「謝る必要はない、あんたの言ったことは事実だ」
そう返した。
「けど……」
イザークに言われ、頭を上げはしたものの、バーナダムはどこか納得していないようだ。
済まなそうな表情で、まだ、何か言いたげにしている。
イザークは、『もう、謝罪の必要はない』と伝えるように、もう一度首を振り、
「話しと言うのはそれだけか?」
そう言うと、その場で荷物の片づけを始めようとする。
「あ、いや、実は――話しって言うのは、ノリコのことなんだけど」
素っ気なく、話しを終わらせようとするイザークに、バーナダムは少し戸惑いながらそう切り出した。
「ノリコの?」
「ああ、ノリコを運ぶ方法をアゴルから聞いたんだが、いくらノリコが軽くても、流石に一人じゃ背負い続けるのは無理だろう? だからおれも、背負うの手伝おうか……と……」
イザークの体が、僅かに反応したように思えた。
言葉尻が小さくなってゆく。
話の途中から、イザークの気配が変わってくるのが、感じ取れた。
表情に変わりは見られないが、纏う空気とでも言えば良いのだろうか……雰囲気のようなものが、どこか、刺々しく感じられる。
――なんだ? 怒ってる……のか?
そう思えるような空気だった。
だが、『手伝おうか』と言っただけだ。
とても、怒らせるようなことだとは思えない。
イザークの雰囲気がどうして変化したのか分からず、バーナダムは動きを止めてしまった彼を、怪訝そうに見詰めるばかりだった。
***
『だからおれも、背負うの手伝おうか』
バーナダムのそのセリフを耳にした途端、イザークの脳裏には、バーナダムに背負われるノリコが、そして、互いに笑い合う二人の様が浮かび上がった。
作品名:彼方から ― 幕間2 ― & 第三部の最初だけ 作家名:自分らしく