章と旌 (第三章)
平章は、この時間、荀飛盞が調練所のどこにいるのか、大体の見当は付いていた。
飛盞は、平章の思った通りに、調練所の外れに立っている、大欅の下にいた。
昔から飛盞は、すくと真っ直ぐに立つ、この大欅が好きなのだ。
飛盞は汗を拭きながら、欅を見上げている。
蒙家軍の猛者に、稽古を付けてもらっていたのだろう。
平章はとっくに、己の剣の腕に見切りをつけていたが、飛盞は腕は留まる事を知らず。かつて二人の腕前は、さほど変わらなかったのに、今ではもう、平章は飛盞には敵わない。
事のあらましを聞かせると、飛盞は、心配そうに眉をひそめた。
「何?、平旌??。居なくなったのか?。」
「ああ、、まぁ、、家出するのは時間の問題だと思ってはいたが。東青に見張らせていたんだが、、。やっぱりな。」
「東青だって、腕は立つ、力じゃ平旌より上のはずだ。そんなに強くなったのか?、平旌は。」
「力だけならな。力だけなら東青が上だ。平旌は知恵を使ったのさ。立場上、東青は抗えない。『多少痛い思いをさせても構わない』とは言っていたんだが。」
まさか平旌が、、と思って、飛盞は驚いていたが、平章の言葉を聞いて納得した。
「あぁ、東青には無理だな。」
「あぁ、無理だ。」
「今日は、平旌の姿は見ていないぞ。荀府の方にでも行ったんだろうか?。」
「荀府には行っていないだろう。お前の元に来る気なら、荀府で待つようなことは、平旌ならしない。行き先を探して、必ず直接お前に会うはずだ。」
平章は困ってはいるが、いつも通り、落ち着いているように見える。
それが飛盞には、唯ならぬ様にも見えるのだ。
この男は、非常事態である程に、恐ろしい程に冷静なのだ。
「、、そうか、。平章がそう断言するのなら、そうなのだろうな。
私も一緒に探そう。私はどこを回ればいい?。」
「ふふ、、いや、、私一人で大丈夫だ。たかが弟の家出だ。大事(おおごと)にしたら、平旌の顔が潰れる。あれでかなり自尊心が高いんだぞ、平旌は。」
「あ、、確かにな、、、。ここの他に見当はついているのか?。」
「いや、、無い。」
「何?、ならどうする?。」
「さぁて、どうするか。」
平章は、一つ伸びをした。
「探し出すさ。必死にな。ふふ。」
「お前、呑気だな。あと一刻もしたら、日が暮れるぞ。」
「、、、飛盞、しいっ!。」
「???。」
急に平章が、飛盞の言葉を制した。
程なく、二人は、誰かが背中にぶつかるのを感じた。
「何??、何、何、何??、二人で何の話?。」
後ろから蒙浅雪が駆けてきて、二人の間に割り込んできたのだ。
「どこかへ行くの?、私も一緒に行くわ。」
「小雪か、、実は平、、。」
二人の間に入った浅雪の背後で、平章が飛盞に厳しい視線を向けた。
━━飛盞、小雪に言うな。━━
真剣勝負の時でも、見たことの無いような険しい顔をした。飛盞は視線に気が付いたが、咄嗟で何も考えられない。
「、、、、、章が、屁をこいた。」
「いやだーー!!、やめてよもう!!、平章哥哥がやるわけないじゃない。飛盞哥哥じゃないのよ!!。」
浅雪は大笑いして、飛盞の腕をばんばんと叩いていた。その辺の子女とは力が違うだけに、体を鍛えた飛盞であっても、浅雪に叩かれれば痛かった。
「あっ、、いてっ、、痛いぞ、、やめろ、小雪。」
「変な事言うからよ。もう、、、しないわよね〜、平章哥哥?。」
「するよ。」
「ほらみろ小雪、平章だって人なんだから、屁ぐらいするさ。」
「えー!、うそー!、いや────っ、、、、、するの?。」
「する。」
真顔で平章が答える。
「平章哥哥、、お願い、今やって。」
「ぶっ、、小雪、、ばか、、いくらなんでも、、。」
「今は無理だ。」
妙な要望に、飛盞が笑い、クスリともせずに、平章が答える。
「ねぇ、いつなら出る?。」
「小雪が、、、書の一節でも暗唱出来たら、出るんじゃないかな、、。」
「平章哥哥!、私が出来ないと思って、言っているのね!。」
浅雪の頬が膨らむ。
「小雪、、いくらお転婆でも、子女が男に屁をねだるなんて、聞いたことがないぞ。」
「うるさいわ、飛盞哥哥。私に勝てないくせに。」
「なんだと、小雪、言ったな!。私が手加減してるのも知らずに。」
「ふーんだ、私に勝ってみなさいよ。私に勝ったら、私がオナラしてあげるわ。」
「よし、約束だぞ。小雪が勝ったら、私が屁をこいてやるぞ。」
「いらないわ!!!、飛盞哥哥のなんて!!!。」
浅雪と飛盞のやり取りに、漸く平章の口元が緩む。
「分かった分かった。小雪が買ったら、私が小雪に何か買ってやるよ。」
「ほんと??、平章哥哥がほんとに買ってくれるの??。何でもよ?!。」
「ああ、ほんとに、何でも買ってやるよ。だが、今月はだいぶ使って乏しいから、飛盞、頑張って小雪に勝ってくれ。」
「何なのー、この男ども!。いいわよ、飛盞哥哥になんて負けない。こてんぱんに負かしてやるんだから。そして平章哥哥に、高ーーーいのねだっちゃうわ。、」
「うわ、、どうする?、平章。」
「困るな、、。勝てよ飛盞。頼むぞ。」
「ちょっとー、平章哥哥、それ酷くない?。どうして私に頑張れって言ってくれないの??。もう!、飛盞哥哥なんて、ギッタギタにしちゃうから!。いくわよ!。はっ!。」
「コラ、小雪、またお辞儀もしないうちに、、。」
平章は、いつも通り、三人でのやり取りに、どこかほっとしていた。
取り乱しても仕方がないと、腹を括っているが、焦りは拭えない。
確認の為と、蒙家の調練所に来てはみたが、初めから、平旌が居るとは思っていなかった。
居ないと思っていたのに、平章は心の安堵が欲しくて、飛盞と浅雪の元に寄ったのだ。
時間はなかったが、二人に会いたいと、心が求めていた。
二人に会い、上辺だけでは無い、落ち着きを取り戻した。
━━飛盞の言う通り、あと一刻もすれば、日が落ちる。その前に見つけださねば、、、暗くなってからでは、探し難(ず)らくなる。━━
飛盞と浅雪は夢中で剣を合わせている。
飛盞が自分に気を使って、浅雪の気を逸らしてくれた。
ここから去るならば今だった。
平章はそっと二人から離れていった。
浅雪と剣を合わせながら、飛盞は平章の様子を窺っていた。
平章に睨まれた時は、ぎょっとした。
口ぶりは飄々としていても、平章は心底、困っていたのだと、飛盞には分かっていた。
平章は、飛盞が浅雪の気を逸らしてくれた事に乗じて、静かにこの場を去っていくのが分かる。
平旌の家出を、小さく収めたいのだろう。浅雪に話が漏れたなら、お祭り騒ぎになってしまう。
(平章ならば大丈夫。)
何かあっても平章は、全て『大丈夫』にしてきたのだ。
飛盞と平章は幼馴染、長い付き合いだった。
幼馴染の友は、昔から、人が扱いかねたものが、回ってきても、一人背負って『大丈夫』にしてきた。手伝って欲しい時は、『こうしてくれ』と頼んでくる。
今回は何も言わなかった。
ただ飛盞に、弱音を吐きに来たのだろう。
小さくなる後ろ姿を、視界の端で見送りながら、
(頑張れ)
そう思った。
「やっぱり居た。」
まだ辺りは明るいが、程なく日は傾き、陰りを見せるだろう。