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炬善(ごぜん)
炬善(ごぜん)
novelistID. 41661
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CoC:バートンライト奇譚 『猿夢』 中

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 ドアの勢いとは裏腹の、へたへたとした足取りで、中から一人の男性が歩み出てきた。
 サラリーマン風の、中年男性だ。猿ではない。
「やあ、助かった」
 彼は笑顔で呼びかけてきた。
 安堵が一気にこみ上げてきた。自分達と同じく、怪異に巻き込まれた人間がいたようだ。
「おお、君――!」

 男はうつぶせに倒れた。
 何の受身を取ることもなく。
「え」
 男の上体は顔面から地面に打ち付けた。
 砂塵が一気に舞い上がり、バリツは思わず顔を覆う。

「どうした……――っっ!?」

 気づいた真実に、絶句した。

 男の後頭部に、大きな穴が穿たれていた。
 中に脳はない。ただただ、赤黒い深淵のみ。
 思わず自らの口を覆った。
 全身から血の気が引く感覚を覚え、叫びだしたい衝動が、こみ上げる。

「なんということだ……これはっ……!」
「うおお、なんてこった……!」

 斉藤もまた、隣で驚嘆する。
 彼は、屈みこみ、倒れた男性の観察を開始する。
 この死体を前にしても、この胆力。恐怖の中でも、やはりこの男は揺るがないと、バリツは舌を巻いた。

「いや~しかし、よくできた人形だなあ、これ」
「……え?」
「俺ならもっと、ああしてこうするのになあ」

 ……なにやらおかしい。
 前提条件から食い違っている気がする。

「あの、斉藤君これ……」
 バリツは斉藤の肩越しに、おずおずと、倒れた男性を指差す。
「本物の死体じゃないの――?」
「え、人形だろ? バリツ」
「いや、そう思いたいが……まあ、脳がないのにいきなり歩いて出てくるとか説明がつかぬけどサ……」
「いや、だから、人形だろ? こいつ? ――え、いや、待て」

 斉藤はくるりと背を向けると、顎に手を当て何かを考え始める。
 ものの数秒で、脳内にて何かが導き出されたらしい。
 再度くるりと向きを変えると、再び死体――あるいは死体めいた人形――の観察を開始する。今度は実際に手で触れながら。 

  ある程度の検分の後、突然、彼は頭を抱えた。

「そ、そんなバカなあ~!?? 死体じゃねえかこれ~!!!!」
「それみたことかー!」

 実は本物ではなく人形でした、という結果をあわよくば期待していたバリツであったが、どうやら間違いなかったらしい。

「斉藤君、余計恐ろしくなってしまったぞ……!」
「いやー、ごめん。バリツ。いやしかし、何でこんなところコイツはいたんだろうな?」
「全く検討もつかぬ。それにこの頭は……一体?」
「わからねえが――……」

 斉藤が、言葉に詰まった。
 バリツは、彼の表情に曇りを見た。 
 「猿がやったのかもしれない」――その考えに至ったのであろう。

 彼の話によれば、猿はこのような残虐な振る舞いをするはずはないし、するとしてもホラーアクションの一環。本当に人殺しをするはずはないらしい。

「……あいつらの仕業とは思いたくねえなあ~」

 とはいえ、死体を目の当たりにして、斉藤は認識を改めざるを得なくなっているのかもしれない。
 彼は猿を友として信頼していたはずだし、どうやら猿達も彼には仲間意識を抱いている様子だ。バリツにも、斉藤の戸惑いは伝わってきた。

「おや……?」

 ふと、バリツは男の手の先に、きらりと光を反射する何かを見出した。
 小さな鍵だ。
 拾い上げ、観察する。
 
 ――手書きの「87」の文字が、キーリングで繋がれたプレートに記されていた。

「どこかで見覚えがある数字だが……なんだったか?」
「わからねえな~。まあとにかく……いったんここを出るか」

 バリツは斉藤に続いた。男を少しでも弔いたかったが、恐怖が勝ってしまい、振り返ることができなかった。
 
 男子トイレを出ると、休む暇はないとばかりに、目の前には女子トイレの入り口がそびえている。

 ガリガリ、カンカン……ガッ!
 不気味な作業音は、入る前と変わることなく響き続けていた。

「斉藤君……」
 バリツは小さく斉藤に呼びかける。
「情けないが私……めちゃめちゃビビッている」
「気持ちはわかるぜ」
 死体が本物であることを知ってしまい、少なからずショックを受けたはずだが、斉藤はバリツよりも気持ちを早く切り替えているように見えた。

「ひょっとすると今度こそ猿がいるかもしれないな」
「斉藤君、けっこうやばいんじゃないかなそれ……」
「まあ任せてくれよ、バリツ。俺が先に行くぜ」
 
 かくして、二人は女子トイレへと足を踏み入れた。
 
 小便器がない他は、男子トイレと差は見られなかった。
 だが、いちばん奥の個室は明らかにおかしい。
 ドアが開いているだけではない。掘削された地面と思しきタイルや、石ころが、角にうず高く重なっている。
 そして、何かを削り、叩く音は、より鮮明だ。

「斉藤君、これは私は出たほうがよいのでは……?」
「いや、大丈夫だ」

 斉藤の足取りはゆっくりだが緩まない。
 友の言葉を信じ、しかしながら警戒を緩めることなく、バリツは続く。
 
 奥へ歩みを進め、最後のトイレに到達した斉藤が立ち止まった。
 呆然とした様子で、目を見開いている。
 バリツはちらりと、斉藤の背後から中を覗く。

 ――にわかには信じがたかった。
 そこにいたのは、まぎれもなく一匹の猿。
 小学生ほどの大きさ。
 ヘッドホン――というよりもイヤーマフというべき代物で、周りの音を遮断しながら、工具で地面を掘っている。
 便座があったはずの場所には、変わりに大穴が形成されつつあった。
 あの悪夢の電車で、一瞬みた猿達は、体の一部がサイボーグめいて、機械に置換されていた。
 ところがこの猿は、あの猿達と比べると、より本来の猿に近い形態に見えた。

「――おい、マジかよ!」
 にわかに斉藤が叫んだ。

 その声が、微かに聞こえたのだろうか。
 猿がのそりと肩をもたげるのを見たバリツは、とっさに手前の個室に飛び込んだ。
 振り返ろうとしていたに違いない。間一髪気づかれなかっただろうか?

 だが、斉藤はどうだ?
 猿にあっても任せてくれ。猿はいいやつといっていたが――

 ギャー! キーッ!

 猿の雄叫に、バリツは飛び上がった。
 バリツは悲鳴を上げたかった。
 ほんの板切れを挟んだ側で、猿が牙を剥くというのか!?
(斉藤君――っ!?)


☆続