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炬善(ごぜん)
炬善(ごぜん)
novelistID. 41661
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CoC:バートンライト奇譚 『猿夢』 中

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7、おーい



(斉藤君――っ!!?)

 斉藤の危機と判断したバリツは今にも、後先を省みず飛び出しかける。
 だが。

「エリック! エリックじゃねえか!」
 喜びの声に、バリツは自身の全身へと「ストップ!!」の号令を急発信した。
 かくして聞き入った。猿の雄叫びも、ピタリと止んでいるではないか。

「――なんだオマエか、斉藤」

 猿がしゃべったらしい。すっかり拍子抜けしたような口調だ。
 声でしか窺い知れないが、悪夢の電車の中、惨劇を繰り広げていた猿たちのイメージとは明らかに乖離していた。

「いや~、エリック! 久しぶりだなあ、元気にしてたか?」

 斉藤は、板切れを隔てたすぐ側にバリツがいるのも、すっかり忘れてたかのように語りだす。彼らはどうやら旧知の仲らしい。
エリックと呼ばれた猿も、斉藤に応える。

「まあ~、ボチボチってとこだな。そういうオマエも壮健そうでなによりだ」
「ピンピンしてるぜ! いやしかし、あの夢ん中で初めて仲良くなったお前とまた会えるとはな。嬉しいぜ」
「うむ。真に奇縁だな。良きカナ」

「ちょっと前に、鳥取や秋田たちに助けられたんだけどよう……鹿児島に青森に、滋賀たちは元気か?」
「どいつもコイツも、まあ元気だゾ。というか、コノ駅に来てるはずだゾ」
「マジか! 会いたいなあ~!」
「オマエが人間ドモに巻き込まれて、ココを訪れたことも知っているハズだ」

(なんでエリックはエリックなのに、他の猿達の名前は都道府県なんだろう……)
 バリツはツッコミたい衝動をこらえるが、ふと気づいた。

 どうやらこの駅のどこかに、猿の仲間がいるということになる。
 しかも、斉藤以外の人物――自分達がこの駅に来ていることを知っているらしい。
 斉藤と話す様子からは、一切敵意が感じられず、あの悪夢がまさに悪夢そのものだったかのようにすら思える。
 だが、背後にいた人間が斉藤であると認識する直前の、あの雄叫び。
 果たして、斉藤以外の人間が猿達と接触したならば……?
 バニラとタンの安否も気がかりだ。

「ああ、そうだ」思考する傍ら、斉藤が口を切った。
「それなんだよ。そもそもここはいったいどこなんだ?」
「ドコときかれてもなあ。ココは『きさるぎ』駅だろ?」
「きさるぎ駅?」
「知らんのか? イヤ、そうか……オレは元々ココにいる存在。斉藤は猿の身で人間ドモの世界に生を受けた存在。考えてみれば、質問するのもムリはないな」
「まあなあ~、俺もみんなと同じ故郷がよかったぜ」
「住まいは異なれど、オマエは俺たちと同族。案ずるコトはナイ」
「嬉しいぜ、エリック」

 どうやらエリックは斉藤のことを、完全に生まれの異なる同族と認識しているらしい。

 猿にあわせて話す斉藤の図は、ある種コントめいてもいた。
 だが、状況が状況だ。喫茶店での告白を予め耳にしていなかったならば、(それもまたコントめいているのかもしれないが)彼の正体が猿であると勘違いしかねなかった。
 バニラが、目覚めた電車内で斉藤を疑ったのも、自然だったのかもしれない。尾取村での怪異やその後の交流を共にしていなかったならば、尚更だ。

 猿は、話を続ける。

「とはいえ、ココをドウ説明したものかは難しい。ただ、オマエは一刻もはやく脱出したほうがイイゾ」
「そうなのか? しかしよ、エリック。ここからの出方がわからねえんだ」
「ナンだ、そうだったのか。単純だ。駅のホームにやってくる、人間界行きの電車に乗ればイイ」
「おお、そうなのか?」
「オマエはトモダチ。確かな情報だとも」
「しかしよ、切符はいるだろ? さっきあそこの券売機で切符を買おうとしたけど、無理だったんだ。金が飲まれちまう」
 
 バリツが切符を買おうとしたことは、さり気無く隠してくれている。
 それにしても、重要な情報だ。バリツは耳をいっそうそばたてる。

「当たり前だ斉藤。人間界の通貨を使ったのだろう? コノ世界の通貨でなくてはダメだ」
「なるほどそうか!」
「今コノ場でオレが貸してやりたいのはヤマヤマだが……スマヌ斉藤、今は手持ちがなくてな」
「気持ちだけでもありがたいぜ、エリック」
「だが、駅構内を探してみるとイイ。例えばコインロッカー当たりなら、硬貨が見つかるハズだ」
「え、それ、使っていいもんなのか?」
「オレたち猿は人間ドモと異なり、落ちている金に執着などせぬ。真に必要なモノ――今ならば、オマエが用いるべきだ」
「ありがてえ、ありがてえぜエリック」

 一瞬の間を置いて、斉藤がたずねた。
「なあエリック。迷い込んでるのは俺のダチなんだ。見逃すわけにはいかないか?」

 クリティカルな質問の一つだ。
 直接的な言及こそしなかったが、先ほどのトイレの死体を見ての問いかけであることは想像に難くなかった。
 尤も、まだあれが猿の犯行であると確定したわけではないが、やはり猿達も無関係ではないと、悟ったのであろう。

「人間ドモのことか?」
 だが、猿はきょとんとした様子で即答する。
「そんなこといっても、アイツらは猿じゃないじゃないカ」
「うーん……! なるほどなあ~!」
(うーん……! なるほどなあ~!)

 思わず胸中で、斉藤と異口同音に応えてしまう。
 尤も、そもそも斉藤も、本当は人間……のはずなのだが。

 ともあれ、バリツは改めて確信した。
 自分達は、猿と会ったならば、無事とはすむまい。

「ソウいえばコンナ物がおっこってるのをみつけたゾ」
「ん? これは……ペンチか? 何か違うようだが」
 どうやら猿が、斉藤に何かを手渡ししたらしい。
「オレには無用の長物だが、とりあえずオマエがもっておくといいんじゃないか?」
「ありがとう、エリック」
「オレはまだココでやるコトがある。オマエは早くでたほうが――」

 その時だった。

「……おーい!」

 うっすらと、呼び声が聞こえた。
 女子トイレ内に、沈黙が降りる。
 バリツは急激に嫌な予感を覚えた。気のせいであって欲しかった。
 だが、声は繰り返した。今度はより、ハッキリと。

「おーい!!」

 間違いない。声の主は――タンだ。

「――ヤツらだ!!!」

 突然、猿が叫んだ。バリツはすくんだ。
 それまでの穏やかさはどこにもなかった。

「え、おい、どうしたよエリック――」
 
 困惑の声に続き、ドタドタ音がしたかと思う間もなく、猿が隣の個室から飛び出してくるのが分かった。
 慌てて、猿の死角――トイレの内壁に全身をぎゅっと寄せる。
 間一髪、どうやら気づかれなかったようだ。

 バリツは、肩を怒らせた猿の後姿を見た。
 どこに隠していたのか。その毛むくじゃらの右腕にはチェーンソーめいた機械が収まっているではないか。

 奇声を上げながら、猿は猛然と走り去った。

 想像を巡らせるまでもない。
 彼の狙いは、何かの理由で呼びかけている(何やってるんだ我が助手は!?)タンの命に他なるまい!

「ま、待て待て!!」
 追う斉藤に、バリツも慌てて――距離は保ちながら――続く。

 斉藤の後姿を追うように、トイレを飛び出したバリツは見た。
 駅構内の中心に、目を丸くしたタン。