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炬善(ごぜん)
炬善(ごぜん)
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CoC:バートンライト奇譚 『猿夢』 下

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9、何があっても開けるな



 危機を乗り越えたわけだが、いったいどのような経緯があったのか、不可解なことがあまりにも多かった。

「それで――」バリツはタンと斉藤に尋ねる。
「二人が幼女と会った後には、何があったのかね? 何故タン君は失神していたのだ?」
「ワイも途中から何がなにやら……」
「まあ、俺も話すぜ」

 斉藤とタンが話した経緯は、以下のようなものであった。


 斉藤よりも先にホームへ真っ先に到着したのは、タンであった。
 彼はベンチから起き上がっていた幼女に対し、

「猿に殺されそうなんや、詰んだ助けて」

 等と呼びかけたらしいが、「で?」といいたげなしかめっ面を返されたのみだった。

 その時、追いついた斉藤が改札バサミを手渡し、バリツとバニラが猿に殺されかかっていることを説明した。

 少女は鋏をじっと見つめた後、満足げに頷いた。
 そしてタンをじっと見つめるなり、ポンと跳ねると、タンの頭を両手で鷲づかみにした。
 斉藤の目の前で、タンの中から輝く何かがどんどん吸い込まれていき、それが終わるなり、タンはホームの端まで投げ転がされる。

 そして幼女が腕をピッと一振りすると、ホームに自分達が瞬く間に現れた。


 ……以上がことの顛末らしい。


「こうして振り返ると端的ではあるが――つくづく、あの少女はとんでもないな……」
「まあ、どうやら実際、敵ではなかったみたいだね」
「ああ。タン君がなにをされたかはよくわからないが……何にせよ無事なようだ」
「うう、ワイもよくわかんないけど、あの子になんかすっごく大切なモンを吸われた気がするで……」
「お前にはないほうがいいモノなんじゃないかな、それ」
「バニラひでえな!」

 つまる所、あの少女は、魔法めいた不思議な力で自分達の窮地を救ってくれたようだ。尤も、それに伴い、タンに何かしらの代償を求めた様子であったが……。

「まあさておき。やはりあの改札バサミこそ、あの子にとっての探し物だったのであろう。それを受け取ることで頼みを引き受け、力を行使するために、タン君の……何かを吸い取ったのであろうな」
「何だ? ゲームか何かでいうMPとか魔力みたいなものか?」
「あるいは命そのものだったりして」
「バニラ~! もー、やめてや~……」

「ってかよう、タン。お前自分だけ助かろうとしてたんじゃねえだろうな」
「タン君。私も見ていたゾ……」
「おまけに、いきなり対価もなしにお願いするような態度じゃ、あの幼女に嫌な顔されるのも無理ないんじゃないかなあ」
「いやいや、だってあんなん誰だって――。あ――……」
 タンは一瞬反論しかけるが、間もなくしょんぼりと謝罪する。
 否定はできないと考えたようだ。
「大変申し訳ありませんでした、やで……」
 
 項垂れるタンを前に、バリツは口元を緩め、肩をすくめる。
 忽然と姿を消したあの少女の正体についても、疑問が尽きることはなかった。
 だが今は、自分達の命が助かった状況を、噛み締める他ないのかもしれない。その過程はどうあれ。

 バニラが提案する。

「とにかく、落ち着いたことだし、今度こそ駅長室に向かわないかい?」
「その通りだね。ここもこれ以上の長居は、非推奨であろう」

 頼みの綱である幼女の姿は、ここにはない。もし次に猿に鉢合わせしようものならば、今度こそ後はないかもしれない。

 斉藤を先頭にして、一同は改札口を抜け、駅長室を目指して構内を進む。

 あたりは、猿達の臭いが、より鮮明に残っていた。
 バニラが崩した木箱やガラクタの散乱も、そのままであった。

 あの瞬間が現実のものであったことを、バリツは改めて思い知る。
 これまでで尤も痛烈な、切迫した「死」の瞬間を。

(もし幼女がいなければ……今ごろ私たちは――)

「おっと」

 その時、バニラが立ち止まる。
 コインロッカーと改札の中間地点。
 自分達の右側に、紙コップ式の自販機があった。
 そういえば、コインロッカーは調べたものの、この自販機については詳しく調べる機会がなかった。

 おーい!の件が起こる前、タンは一人でこの自販機を調べたといっていた。
 だが、奇妙な飲み物が並ぶほかは、特別な発見には至らなかったはずだ。

「バリツ。小銭を借りてもいいかい?」
「構わないが……一見すると、マトモに飲めるような代物はなさそうだね」

 この世界に来てから様々な怪異や脅威を経験し、喉の渇きは多いに否めなかった。
 だが、目の前の薄汚れた自販機のラインナップは、よく見ればいかがわしい品ばかりだ。オイルコーラ、シンナーサイダー……ゲテモノ飲料といった域ではあるまい。そもそも本来飲料になりえないような液体だ。
 おまけによくみれば番号も1、2、3、4などではなく、80~100番の、不自然な並びだ。

「猿たちの飲み物と考えるのが自然だからね。でも、ちょっと考えがあるんだ。先に行っててほしい」

 自販機に集団で留まっているのも、時間が惜しい。そうした意味合いもあるのかもしれない。
 バニラに促され、バリツたちは駅長室へ向かった。

 駅長室に到着するなり、タンは「ちょっと中から物音がしないか確かめたい」と耳をそばだてようとしたが、斉藤が軽く(とはいえかなり強めに)拳骨し、制止した。

「タン! もうお前は余計なことはするなって!」
「はーい……」
「あー……うん、二人とも、ひとまずこの鍵が入るか試してみるぞ」
「頼むぜバリツ」

 不自然なほどに頑丈なことが見て取れる金属製の扉であったが、手に入れた大きな鍵を差し込むと、解錠に成功した。
 
 中に足を踏み入れると、嫌な厚みを帯びた空気が、五感を刺激した。
 もうどれほど換気されていないのだろうか。

 左側の壁には、鉄格子が施された大枠の窓が設けられており、こぼれる光が、中をほのかに照らし出している。決して明るい部屋ではないが、見渡すことに差し障りはなかった。

 「駅長室」というからには、作業道具や書類が多くあるものと思われたが、中は思いの他簡素だった。テナントが退去した後の、ビルの区画にすら近い第一印象だ。

 パッと視認できたのは、大きく3つ。
 左奥の作業デスク。右奥のロッカー。
 そして真正面。天上際の壁に飾られた、無機質な時計。
 時刻は10時10分。
 
 手がかりを求めて、バリツは作業デスクの足元の引き出しに手をかける。
 そこは施錠されていたが、テーブル下の引き出しは、すんなりと開いた。

「何も……ない?」
「よく見いや。奥に紙があるみたいやで?」

 どうやらこの引き出しは、完全に引ききる前に何かに引っかかってしまっていたようだ。見下ろすバリツの目線と異なり、後ろから覗き込んだタンは死角に阻まれず、更に奥を見通せたらしい。
 タンの指摘を受け中に奥に手を入れると、一枚の紙が指先に触れた。
 手の平大の、簡素なメモらしい。

 つまみあげ、紙面を確認した瞬間、バリツの背中に急激な悪寒が走った。

 『今すぐ鍵を閉めて やつらをやりすごせ』

「――え」

 まるで自分達の姿を見ているかのようなタイミングではないか。
 たった一枚のメモ。密室に放置されていたメモ。
 何故こんなことが?