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炬善(ごぜん)
炬善(ごぜん)
novelistID. 41661
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CoC:バートンライト奇譚 『猿夢』 下

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10、現



 一同の視線の先に立っていたのは、トイレで作業を行っていたはずの猿、エリックだった。
 同胞の屍の中に立ち、こちらをじっと見つめるその姿は、どこか悲壮でもあり、どこか鬼気迫っていた。

「エリック! お前、無事だったのか――……あ」

 斉藤は一瞬、喜びをあらわにしたが、間もなく押し黙った。

 理由は想像に難くない。
 斉藤は、タンの処理を任された身であったのだ。
 だが実際、タンは生きている。どころか、先ほどはエリックの目撃を逃れた人間――バリツとバニラの姿までもがそこにある。
 
 エリックの右腕には、肉裂き機というべき、小型の電動工具が握られていた。
 これまでの猿が有していたものや、「おーい」の件の際、タンへ向かう時に持っていたものよりも明らかに小振りだが、それが与える激痛は容易に想像できた。

 皆、身動きができなかった。
 数瞬の沈黙。

「数秘術において、87は6にナル」

 エリックが口を切った。苦々しげに。

「その意味は、完全、調和、創造性の高まり、堕落――我が主に相応しき数字というワケだ」
「……君は話を聞いていたのだね」

 乾ききった口で、バリツは語りかけるが、エリックは鋭い視線で睨み返すだけだった。
 その視線は、斉藤に向けられる。

「ナア斉藤」
「あ。お、おう?」

 低い声で、エリックは続ける。

「斉藤よ――こいつらと外に出るつもりナンだろ?」
「い、いい、いや違うよ! 俺は――こ、こいつらを盾にするつもりだよ?」
「皆まで言うな斉藤。オレは、オマエの考えはちゃんと分かっている」

 エリックが、右腕の工具を抱え挙げ、にわかに歩みだした。
 皆に緊張が走った。
 バリツは思わず、身構える。

 だが、エリックがそのまま向かったのは、自分達ではなく、自販機だ。
 見守っていると、彼は自販機のコイン投入口に、マシンの刃を押し当てた。強烈な電動音と、金属が引き裂かれる音が響き渡った。

「何のつもりだ――?!」

 耳を塞ぐバリツたちの前で、間もなく自販機に横長の大穴が開いたかと思うと、エリックは中に手を入れた。
 つかみ出したのは、複数の硬貨だった。

 彼は斉藤へとぺたぺたと駆け寄ると、つかみ取りした硬貨を彼に手渡す。

「ロッカーの小銭だけでは足るまい。だがコレで人数分の切符が買えるハズだ。どの切符を買おうとも、人間界へ行くならば問題はナイ」
「! エリック、お前――!」
「斉藤。そして人間ドモ――」

 エリックは、ゆっくりと語りだす。
 人間ども……どうやら彼は斉藤にだけでなく、自分達全員に何かを伝えようとしている。

「あの都市伝説は、我が主が広めた言霊ダ」

 あの都市伝説とは、塵芥川が喫茶店で話したものに相違なかった。
 彼は今、真実を打ち明けているのだ。バリツは、固唾を呑み、耳を傾ける。

「誘いへの耐性を持たぬもの、胸中に自殺願望を秘めたモノが一度でも聞けば、ソノ者の魂は連れ去られ、アノ電車で挽き肉にされる。現世の肉体もいずれ持ち去られ、主たちの下に届けられる。現実では失踪事件の一環として写るというワケだ。だが、それで捉え切れなかったモノは、コノ『きさるぎ駅』に連れ去られ、孤独と恐怖を与えた上で挽き肉にされるのだ」

「――何のために……?」

 バリツの質問に、エリックは苦々しげに眉をひそめる。

「極上の痛みと恐怖に染まった検体を――主は求めていたというワケだ」
「なあエリック。聞いてもいいか? 何故今更そんなことを俺たちに教えてくれるんだ?」
「見限られたのだ……我が主に!」

 シャーッ! 怒りの威嚇音が一瞬、犬歯を有するエリックの口から飛び出し、タンが震え上がった。
 エリックは、意に介する様子も無く、続ける。

「オレたちサルはそもそも、人間ドモに居場所を追われた、自然界の化身だ。そこを主……ミ=ゴにつけこまれた。ヤツは人間たちを追いやり、オレたちに居場所を与えると約束した。そして言葉巧みに、オレたちに機械化と洗脳を施したのだ。少しずつな」

「皆が仰々しいカッコをしてたのは、そういうことだったのか……」

「そうだ。機械化が進めば進むほど、その猿は従順なクグツと化していくのだ。尤も、オレは適正がないモノとして扱われていたから、肉体がまだ多く残っているケドな」

「そもそも、ミ=ゴってのは何者なんだ?」

「ヤツはこの地球の外からやってきた生命体だ。昆虫めいた羽根で飛行し、人間以上に高度な知能を有し、人体実験を好む。人知れぬあらゆる方法を持って、検体を連れ去るのだ」

 そんな恐ろしい存在が、この世界にいる。
 その現実に、バリツは息を呑んだ。
 駅長室で聞いた羽音の正体は、恐らく――。

 エリックは続ける。

「ソンナ、ミ=ゴが思いついたのだ。効率よく検体を集める手段として、都市伝説を利用しようとな。噂話の言霊に魔力をのせ、人間の間に広める。ソノ言霊と合致する夢の世界で電車を作り、駅を作り、人間ドモを収獲する……とな」

 そんなことが可能であるのかと、問うことは憚られた。
 現実に、自分達はそれに巻き込まれているのだから。

「ソノ手始めとして、ミ=ゴはオレたち猿に、都市伝説の魔力に囚われた魂を収穫する電車を、夢世界で作成させた。そんな時だ。斉藤――穢れた人間の世界に、お前という同族を見出したのは」
「え? あ、俺?」
「恐らくオマエは、俺たちのような存在と縁する、何かのきっかけに触れたのだろう」

 エリックの考察には、思い当たるところがあった――『尾取村』での怪異だ。
 あれに巻き込まれたことが呼び水となり、此度の更なる怪異を招きよせたというのだろうか?

「アノ歓喜は、オレたちがミ=ゴたちに植えつけられた、人間への殺意を忘れさせるほどだった。殺戮の電車を造るのではなく、ホラーエンターテイメントとしての電車を俺たちは斉藤と共に築きあげたのだ」

「エリック。お前……」

「尤も、電車が完成し、オマエと分かれた後は、再びヤツらの支配化に置かれてしまったがな。オレたちは元よりキサマら人間を憎んではいるが、無闇な殺戮を好むワケではない。だが、ヤツに施された洗脳により、人間を前にすると、殺戮衝動が抑えられぬのだ」

「え、ちょっと待ってや」タンが指摘する。
「じゃあそもそも、何でおまいさんは今、俺たちを前にしても平気なんや……?」

「オレたちが主に不要とされたからサ。もはやコントロール下ではない」

「斉藤君は――夢で出会った君達のことを、とても友好的だと語っていた。ところが、タン君を目にした時の、あの態度の豹変は、そうした経緯もあったのだね」

「ナンだ貴様。あの場に居合わせていたのか?」

「ああ。物陰に隠れていたんだ。盗み見ていたことになり、申し訳ないが……」

「ふん、マア良い。些細なコトだ」

「それにしても不要とされたとは……なんと理不尽な話だ……」

「でも、何故君達の主は、君達を不要と見限ったんだい?」

 バニラが問うと、エリックは呻いた。

「所詮オレたちは雑用係の捨て駒――アイツらが真打だったというワケだ」

「いや待てよ。あのデカブツもよ、元は猿じゃねえのか?」