Tokyo Boogie Days(未完)
神出鬼没を具現化したような男である。
冥界在住のオルフェの元に東京の沙織から連絡があったのは、パンドラが彼女の元に希望を伝えに行った次の日であった。
アテナから直接電話がかかってくるとは思っても見なかったオルフェは流石に驚き、何度も何度も瞬きをした。
地上や聖域との連絡は、いつもEメールなので。
「アテナ、よく僕のケータイの番号をご存知でしたね」
少々呆けたような様子でオルフェが呟くと、沙織は柔らかい口調で、
『星矢や瞬から聞きました』
「ああ、そうですか」
聖戦時の冥界での出会いが縁で、オルフェはこの二人とはケータイの番号やメルアドを交換している。
東京のレコード店情報をたまに送ってもらっているのだ。
「アテナ、失礼ですが、僕に何か御用でしょうか?」
『一刻も早く伝えたいので、電話にしました。私はジュデッカ直通の電話番号を知らないので』
アテナや聖域は、冥界とはEメールや手紙の他、オルフェを介して連絡を取っているので、電話番号を必要としなかった。
「では、そんな火急の用件が……」
『ええ。パンドラにこの電話を切ったらすぐに伝えて下さい。先日貴女から希望のありました一輝との東京見物、10日後に決まりましたと』
予測を遥かに超えるアテナからの言葉に、オルフェの脳は一瞬頭蓋骨から飛び出した。
『あ……あの、アテナ、今、おっしゃったのは、“一輝との東京見物は10日後”という内容でよろしいのですよね?」
自分でも復唱してみるが、どうも現実感が無い。
ラダマンティスに気だてのいい幼妻が出来たという言葉と同じくらいに、現実味が無い。
『頼みますよ、オルフェ』
「……御意」
通話が切れる。
切れた後、なんだか無性におかしくなって、思わず顔が緩む。
「東京にパンドラがねぇ……」
緩んだ顔はいつの間にやら、非常に人の悪い笑みに変わっていた。
絶対に、正義を守る聖闘士の顔ではない。
その電話を横で聞いていたファラオは、呆れたようにこの愛すべき隣人の顔を眺めると、
「お前、今自分がどんな顔をしているのかわかっているのか?」
「さぁ?」
柔らかい、笑み。女性的にも見える、綺麗な笑みである。
その笑顔を見たら、ユリティースがこの男に惚れてしまったのも納得できる、気はする。
あくまでも、気はする、程度だが。
「……おまえ、本当にアテナの聖闘士だよな?」
「どうして?」
「いま、すっごく悪い顔をしていたぞ。私が呆れるくらいに」
渋面を作ってそう教えてやると、オルフェは笑みを崩さぬまま、
「冥界軍の君から見ると、悪い顔に見えるのかもね」
「言ってろ!」
まったく、この男は口が減らない。
冥界に懇願にやってきた時の、あの壊れそうな繊細さは一体どこに行ってしまったのだろうか。
今目の目にいるのは、見た目はデリケートそうだが、中身は非常にタフな一人の聖闘士だ。
「こっちにいる間にタフになったんだよ。敵地で暮らすには、精神的に強くないとやっていけないからね」
「言ってろ!」
悪態を付き合う、両軍を代表するミュージシャンたち。
この二人、口では散々罵り合っていても、実はお互いのことは認め合っていたりする。
オルフェは軽く身支度を整えるとファラオに留守番を頼み、ジュデッカに向かった。
アテナの命令なのだ。
一刻も早くパンドラにその事を伝えねばならない。
ジュデッカの大広間でオルフェからの報告を受けたパンドラは、報告を受けた直後は平然としていた。
その様に、意外そうに目をパチクリさせる白銀聖闘士。
彼の予想では、自分の報告を受けたパンドラは顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに両手で顔を覆うはずだったのに。
いつも通りの、冥界の女統治者の顔だ。
『何だ、予想が外れたな』
パンドラは一輝に恋愛感情を抱いていて。
彼とデートをしたいから、アテナにあんなお願いをしたのだと思っていたのだが。
『普通に東京見物がしたかっただけか。一輝ならパンドラを怖がらないしな』
面識のある星矢や瞬に東京見物のナビゲートを頼んでも、2人共彼女とはろくな思い出が無いだけに、大きく首を横に振って断るに違いない。
特に瞬は……。
「アテナからの伝言は伝えたから、僕はこれで」
「ああ、ご苦労」
一言ねぎらって、自分の部屋へ戻っていくパンドラ。
その背中や足取りは平生のもので、パンドラの周章狼狽(ヘルタースケルター)を期待し見たがっていたオルフェは、
拍子抜けする他無かった。
しかし彼女は、ハーデスの姉として人生を歩んできた冥界の統治者。
ハーデスの代理として冥闘士を束ねる者。
ジュデッカで玉座の前にいる時は、そう簡単に本心をさらけ出さないのだ。
バン!!と耳障りな音を立て、ピッシリとドアを閉める。ドアだけではない。
何故か鍵まで閉めたくなって、パンドラは後手で施錠する。
カチ……と鍵のかかる音が耳に届いた途端、パンドラの白い首筋や頬に朱が差す。
クールさをたたえていた瞳が熱く潤み、酸欠の金魚のように何度も何度も口をパクパクさせる。
けれども、言葉が出ない。
かなりの量の空気を胃に送り込んだ後、ようやく出た声は非常に細く頼りないもので。
「どうしよう……」
ああ、どうしよう。本当に希望が通るとは思わなかった。
一輝はなかなか連絡が付かないと聞く。だから、ダメ元で頼んでみたのに。
まさか本当に、一輝と東京見物する事になるとは……。
「一輝も私の東京見物に付き合ってくれるだなんて、もしかしたら……」
ベッドの上に寝転ぶと、薄桃色の想像が彼女の脳裏を支配する。
もしかしたら一輝は、私の事を嫌いじゃないかも知れない。
もしかしたら一輝は、私の事を好きになってくれるかも知れない。
もしかしたら一輝は、私の事を好きかも知れない。
甘い甘い、自分に都合のいい妄想。
手を繋いで、瞳と瞳を交わして、パステルカラーに染まった春の東京を一緒に歩く……。
と、そこまで考えが及んだところで彼女は両手で顔を覆い、自分自身を叱り飛ばすような大声で叫んだ。
「私は何を考えているのだ!」
ベッドの上で寝返りを打つパンドラ。
そうだ。これは仕事だ、任務だ、勅命だ。
女神か教皇かが、一輝に命じて自分の供をさせるのだ。
「故に、これは彼奴が自発的にしたことではない。何を考えてるのだ」
枕の上に突っ伏し、呪文を唱えるかのようにその言葉を口にする。
そうだ。これは、一輝の本意ではない。
命令だから、やるのだ。
別に自分に好意を持っているからではない。
そんなの、わかっている。理解している。
けれども、それなのに。
どうしてこんなに寂しいのだろうか。
どうしてこんなに悲しいのだろうか。
自分は好かれているわけではない。
それを考える度に、喉の奥から辛いものがこみ上げてきて、目の奥が熱くなる。
わかっているはずなのに。
充分にわかっているのに。
嫌われるだけのことを、自分は彼にしたのに。
どうして嫌われたくないと思ってしまうのだろうか。
『私はおかしい』
心の中で自嘲するようにそう呟いたパンドラは、無性に眠たくなって目を閉じた。
そんなパンドラだが、オルフェからの東京見物の話を受けてから無意識のうちに浮かれているようで、彼女の配下である冥闘士たちは上司の妙な変化に気付いていた。
「おかしい」
作品名:Tokyo Boogie Days(未完) 作家名:あまみ