BLUE MOMENT15
腕に軽く触れられて振り向く。
「それ、丸めればいいのか?」
なぜ、まだ士郎はここにいるのだ……?
「アーチャー? どうした? 疲れてるのか?」
「い、いや、その、な、なんだ?」
厨房を出ていくのではなかったのか?
「だから、それを丸めればいいのかって」
「あ、ああ、そうだが……」
「んじゃ、手伝うよ」
「え……?」
「なに驚いてるんだ? それ、デザートのなんだろ、夕食時の。だったら、さっさと終わらせないと飯の準備ができないじゃないか」
「……ああ、そうだが…………」
「変なアーチャーだな。ほんとに大丈夫か?」
ひらひらと私の目の前で手を振る士郎に顔をしかめる。
「調子が悪いなら休むか? やること指示してくれれば、後は俺がやっとくけど?」
「いや、平気だ」
「そうか? なら、いいけど。ところでさ、これの大きさって、揃えなきゃダメか?」
掌の上でまとめた白玉粉を私に見せて確認を取ってくる士郎に頷く。
「もちろんだ」
「だよな」
苦笑いを浮かべた士郎に呆けながらも、きちんと受け答えをする。調子が悪いのかと何度も確認させるのも気が引けるし、士郎と二人きりになれたこの機会を有効に使わなければならない。
「士郎、」
だが、私を避けているのか、などとは訊けない。
では、何を話せば……?
「なんだよ?」
「…………お前は、疲れていないのか?」
悩んだ挙句、そんな当たり障りのない問いかけしか出てこなかった。これではいつもと同じではないか……。
「んー、まあ、ちょっと。もう若くはないしな」
「何を言うか、まだ三十歳にもならない未熟者が」
「三十歳はおじさんだって、サーヴァントのちっこい奴に言われたぞ?」
「ふ……、そのサーヴァントとて、三十年ではきかない年月を経ているというのにか?」
「あ…………、ほんとだ! 俺のが年下じゃねーか!」
「ここで思い至っても仕方がないな」
鈍い奴め、と呆れてやれば、士郎は悔しそうにしている。
「今度言ってきたら、お前のが年長者だって言ってやる」
「…………」
それは自殺行為に繋がる可能性がある、やめた方がいいだろう。
「やめておけ。女性であった場合、年齢を云々するのは失礼にあたる」
「…………アンタ、女子には、誰彼かまわず優しいな」
「そういうわけではないが……」
鍋の中で踊る白玉から士郎に目を向けると、むっとしている。
「なんだ、やきもちか」
「は?」
「私が誰かに優しくするのを、面白くないと思っているのだろう?」
「…………」
この調子で揶揄すれば何か反論をしてくると期待したのだが、士郎は押し黙ってしまった。
私は何か、まずいことを言っただろうか?
なぜ士郎は何も言わない?
士郎が何も言わないのならば、何かうまいことを私が言って、士郎の気を別に向けさせた方がいい。そう思いながら、何も言葉が浮かばない。
「……アンタが、他人に優しいことは知ってる。面白くないなんて、思わないよ」
私が妙な焦りを覚えるほど沈黙したあと、目を伏せたまま言った士郎の声は、とても寂しげに聞こえた。
それきり会話は弾まないまま、突っ込んだ話もできないまま、厨房に玉藻の前や源頼光たちが入って来て、いつものように忙しい時間となる。
そうして、夕食の混雑が終われば、士郎は仕事に戻ると言って食堂を出ていった。
その夜も、きっと変化はないだろう、と士郎の部屋の前に陣取っていると、いつもより早い時刻である十時前に戻ってきた士郎はひどく疲れた様子で部屋に入った。
あの様子では朝まで出てこないとタカを括っていた深夜、開くはずがないと思っていた扉が開き、士郎が出てくる。
防寒機能など全くないようなジャージだけの格好でどこに行くのか、と後を追えは、エレベーターに乗り、一階へと上がっていく。
なんとなく行き先が読めた。士郎は一階の、あの窓に向かっているのだろう。
やがて、一階に着いた士郎は、予想通りあの窓の方へ向かっている。
(いったいなんの用があって……?)
節電のため、所々に保安灯が点いているだけの廊下は寒々しい。実際、体感温度は零度に近いと思われる。
地下に施設が広がっているカルデアは、下層に行くほど暖かいのだ。空調の働いていない状態であれば、上層があるからか、地熱のおかげか、下層は暖かく、地表に近づくほど館内の温度は下がっていく。一階など空調設備が整っている場所であっても寒く感じるのが常だ。
サーヴァントである手前、寒さに震えたりはしないが、ここが寒い場所だということはわかる。薄着の士郎ならばガタガタ震えてもおかしくないくらいだと察せられる。
そんな中で窓枠に腰を下ろして、士郎はぼんやりと暗い外を眺めていた。
やがて、ガラスに指先を触れ、その冷気を感じたのか、
「寒い」
ぽつり、と呟き、窓ガラスに半身を預けて肩を震わせている。
「……さむいよ…………」
動けなかった。
抱きしめたいと思うのに、寒いと言うのなら温めてやりたいと思うのに、私は霊体のまま、その小さく震える背中を、見ていることしかできなかった。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
冷たいコンクリートの上で、冷たい金属のパイプに触れていれば嫌でも身体が冷えてくる。防寒対策をしていても、かじかんだ指では工具がうまく握れなくて、このまま作業をすることは無理だと判断した。
温かい飲み物でも腹に入れようと、食堂に向かうことにする。まだ夕食の準備に取りかかるには早い時間だ。アーチャーはいないだろうから、その間にちょこっと厨房を借りることにした。
べつに、コソコソすることもない。堂々と借りるぞって厨房に入ればいい。だけど、アーチャーと二人きりにはなりたくない。
自分がこんなにも後ろ向きな性格だったとは知らなかった。
バカみたいに前しか見えていないと、誰も彼もが言う通りの性格だと俺自身が思っていた。
でも、違った。
こんなふうに前すら見られなくなるなんて、自分でも驚くしかない。
(俺……、自分のことも、よくわかってない……)
セックスにしても、アーチャーの言う恋人というものにしても、俺は何も知らずに今までを過ごしてきていた。
遠坂と桜に困った顔で笑われても俺はむっとしていただけで、二人はどうしてそんな顔で笑うのかと疑問すら浮かべることもなかった。
(人として、俺は……)
未熟とか、経験不足とか、そういうことではなく、俺は人として不完全なんじゃないだろうか。
何もわからないままで、何も知ろうとしないままで、俺は自分が正しいと思い込んでいる間違いを犯しながら、ただ、誰かを傷つけて、いつも誰かを見捨てて、そうやって生きてしまっていた……。
世界が俺の存在を不要だと判断するのも頷ける。
(なんの役にも立たないこんな存在なんて……)
ぼんやりしながら厨房に足を踏み入れれば、誰もいないと思っていたのに、予想外に人がいる。
(アーチャー……)
久しぶりにこんなに近くで見た。ここのところ、ずっとカウンター越しだったから、たった数歩で触れられる距離になんて、ほんとにあの夜以来だ。
鍋の前でいそいそと手を動かしている背中をずっと見ていたい。調理に没頭しているのか、俺の気配にも気づかないままだ。
作品名:BLUE MOMENT15 作家名:さやけ