BLUE MOMENT16
「なんだい、深刻な顔をして? まさか、新たな座薬開発とかじゃないだろうね?」
「…………」
断じて違う。まったく、どうしてこう、所長代理は能天気なのか……。
「前回のものでもかなりの性能だったんだよ? 君たちには不具合が起きたかもしれないが――」
「いや、所長代理、座薬からいったん離れよう」
「ん? じゃあ、なに?」
「士郎の部屋の生体認証に私のものを加えてもらえないか?」
「生体認証を加える? ……それは、勝手にはできないね。士郎くんの了解を得ないと」
「やはり、そうか……」
「わかっているなら、」
「今のままではいずれ扉を破壊することになるかもしれない」
「……穏やかじゃないねぇ。いったいどういうこと?」
「先日、私が出ようと思ったときに士郎が寝ていて、鍵を開けるために起こすのは忍びないと思った」
「ふーむ、確かに。でも、だからといって、勝手には――」
「い、いや、それもまた後でいい」
「なんだよ、君から言い出したんだぜ?」
所長代理は不機嫌に美しい顔をしかめる。
「ああ、すまない。その……」
今は鍵やら座薬やら、それどころではないのだ。
士郎の居所を、そのためにも士郎の部屋の鍵を……、ああ、まったく、焦って頭が回らない!
ガリガリと髪を掻き乱す。
「エ、エミヤ、落ち着きたまえ。何がどうしたんだい?」
「何も」
「ないわけがないだろう? いったい何が起きたんだい? それから、君は何をそんなに焦っているんだい?」
「…………」
落ち着けと何度も諭されるが、私は落ち着いている。今の状況をしっかりと把握し、やるべきことは明確だ。ただ、どうにも考えがまとまらないだけだ。
「エミヤ?」
「お、落ち着いては、いる……」
何をどう言えばいいのだろうか。
士郎とうまくいっていないと相談でもすればいいのか?
いや、そういうことではない。所長代理に私は何を訊きに来たのだったか……。何度もどうしたのかと訊かれる中で、考えをまとめていく。すべてを話す必要はないと結論付けた。だが、私は士郎を探している。そして、士郎の居場所を知っている可能性が最も高いのが所長代理だ。すべてを話さないにしても、掻い摘んだ内容ならば、なおさら順を追って話さなければ所長代理もわけがわからないだろう。
「士郎が、食堂に来ない。玉藻の前が、夢見が悪いと言う。何かあったのかもしれず、士郎を探している。ノックをして声をかけたが応答はない。士郎の部屋は所長代理が使う予定だっただけあって、私には中の様子もわからないのだ。だから――」
「わかった、わかったよ、エミヤ。士郎くんの居所を突き止めればいいんだね?」
矢継ぎ早に説明すれば、所長代理に宥められてしまった。
「わかるのか?」
「彼が今、どこで作業をしているかくらいはね」
「もしや、カルデアスで覗いたのか?」
疑うわけではないが、可能性がないわけではない。
「いやだなぁ。そんなことしないよ。盗撮と変わらない行為じゃないか。犯罪だし、倫理的に問題だろう? それは」
「そ、そうだな、所長代理がそんなことをするわけが――」
「緊急時以外はね!」
「…………」
それは、緊急だと称して覗き見放題と同義なのでは……。
目を据わらせる私に笑顔で誤魔化した所長代理は、そんなことより、と、さらりと話を変えた。
「士郎くんは今、一階の作業をしているよ」
「一階の?」
「そうとも。爆発のあおりを喰らってあちこち破壊され、防護扉で遮蔽したところだよ」
「……そこは、問題はないのか?」
「問題とは?」
「空調も管理できていない場所だろう? そんなところで、」
「防寒を徹底していると報告は受けている。それに、適度に休息も取っていると、」
「確認をしたのか?」
「もちろん、士郎くんからきちんと、」
「その目で見たのか? 現場に足を運び、士郎の様子を、報告通りかどうかを、きっちりと確認をしたのか?」
「……そこまではしていないよ。士郎くんを疑いたくはないし、彼は――」
「わかった。煙にまかれたのだな」
「なっ! そ、そんなことはないよ! 私はねえ、」
「所長代理、話は後ほど。とにかく士郎の身柄を確保してからだ」
「確保って……、士郎くんは何かしたのかい?」
低く問う所長代理の雰囲気が険しいものに変わった。
「……何も」
「じゃあ、まるで罪人のように確保だなんて言ってはいけないよ」
諭す所長代理にむっとする。そんなことを思っているわけがないだろう。
「罪人だなどと、」
「そうだね、そんなこと思っていないよね。でもエミヤ。君はまるで、士郎くんが自分の思い通りにならないのを不服に思う駄々っ子のようだよ?」
「っ……」
反論できない。
確かに私は駄々をこねているだけなのかもしれない。だが、不安が拭えないのだ。士郎がいないと、士郎に触れていないと……。今までよく耐えたものだ。この十日ほど、レイシフトの期間を含めれば、もっと長い時間。
「ねえ、エミヤ。彼を信じないのはどうして?」
「…………」
士郎を信じられないのではない。ただ、不安なだけだ、私は。
「エミヤ、君が彼を信じてあげないことには、彼は――」
「士郎は他人のためになら、平気で嘘をつく。保身のためではなく、自分以外の物事や誰かのために」
「そうだね……」
「所長代理、生体認証のこと、考えておいてくれ」
「ちょ、話はまだ、」
引き止める所長代理を半ば無視して背を向ける。問答も途中、返答も聞かないまま所長代理の部屋を出た。今は、私の中でもいろいろと整理がついていない。したがって、所長代理を納得させるだけの返答ができるとは思えない。
今はとにかく士郎を見つけることだけだ。
(この手の届くところに士郎を……、早く……)
そんなことばかりが頭の中を占めている。廊下を足早に、ただ士郎の許へと向かう足を今の私は留める術を持たない。
(一階、か……)
そのフロアには、いまだに閉鎖されたスペースがある。一階の三分の一くらいを占めていて、実質立ち入り禁止になっている。そのため、空調はおろか、電気も最低限しか通っていないはずだ。
極寒の外と変わらない気温の中で配管作業など、無茶もいいところだ。専門業者でもない士郎に頼むのは少々無謀ではないのか。
(いくら人手が足りないからといって……)
沸々と苛立ちが湧く。だが、すれ違うサーヴァントやカルデアのスタッフがいる手前、腑に落ちない気持ちを面に出さないようにしながら一階へと向かった。
それほど気を遣うこともないのだろうが、ずいぶん不機嫌だ、などと引き留められて時間をくいたくはない。
(今は早く士郎を確保して、仔細を質さなければ)
そのようなことばかりを考えつつ一階に着き、防護扉の前に立つ。
この向こうに気配は一つ。
他の者は休憩中なのか、扉の向こうには士郎の気配だけがある。
重い扉を少し開け、隙間から中へ滑り込むようにして入った。扉を閉めるとずいぶんと暗くなる、というか真っ暗だ。私は夜目が利くからいいものの、常人では懐中電灯が必要だろう。
暗い廊下の隅には資材が重ねられている。士郎を疑うわけではないが、修繕作業に取りかかっているのは事実のようだ。
作品名:BLUE MOMENT16 作家名:さやけ