BLUE MOMENT16
しばらく進めば、明るい場所が見えてきた。おそらくそこが現場――、ということは機械室か。
そこから漏れる照明が、この廊下の唯一の明かりのようだ。そうして、近くまで来ると、扉はひしゃげて用を成していないことに気づく。次いで室内を覗きこめば、脚立に立つ人影が見えた。
(士郎……)
久しぶりに見るその姿は、暗がりに点した裸電球が後光のように照らしていて、何やら神々しい、などと感じてしまう。
(まるで雲間からの斜光のような光が――)
ガンッ、ゴッ、ガシャ、キンッ!
不意に耳を襲った派手な音に、私の妄想はかき消えた。音からして鋼管のような大きなものではない。どうやら工具か何かが落ちたらしい。
「っ……、はぁ……」
ため息が聞こえる。気配も足音も消していたわけではないが、士郎はこちらに全く気づいていない。
私に気づきもしないことに少々むっとしつつ、脚立を下りようとする士郎に近づき、落ちた工具を拾い上げ、士郎の目の前に差し出す。
「あ、ありが――」
脚立の中ほどで受け取った士郎と目が合った。
「っ、え? アーチャ、あ、っうわ!」
士郎が途端に顔を逸らして身を翻したためか、急な動きにバランスが崩れた脚立が傾ぐ。
「士郎!」
咄嗟に伸ばした腕の中に士郎はおさまり、脚立もどうにか支え、事なきを得た。
「は……」
ほっとしてため息をつき、
「たわけ!」
次いで怒鳴れば、びくん、と士郎の身体が強張った。
「なんで……」
「士郎?」
低く呟いた士郎の声は聞き取れなかった。
「今、何を言っ、」
訊き返そうとすれば、士郎は私から逃れようと暴れはじめた。が、そう簡単に逃すものか。
「士ろ、っ、おい! おとなしくしろ!」
「くっ…………っ……、あの……、は、離してくれ……」
逃げられないと観念したのか、士郎はおとなしくなって、静かに頼んできた。
どうすべきか。
今すぐにいろいろと問いただしたいと思う。だが、こんなに寒いところでは、ゆっくり話もできないだろう。いったん、部屋に向かった方がいい。
「戻るぞ」
士郎を立たせ、脚立を自立させ、その腕を引いて歩き出そうとすれば、士郎は私の手を振りほどいた。
「なん――」
「仕事の邪魔しないでくれ」
低く吐かれた声は、私を拒絶している。
「…………」
信じられなかった。
何が起こっているのかと、呑気なくらいに考え込んでしまう。いつも、なんだかんだと言いながらも士郎は私を受け入れていた。本気で拒むことなどなかったというのに……。
(なぜ……)
何がどうなって、こういう状況なのか、頭がついていかない。
「士郎、何を――」
「やることが山積みなんだ。サボるわけにいかないから」
淡々と言う士郎は再び脚立の天辺まで上り、天井の配管をボルトで締めはじめている。
「士――」
ガン、ゴン、ガシャン、と派手な音を立てて、また工具が落ちた。
いったい何をしているのか、と士郎を見上げれば、自身の手を見つめている。
忌々しげに脚立を下りてきた士郎は落とした工具を拾い、また脚立に上がろうと手をかける。
「士郎、具合が悪いのではないか? 少し休憩して、」
「なんでもない。厨房はどうした。アンタも忙しいんだろ。こんなところで油売ってないで――」
「そんな様子では、作業などできないだろう! 部屋で休息を取ってから、」
「やめろよ」
「は?」
「アンタ、顔も見せんなって言って、なんでこんなとこにまで、いちいち俺に小言を垂れに来たりするんだ」
この場所と同じに凍てついた、冷めた声が耳に届く。勝手に鼓動が速くなる。脂汗がこめかみを伝ったのが感じられた。
「わ……、私がいつ、そんなことを言った!」
つい声を荒げれば、
「この前、二度とその顔(ツラ)見せるなって言っただろ」
静かな声が返ってくる。
「なっ! そんなことを、私が言うはず…………」
いや待て。確かに言った。誰にでも見せるような笑みを私にも向けるのかと腹が立って、そのツラを、と……。
「思い出したかよ」
ああ、確かに言った。だが、全く意味が違う。
「ち、違う! あれは、」
「気遣いとか、もういい」
「あれは、そういう意味ではなくて、」
「作業の邪魔だ。出てってくれ」
取りつく島もない。士郎は勘違いをしている。確かに私はそのツラを見せるなと言ったが、それはあの笑みであって、士郎自身のことではないのだ。だが、士郎は聞く耳を持たない。脚立に立って、またボルトを締めている。
「士郎、聞いてくれ! 私が言いたかったのは、」
「あ!」
「っ!」
見上げた先からレンチが落ちてくる。だがまあ、サーヴァントであることだし、弓兵であるために目がいいのもあり、大事には至らない。軽々片手で受け取れば、
「ぁ……よかっ……」
ほっと息をついた士郎と目が合う。
「士ろ…………」
呼ぼうとした声が萎んだ。
(なぜ……?)
唇を引き結んだ士郎はすぐに顔を背けた。その顔色は、まるで赤みがない。血色が悪いといえばいいのか、やつれているわけではないが、健康そうには見えない。
「士郎、顔色が悪い。飯は食べたか? まだであれば、」
向こうを向いたままだが、士郎はこくり、と頷いた。
「食べた」
ぽつり、とこぼれた返答が残念でならない。飯を食いながらならば話せるかもしれないと期待したのだが、その機会はなかった。それでも、残念だと思った表情や態度を露わにしなかった自分を褒めてやりたい。
「そうか。ならばい……」
答えながら目に入った物に思わず言葉を失う。
「士郎……。飯とはまさか、あれではあるまいな?」
私の指差すダンボールの箱をチラリと見て、士郎は黙りこくった。返事をしないということは、当たりだろう。違うのならば、違うとはっきり言うはずだ。
蓋の空いたダンボール箱にツカツカと近づき、中を覗く。
「ふむ。賞味期限切れの非常食。それに栄養ドリンク。これが貴様の飯か」
鼻で笑ってやれば、士郎はますます口を閉ざす。
「じっくり聞かせてもらおうか、この十日ばかりのことを」
「…………」
苛立つとともに、悲しいと思った。士郎はずっと私に背を向けている。受け答えはするものの、いっこうに私と向き合おうとしない。
だが、とにかく、暖かい所へ行かなければならない。おそらく、工具も持てないほどに士郎の身体は冷え切っている。
何度もレンチを落としているのは、手がかじかんでしまっているからだ。あんな栄養剤や非常食で何日凌いだのかは知らないが、今は身体を休ませ、温かいものを食べさせて体内から熱を作らせなければならない。
「行くぞ」
「レンチ、返せよ」
士郎は、部屋へ行くぞ、と言う私に全く応えるつもりがないようで、ほとんど私に背を向け、片手だけをこちらに差し出す。
むっとする。まだ作業を続けるつもりなのかこいつは……。
「仕事ができな――」
「今の状態で到底できているとは思えんが?」
「っ……」
反論できないのだろう、士郎はこちらに差し出していた手を握りしめて下ろした。
「士郎、さあ――」
腕を掴めば払われ、再度しっかりと手首を握れば抵抗され、いっこうに進めない。腹立たしさが鎌首を擡げた。
「文句ならば、後で聞く」
作品名:BLUE MOMENT16 作家名:さやけ