BLUE MOMENT16
あのとき、私は士郎の休息を優先したつもりになっていたが、実のところは、厨房を優先していたのだ。自身のやるべきことだからと、私は士郎を置いていったも同然だ。しかも、念入りに魔術で眠らせて……。士郎にとっては、気分のいいものではなかったはずだ。
(疲れていても起こされて解錠し、士郎は私を見送りたかったのだろうか……)
そう考えるのは、少しばかり調子が良すぎるだろうか?
自惚れるな、と嗤われてしまうだろうか?
「士郎……」
私のことがわからないと言ったが、私もお前のことがわからない。
「だから、教えてくれ……」
髪を梳き、こめかみに口づけ、飽くことなく士郎に触れた。私の不安はこうしているだけで消えていく。本当にゲンキンなものだ。私はこんなにも単純な男だったのかと笑えてしまう。
「士郎は私を、理想だと言うが……」
そんな大層なものではないというのに……。何せ、士郎がスタッフやサーヴァントと懇意にしているだけで嫉妬しているのだから、小さい男だと非難されても文句は言えない。
「理想、か……」
私は頑なに理想を追った。養父に誓った言葉を叶えようと、ただ真っ直ぐに、愚かなほど真っ直ぐに……。
理想を突き詰め、その果てのありようを目の当たりにし、絶望して熱を失った者と、理想を追う熱を失わざるを得なかった者。
どちらが不幸かなど、比べる意味などない。
我々は同じように愚かで、どうしようもなく歪んでいるのだ。
そしてもう、狂っている。手遅れではないかと疑いたくなるほどに……。
自身を省みず、自己犠牲を是とする者など、それこそ聖人ではないか。
だから、我々は狂っているのだ。
我々は聖人ではない。人であって、人を夢見た、人ではない何か、とでも言えばいいのか、私も士郎も、人としての根幹がずれていると思う。
おそらくあの、新宿で出会った黒いエミヤも……。
だが、士郎と出会ってから、私はどうやら人としての何かを取り戻しつつある気がする。嫉妬もそう、独占欲もそう、これは、醜い感情だと思われがちだが、人そのものの感情だ。
「私はお前に触れて、そんな厄介なものを手に入れたのだと言えば、笑うか?」
すうすうと規則正しい寝息を立てる士郎の髪を撫で梳き、目頭に残った涙を唇で掬った。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
夢を見た。
俺の深層の夢。
相変わらずべったりくっついているけど、火照りはしていない。
以前に俺がここにきたときと違うのは、べったり引っ付かれているのは俺じゃないことだ。
俺はただの傍観者だ。
六体目(アーチャー)は深層にいる俺を抱き込んで、深層の俺は六体目を受け入れて……。
俺は、イチャつく二人を見ているしかない。
(幸せそうだな……)
思わずこぼしかけて、手の甲で口を塞ぐ。見つかったところでまずいことなんかないけれど、やっぱり、こういう場面に出くわすのは、ちょっと気が引ける。いくらここが、俺の深層心理の世界でも……。
だけど、まあ、俺に気づくこともなく、二人は自分たちだけの世界だ。
「…………」
そんな二人を見ていられなくて、どこに目を向ければいいかもわからなくて、項垂れるしかなかい。
この暗い廊下みたいなところは、四角いスクリーンのような窓に俺の記憶が映っていた。なのに、今は四角くて白っぽいだけで、ただの明かり取りみたいだ。
ここにあった記憶のアーチャーが見られたらよかったのに。
そうすれば、ずっとここに籠っていてもいいかなって思えるのに……。
「っ……、……ぅ…………っ……」
なんでだろう?
どうして俺は、泣いているんだろう……?
拭っても、拭っても、溢れる涙は止まらない。
しゃくり上げて、子供みたいに泣いていた。
バカみたいに、堰を切ったように、涙は次々こぼれていった。切嗣を亡くした夜みたいに、止まらない涙をどうすることもできなくて……。
幸せそうに抱き合う二人に気づかれるんじゃないかってヒヤヒヤするのに、泣くのをやめられなかった。
かなしい?
くるしい?
くやしい?
うらやましい?
わからない。
俺は今、何を思って、感情に流されているのか。
考えても、今までの経験を振り返ってみても、まったく答えは見つからない。だけど、それでいいのかもしれない。そういうこともあるのかもしれない。
所詮感情なんてものは、人が存在するだけ多種多様にあるんだから……。
いつものように諦めることにした。自身を振り返っても、なんらそれらしい解答なんて、俺の中には見当たらないんだから仕方がない。
ただ、それでも、自分がどの感情で泣いているのかを知りたいと思った。
そうすれば、少しは遠坂と桜が俺に伝えてくれようとしていたことを、理解できるのかもしれないから。
会うことも叶わない二人に俺はもう何もできないから、せめて、ここで真っ当に生きることができればいいと…………。
バカだって笑われるだろうか?
また他人を優先しているって、呆れられるだろうか?
それとも子供じみているって、怒られるだろうか?
「こ……ど、も……みた……ぃ……」
目が開いたと思う。たぶん、半分も開いていないくらいだろうけど……。
瞼が重くて視界がはっきりしないけど、よくよく見れば、自分の間借りする部屋にいるみたいだ。
「あ……れ……?」
どうやって部屋に戻ったんだっけ?
確か、配管の作業をしていて……?
ぼんやりと天蓋の木目を眺めながら思い出そうと努力する。
「え……っと……」
何があったんだっけ……?
どうにも瞼が重くて、閉じていこうとしてしまう。眠るわけじゃないけど、目を開けているのが辛い。
「ぁ…………」
何か、とても恥ずかしいことをした気が……する。
(夢だったんだろうか?)
疑問を浮かべていると、きしり、とベッドが微かに軋んだ。
「っ!」
今さら気づいた気配に、目尻が切れそうなくらい目を見開く。
瞼が重いとか、言ってる場合じゃない!
「目が覚めたか」
「…………」
なんて言えばいい?
何を言えばいい?
俺、眠る前にアーチャーに何を言ったっけ?
(いや、それよりも――)
逃げなければ!
布団を跳ね除けて、アーチャーがいる側とは反対側から転がり落ちるようにベッドを抜け出た。
「お、おい!」
アーチャーに捕まる前に、扉へ!
もつれる手脚を繰り、四つ這いで扉を目指す。
俺が出てしまえば、自動にロックがかかって、アーチャーをこの部屋に足止めすることかできる!
床の上を滑る足がもたつくけど、あと二十センチもないところに扉がある。
手を伸ばせば、どうにか!
「あ……」
扉に掌が触れる寸前、温かい手が、俺の手を握った。
「っ!」
声を呑んで、息を詰めて、振り返ることもできないまま身を硬くした。圧し掛かるでもなく、引き倒すでもなく、アーチャーは俺の手を握ったままで動かない。
何も言わないし、俺はどうすればいいんだ?
心臓が早鐘を打って、口から飛び出そうだ。脂汗がこめかみを伝っていく。
「士郎」
「っひ!」
情けない悲鳴を上げてしまう。
作品名:BLUE MOMENT16 作家名:さやけ