BLUE MOMENT16
掴まれた手はどうしようもないけど、空いた手で口を覆った。今さら押さえ込んでも仕方がないのに、震える呼吸が音を立てないようにと、必死に口を押さえた。
「士郎、何もしない。逃げないでくれ」
そっと肩を掴まれて身体を起こされる。床にへたり込んだままガタガタ震えた。何をされるのかと身を縮めていれば、小さなため息が聞こえる。
(何もしないなんて、そんなわけ、ない……)
恐る恐るその顔を窺い見た。
(え……?)
なんだか寂しそうな顔でアーチャーは俺を横抱きにして持ち上げる。
(あのときと、おんなじような……)
俺が部屋に引っ張り込む直前、扉が閉まる向こうにいたアーチャーは、こんな顔で俺を見送っていた。
「あ、の……?」
ベッドに下ろされて、何をされるのかと身構えていても、アーチャーは掛け布団をきちんとたたんでいるだけだ。
「急に動いて大丈夫か?」
「あ、あの……」
何を言えばいいのかと思案する前に、視界がぐにゃりと歪んでいく。
「ぅ……」
グルグルと世界が回りはじめて、片手で目元を覆った。
「いきなり動くからだ。まだ横になっていろ」
俺をそっと寝かせて、ベッドの縁に腰を下ろしたアーチャーは、じっと俺を見ている。
「あの……」
「丸一日眠っていたので、少し心配したぞ」
丸……一日?
それじゃ、アーチャーは、ずっとここに?
そうだ、鍵が開かないからアーチャーは閉じ込められたも同然で……。
「っ、ご、ごめっ! 俺、」
跳び起きれば、ビックリしたように目を丸くするアーチャーがすぐ目の前だ。
「ぁ、うぅ……」
再び眩暈に襲われて項垂れる。
「はぁ……。おとなしくしていろ」
再度横にされて、そっと髪を撫で梳くアーチャーを垣間見た。
べつに病気じゃない。ちょっと眩暈がしただけ。
(立ち眩みとかと大差ないのに、どうしてアンタ、そんな優しい声で言うんだ……?)
アーチャーと面と向かうことに、なんだか気後れしてしまって、手の甲を目元にのせたまま、その隙間からアーチャーを窺えば、なんだか緊張した面持ちで俺を見ている。
(俺が眠る前に言ったことは……)
思い出せば思い出すほど、面つき合わせているのが気まずい。
「士郎、今、冷静に話を聞ける状態か?」
「え?」
「お前にきちんと説明したいことがある。余裕がないというのであれば、また日を改めるが?」
説明……?
何を?
俺に、何を言おうとしているんだ、アーチャーは?
決定的な何かを言われるのか、と思い至って、冷たい汗が背中を濡らした。
だけど、聞いてやらないと。アーチャーが言いたいことがあるのなら、俺は聞くべきだ。何を言われるのか、不安しかないけれど。
「……かまわないよ」
「本当に?」
「ん……」
顎を引いて頷いた。
「無理をしていないか?」
「…………」
何をもって無理だと決めればいいのか、その基準が俺にはよくわからない。今、無理をしていないかといえばそうじゃないから無理をしていることになるけど、気を失ったりするほどじゃないから耐えられる程度だ。
(ほんとはアーチャーと二人きりでいることが何より苦痛だけど……)
でも、俺にとって無理をするというのは命をかけることだから、今は無理をしていないという括りになると思う。
無理をしているか? と問うアーチャーに、違うと首を振って否定した。
「本当だな?」
しつこいくらいにアーチャーは確認を取ってくる。再び頷けば、アーチャーは唇を引き結んで、では、と口火を切った。
「まずは、謝らなければならない」
「アーチャーが謝ることなんか――」
「士郎、黙って聞いていくれ」
「…………」
いきなり指摘を受けて、すぐさま口を閉じる。口答えするなってことなんだろう。
「いや、黙れというのではなくてだな、何も考えずに聞いてほしい」
「考えず……?」
「私の言葉をそのまま聞いて、受け止めてほしいのだ」
「……そのまま聞いて、受け止める……」
目元にのせた手をそっと握られて除けられた。顔を晒すのは嫌だと思ったけど、なんだか抵抗する気力もない。
アーチャーが真っ直ぐに俺を見つめている。俺はと言えば、目を逸らしたいのに逸らせない。
「ツラを見せるな、と言ったのは、誤解だ。だが、そんな言い方を選んでしまった私に非がある。したがって、許してほしい」
誤解?
何が誤解なんだ?
アーチャーは心底そう思ったから、俺に顔を見せるなと――、
「あれは、顔を見せるな、つまり会いたくない、という意味ではなく、誰にでも見せる作り笑いを私に見せるなと、そういう意味で言ったのだ」
誰にでも見せる……作り笑い?
俺、そんな顔、してたのか……?
「レイシフトから戻れば、お前はサーヴァントともカルデアのスタッフとも懇意にしていて、私はと言えば、士郎とまともに話す時間がろくに取れず……、焦っていた」
「え……」
「焦って、それでいて、士郎がカルデアでの居場所を見つけたのだとうれしく思い、それでもやはり、おもしろくなく……」
「アーチャー?」
「ようするに、嫉妬していた。そして、今ごろになって気づいたのだが、私は独占欲がずいぶんと深いようだ。したがって、士郎が誰かと過ごすのがどうにも許せず……。自分でも愚かだと思う。お前にはなんの非もないというのにお前を傷つけた。私の身勝手な想いで」
アーチャーは叱られた子供みたいにしゅんとして俺に謝っている。
確かにアーチャーの言動に俺は振り回されたけど、俺に全く非がないなんてありえないはずだ。
「ちが……」
「士郎?」
「アーチャーは……、何も、悪くない、から、俺が、」
「士郎。士郎が悪いなんてことは絶対にない。常にお前を悩ませ、傷つけていたのは――」
「俺は、アーチャーの姿を見ていられたら、それでいい」
「いや、それでは、」
「俺は、アーチャーが守護者の殺戮じゃなく、このカルデアで普通に過ごしているのを見ていられたら、それでい――」
「隠居のジジイか貴様」
「む。そ、そんなの、」
「目の前にいるのだぞ! 私はここだ! ならば、この手を掴め!」
アーチャーは、掴んでいた俺の手を自分の頬に持っていく。
ふわ、と優しい笑みを刻んだアーチャーに呆けてしまって頭が真っ白になった。
「恋人に、なんの遠慮をすることがある?」
「……? え? こ、こいび……」
「ああ。士郎は私の恋人だろう? 見ているだけではなく、しっかりと触れればいい」
何か言わなければ。
何かって、何を?
俺はアーチャーに何を言えばいいんだ?
「士郎……」
俺の手に唇を当てて、アーチャーは熱いため息をこぼす。
(そんな……)
そんなことされたら、どうにかなってしまう。手を引こうとしたけどアーチャーは離してくれなかった。
「士郎、遠慮などしなくていい。お前が思う通りに私にすべてを……。考えていることも、やりたいことも、その想いも。すべてを私にぶつけてくれ」
「…………」
なんて答えるのが正しいんだろう?
わからない。
アーチャーの言っていることが初めて理解できたと思うのに、なんて答えるのが正解か、それが俺には……。
「士郎、私はお前が――」
「アーチャーが、好きだ」
「っ……」
作品名:BLUE MOMENT16 作家名:さやけ