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(6)


勉強はもう続けられなかった。
リュドミールはメイドにお茶の用意をさせ、二人はゆったりとお茶を楽しみながら色々な事を話し始めた。
幼い頃から大切にしていた木製の兵隊人形の行方や、今は亡き父や母の事。そしてもうすぐはじまる士官学校の事など。
話は尽きなかった。
お茶の豊かな香りが二人の心を柔らかくしたのだろうか?不幸があり暗く落ち込んでいたリュドミールの心も、胸に残る苦しさを抱えたユリウスの心もほぐれていく様だった。
そして、ニ杯目のお茶をいれた後、ユリウスが思い切った様に話し始めた。
「ねぇ、アナスタシアの事、聞いてもいい?」
「……あなたが大丈夫なら」
ユリウスはお茶を少し飲み、ゆっくりと話し出した。
「ヴェーラの友だちなんだろ?もうずっと前から」
「ええ。不思議と合うみたいですね。お互いの邸を行ったり来たりしていましたから」
「ぼくは、アナスタシアとこのお邸で会ったことあるのかな?」
まっすぐに見つめてくる碧い瞳。
しっかりとその瞳を受け止め、リュドミールも静かに口を開いた。
「……一度。あなたがここにやってきたばかりの頃に」
「そうなんだ。何か言ってた?ぼく……」
「すみません、そこのところはまったくぼくもわかりません。でも、あなたとアナスタシアは二人で話したとねえさまは言っていました」
「……そうなんだ。ありがとう、本当の事言ってくれて」
「あんな事言われたら、本当の事を言うしかないじゃないですか」
少しすねた様に言う様がかわいらしく、思わず頬が緩む。

「彼女、デビューしたのって最近だよね」
「ええ、よく知っていますね」
「彼女のご主人がずっとデビューを反対していたんだろう?でもご主人が、最近……不幸な亡くなり方をして、その途端に実家の公爵家の名前でデビューした。不仲だったご主人をよほど嫌っていたのか、公爵家の力を利用したかったのか……?」
ユリウスが社交界で密やかに吹聴されている事を言い出したので、リュドミールは驚いた。
「ユ、ユリウス……?どうして?」
「何も知らないと思っているだろう?でもね、ぼく、何年きみと一緒にロシア語を勉強していると思ってるの?」
「あ、メイド達から……?」
「でも誤解しないでね。彼女たちはぼくに何も言わないよ。ただ、自然とね……耳に入るものなんだ」
「そっか……。そう、ですね。でもなんだか驚いたな。あなたがそんな事を知っているなんて」
ユリウスは窓の外に視線を移した。
今夜はどうやら吹雪かないらしい。穏やかに雪が降り積もっている。
レオニードも、ヴェーラもいない、人の気配が少ない静かな夜。
こんな夜をなぜだか自分は知っている。
ユリウスは目を閉じて自分の記憶をたぐってみた。

……行き着くのはやはり暗闇ばかり。
けれどその先に、大切な誰かの顔が浮かんできそうな……そんな気がした。

あれは、誰だろう?



「ねえさまはよく、結婚後のアナスタシアを心配していました」
「どうして?」
「ご主人の事を 尊敬も出来なくなってしまった……と泣いていたそうです」
「尊敬?愛じゃなく?」
「ええ。貴族の結婚ですから……個人の気持ちなど、あまり考慮されませんから。それでも、アナスタシアはストラーホフ伯、あ、ご主人ですが……、ストラーホフ伯を尊敬して結婚されたようなんです。それが、できなくなってしまった、と」
「そう……なんだ」
身近に同じ様な夫婦がいた。
レオニードとアデール夫人……
皇帝の命により結婚したという夫婦。ユリウスの知る限り、二人が仲睦まじくしている所など見たことが無い。
アデール夫人がこの邸に『滞在』する事自体、最近では稀になっている。
この二人の間にも、愛や尊敬など無い気がした。
「そう……なんだ。なんだか悲しいね。それでも結婚生活を続けなければならないなんて……。そんなもの……なの?」
「多分。貴族の家に生まれたら多かれ少なかれ。自分の好きな相手と結婚するなんて稀なんじゃないかな?兄上も、ねえさまも」
「ヴェーラも?」
その時まで、ユリウスはヴェーラの結婚など考えた事は無かった。
いつもリュドミールや自分の側にいてくれて、この邸の事をあれこれととりしきり、不在の侯爵夫人の代わりをつとめている。
それが普通で、当たり前で……。
けれど、ユスーポフ侯爵の妹として、モスクワ知事の娘として。ヴェーラだってとっくに結婚していてもおかしくはない筈なのだ。
「ねぇ、リュドミール。ヴェーラって……その……、アナスタシアの様に結婚って……」
「えっ……」
一瞬、顔色を変え戸惑った様に口をつぐんだリュドミールを見て、ユリウスも目を伏せた。
「ごめん。不躾だった……ね」
「……いいえ。いいんです。その……今から話す事。ねえさまにも兄上にも話さないで下さいね」
「う、う……ん」
リュドミールは大きく息を吸い込み、ユリウスに話し出した。


「まだぼくが幼い頃……。たぶんアナスタシアが結婚した前後だったと思います。ねえさまにも縁談が来ていたのですが、片っ端から断っていたんです。……当時ねえさまには恋人がいたんです。その恋人はうちの使用人でしたから、ねえさまは必死に隠していました。でも、実はその使用人は反逆者の諜報員で、兄上や軍の動きをスパイする為に入り込んできたんです。情報漏れを不審に思った兄上が調べ、事実を知り、彼を……エフレムを……その……粛清したんです」
「そんな……」
「ねえさまはエフレムの裏切りを憎み、今では彼の事を口にする事はありません。でもそれ以来、舞い込む縁談には見向きもしないんです。多分、エフレムの事を忘れられないんだと思う。……まだ愛しているんだと思います」
「……」
「当時ぼくも幼かったので、全然知らなかったのです。でも、その……あなたがアナスタシアのデビューの事を知ったように、不思議と耳に入るものなんですよね。兄上やねえさまからは一度も聞いた事はないのに……」
リュドミールはお茶を少し飲んだ。
「多分兄上もそんなねえさまの気持ちを解っているのだと思います。無理に結婚させるような事はしないのですから。そう考えると、「氷の刃」なんて言われている兄上も、実は家族には優しいのですね」
それは、ユリウスには十分わかっていた。
二人で顔を見合わせフフッと笑い合った。

「エフレム……。エフレムっていうんだ。ヴェーラの忘れられない人」
「ええ」
思ってもいなかったヴェーラの激しい恋に、ユリウスはしばらく言葉を繋げられなかった。
あのヴェーラが、そんな風に激しく恋に身を焦がし、悲しすぎる結末を迎えたなんて。
そして今でもその恋の火を 密かに心の奥底で灯し続けているなんて……。
「エフレムってどんな人だった?きみは覚えている?」
「……細身で背が高くて、真面目でした。あまり喋らない方だったかな」
「……そう」
「仕事が出来る人だったみたいで、ねえさまや執事の信頼も厚かったみたいです。今思えば、彼もそれを勝ち得る為に必死だったんだろうけど」
「スパイ活動の為に?」
「おそらく……」
反逆者というものは、その使命や思想の為に偽りの愛をささやき、叶うはずの無い永遠を平気で誓えるのだろうか?
作品名:その先へ・・・3 作家名:chibita