彼方から 第三部 第三話
それなのにまた、ギクシャクしてしまいそうな、そんな気がする。
「じゃあみんな、あたし達について来てね」
高く手を上げて、道行を先導してくれるガーヤ。
皆は、先を行く二頭の馬の背を追い、手綱を繰る。
気になって仕方なかった。
イザークのことが……
何を想い、どう感じているのか――ほんの少しでいいから知ることが出来たら、こんな不安に駆られなくてもいいのに……
馬を御すイザークの背中を見やりながら、ノリコはただ、彼の言動に戸惑うだけだった。
***
――まさか……
その想いは、イザークも同じだった。
バーナダムがノリコの名を呼び、馬車へと駆け寄って来たあの時……何故気になったのか、良く分かった。
彼の言動が、『ノリコだけ』に対するものだったからだ。
何故、『ノリコだけ』なのか……今のセリフと通り過ぎる時に見据えていったあの瞳で、それも分かった。
――あいつも、ノリコのことを……
――それに、おれがノリコをどう想っているのかにも、あいつは……
野営地で、食って掛かって来たバーナダム。
あのしつこさも、今なら分かる。
純粋に、『手助け』したいという想いも勿論あっただろうが、それよりも強く彼を動かしていたのは、きっと――ノリコへの想い。
白霧の森の集落で、ガーヤたちが話していたバーナダムの性格を思い返す。
少し短気で単純で、血の気が多くて無鉄砲……
単純――それは言い換えれば『素直』だということだ。
彼は、バーナダムは自分の感情に『素直』に、行動している。
自分とは違う……
それが、イザークの心に深く刺さる。
『自分とは違う』――そのことが。
ノリコがどう思っているのか気になり、つい、眼を向ける。
彼女も同じように思っていたのだろうか……眼が合い、思わず背けてしまった。
心がざわつく……
表情に出ないようにするのがやっとだ。
だがそれも、ずっと保てるかどうか――自信はない。
あいつの、バーナダムの言動が気になって仕方がない。
ノリコが自分のことを想ってくれていると分かっていても、それに応えられない現状では……
『何もかも』を、彼女に打ち明けることの出来ない、今のままでは……
苦しさと歯痒さに、手綱を持つ手に力が入る。
前方を行く馬上のバーナダムの背を見据えながら、今は周りに気取られぬよう、心を落ち着かせることぐらいしか出来なかった。
*************
「なっ、なっ、ゼーナ、もうすぐ来るよ、例の二人」
「やっぱ、直接見たら、少しは分かるかもしれないよ」
「だから……直接でも間接でも、あたしは恋占いの類は出来ないんだってば」
ゼーナの屋敷。
その応接室。
イザークたちを迎えに行ったガーヤたちの到着を待つ、左大公親子とゼーナたち。
ロンタルナとコーリキの兄弟はそわそわと、落ち着かないのか椅子にも座らずウロウロとしている。
「どこまで来てるかな?」
「そのノリコとイザークってのが、あやしいんだよ」
「……聞いてないねェ、あんた達」
「これっ、コーリキ、ロンタルナ。落ち着きなさい」
ゼーナの言葉も父の窘めも耳に入らず、二人は待ちきれなくなったのか、エントランスに向かう長い廊下を走り出した。
「す……すいません、ゼーナ殿」
結局、父であるジェイダ左大公が、
「息子達は、バーナダムの友人でもあるものですから、やはり、応援したいという気持ちがあるんでしょう」
恐縮しながらも息子たちの気持ちを代弁し、謝っている。
「うーん……むしろ、それにかこつけて、遊んでいるようにも思えるけどねェ」
ゼーナは左大公の言葉に苦笑しながら、二人の言動をそう見立てていた。
「あら、あたし達も楽しみだわ、ねぇ」
「ええ、バーナダムが好きな女の子って、どんな子なのかしら。イザークってかっこいいって聞いてるけど」
孤児だったのをゼーナに引き取られ、そのまま助手として共に暮らす二人の少女。
黒髪の女の子はアニタ。
金髪の女の子はロッテニーナと言い、年のころはノリコたちと変わらない。
故に、他人の――しかも身近にいる人物の『恋愛話』には眼がない……
その上、知り合いの恋敵が『かっこいい』とくれば、勝手な妄想も膨らもうというものだ。
ゼーナは、後ろのソファに腰かけ、きゃわきゃわと楽しげに話す二人を見やり、
「いやはや……若い連中は元気だねぇ、この大変な時期なのに」
困ったような、それでいて半ば諦めたような笑顔を向けながら、言葉を続けた。
「いやいや、それもまた、いい傾向かも知れませんよ。難しい顔をしていれば、問題が解決するってものでもないですからね」
ゼーナの言葉を受け、左大公も同じような表情を見せながら、そう言葉を返す。
普段の生活の中、若い連中のこの明るさと元気に、どれだけ救われているのか分かっているのだろう。
だからこそ、多少の『遊び』は、大目に見ているのだ。
エントランスへと走って向かった二人は、そこから、厩へと続く廊下の窓へ顔を近づけ、外を見やっていた。
「あっ、帰って来た」
ロンタルナが逸早くガーヤたちを見つけ、少し嬉しそうに呟いている。
「さあ、着いた」
ガーヤの声が聞こえてくる。
「右にあるのが姉さんの家だよ。馬は向こうに繋ぐとこがあるから」
後から付いてくるイザークたちを見やりながら、先にある厩の方を指差し、先導してゆくガーヤ。
その姿を、窓の端から気付かれないよう覗き込み、
「戻ろう戻ろう、広間に」
コーリキは兄にそう促す。
二人ともワクワクと頷き合いながら、楽しいのが抑えきれない様子で、浮足立つかのようにそそくさと、ゼーナたちが待つ広間、応接室へと戻っていった。
***
「ノリコ、降りるぞ」
「あ……うん」
――良かった、いつものイザークだ
馬車を停め、そう声を掛けてくれるイザークの表情は、彼女の不安な想いを他所に、ホッとするほどいつも通りだった。
御者台から、軽く降り立つイザーク……
その足が、地面に触れたその時、屋内で待つゼーナの感覚に、言い知れぬ衝撃が奔っていた。
――なんだ? この感覚は……
差し出されたイザークの手を借りて――と言うよりも、ほとんどイザークの力で馬車から降ろしてもらうノリコ。
彼の仕草は労わりと優しさに満ち、まるで壊れ物でも扱うかのようにノリコを扱っている。
自身の内なるエネルギーを、感知されていることにも気付かずに……
ガーヤに誘われ、皆は屋敷の入口へと歩を進める。
「あれっ、ガーヤ、この窓割れてるぜ」
厩に面している屋敷の窓が、確かに数か所割れている。
「ああ、嫌がらせで割られたんだよ」
ガーヤは特に気にする様子もなく、バラゴが指差すその窓を見やりながら、
「きりがないから、もう直さずおいてあるんだ」
そう、返す。
彼女の言葉からは、もう何度も、同じ目に遭っているのだということが伺える。
「嫌がらせ? 誰から?」
ガーヤの声音からは、恐がっている様子は見受けられない。
だが、『きりがない嫌がらせ』というのは聞き捨てならない。
作品名:彼方から 第三部 第三話 作家名:自分らしく