BLUE MOMENT17
士郎からキスをしてきたことなど……、ないと思うが……?
「あー……、えっと、覚えてない、よな……、はは……、そっか……、そ、だよな。悪い、どうでもいいことなんだけどさ、ほんと……」
視線を落とした士郎は小さな笑みを浮かべて言うが、全く以て、どうでもいいなどと言って片付けられる様子ではない。
「す、すまない、私は――」
「な、なに謝ってるんだよ! なんてことのない話だ。俺が間違ってるのは本当のことだし、アーチャーには、関係ないはな……し……」
私が険しい顔をしたのだろう、士郎の声は尻すぼみになる。士郎に怒りをぶつけるのは得策ではないとわかっているのだが、こいつは恋人になった私に、まだ、関係ないと言う。
(なぜだ……)
少々苛立ちが面に出そうになる。
「ごめん……。俺、また――」
「それは、どういう意味合いの謝罪だ?」
「俺がまた、間違えているから……」
叱られた子供のように居心地が悪そうな顔をして、士郎はまたわけのわからないことを言う。
間違える、とは、どういう意味なのか。士郎は何を間違えると気にして……、いや、恐れているのか。
それほど気にするということは、誰かに言われたことなのか……?
「間違っていると、誰に言われたのだ?」
「え?」
「士郎は自身が何もかも間違えていると思っているようだが、お前が間違っていると、誰かに言われたのか?」
「……誰、かに?」
「ああ。言われたことがあるのだろう? それほど自身が間違っていると言うのだから」
「…………」
士郎は押し黙った。反論できないのか、それとも、そんな気も起きないのか。
「士郎、お前は自身が間違っていると思い込み過ぎているのではないか?」
「そんな……こと、ない……」
「なぜ、言い切れる?」
「だって、アンタが……」
「私が? 私はお前の何が間違っていると言った?」
「違う、アンタは何も、」
「では、なんだ。いったい誰に言われた? 私の知っている者か? 所長代理か? それともカルデアのスタッフか?」
士郎の返答は、あの、だの、その、だの、要領を得ず、とにかくはっきりと答えない。いい加減腹が立ってくる。
「さっさと答えろ! いったい、お前は何が言いたい!」
結局、声を荒げてしまった。
士郎とじっくり話をしなければとわかっているのに、士郎がいっこうに胸襟を開こうとしないから……。
いや、言い訳がましいな。私に堪え性がないからだ。
士郎が言わんとすることを、じっと待って聞いてやることができないからだ。
「すまない。怒鳴るつもりはなくてだな……、その……」
硬く強張った頬を見てから言い訳しても仕方がない。士郎は腿の上で軽く組んだ指を落ち着かない様子で動かしている。
「いいよ、全然……。俺が、はっきり言わないからだろ、アーチャーが怒るのは」
「いや、怒っ……ているわけでは……」
「ごめん、うまく言えなくてさ」
自身の手元を見ていた士郎は、少し俯いていた顔を上げ、私に笑いかける。
どこか諦めた感じのする微笑だ。士郎はまた、諦めている。
私に理解されることなどないと、この数分の間に、そう思わせてしまった。
「士郎、その、」
「俺がどうしようもなくキスがしたくなったのを、アンタは止めたからさ……、これは間違っているんだなって、気づいたんだ」
「は?」
いつの話だ?
どうしようもなく、キスがしたかった?
士郎にそんなそぶりはあったためしがないと思うが……。
「そ、それは、いつのことだ……?」
「…………」
きゅ、と引き結ばれた唇が一瞬震えたのを見逃さなかった。私は今、確実に士郎を傷つけている。
ただ、それがわかったとて対処のしようがない。誰しも身に覚えのないことを恨みがましく訴えられても、正しく答えることなどできないのだから。
「い、いやいや、この話はさ、もう、い――」
「いいわけがない!」
士郎の両肩を掴んでこちらを向かせる。
「いいか、士郎。私はお前のことが理解できていない。その原因はもちろん私にある。だが、お前も、何も言わなさすぎる。この世界に転がり込んだことはもう諦めるしかないと、元居た世界に戻ることを諦めるのは仕方がないと思う。だが、私を諦めないでくれ。私だけは、どうか……」
声が萎む。
今さら何を勝手な、と言われても仕方がないことをした。私は士郎を傷つけていたのだ、責められても、怒鳴られてもおかしくはない。だが、それでも士郎は私を好きだと言ってくれる。ならば、その想いに縋りたい。虫のいい話だが、これが最後のチャンスとばかりに、私は邁進するしかないのだ。
他の何を諦めていてもいい。理想を叶える術などないと投げ出してしまってもいい。しかし、私のことだけは、諦めたりしないでほしい。話し合えば、傍にいれば、寄り添っていれば、分かり合っていける、互いに理解が深まっていく。だから、どうか……。
目を伏せた士郎の瞳が見えなくなった。そんなことにすら不安になる。
(ああ……)
不意に思い出した。この左目に赤い義眼が嵌められていたときの焦燥を。
案外私は好きだったのだな、琥珀色の瞳が。いや、その瞳を持つ衛宮士郎が……。
「士郎、どうか……」
「そんな顔しないでくれよ、話すからさ……」
士郎は私の腕をそっと撫でた。
「俺が夜中に部屋を出て、アーチャーがこの部屋から出られなくなって怒ってたときのことだよ。アーチャーが風呂入りに来た日だ。どうしたら許してくれるんだろって、ずっと考えててさ、セックスでもすればアーチャーは許してくれるんじゃないかって……」
「お前な……」
どういう目で私を見ているのだ……。
「酷い奴だな……」
不貞腐れれば、士郎はすぐに頭を下げた。
「ごめん。一瞬だったとしても、失礼なこと考えた」
士郎に謝らせておいてなんだが、確かに怒っていても抱き合えば許してしまいそうだな……。
士郎から誘われたと舞い上がって、すぐに怒りなど忘れてしまうだろう。
(いやいや、それもどうかと思うぞ、オレ……)
それでは、士郎なら何でもありだと言わんばかりではないか……。
「ま、まあ、それで?」
自分のことは棚に上げて先を促せば、士郎は居心地悪そうにしてぽつぽつと言葉を紡ぐ。
「それで……、そんなわけないなって」
「当たり前だ」
「だよな……」
ごめんなさい、と士郎は再び頭を下げた。ため息を吐きつつ、その髪を撫でれば、士郎は上目で私を窺っている。
「で、思い直したんだけどさ、なんでだか、キスしたくなって、なんにも考えないでやっちまって……。だから、アーチャーが止めてくれてよかったと思うよ。じゃないと俺は――」
「ちょ、ちょっと待て! そん、っ、ば、馬鹿か貴様ッ!」
「へ?」
「なぜ、お前はっ……」
どうして、そこで自分に非があると決めつけるのだ。士郎には、なんら反省するところはない。むしろそれは、私に非があることじゃないか……。
あの夜、私は士郎が戻ってきたことにほっとしながら、それをひた隠し、何も言わずに部屋を出ていったことを責めた。
勝手にいなくなったことに焦り、また私の知らないうちに、気配すら掴めない遠くへ行ってしまったのかと、焦燥に駆られた苛立ちをぶつけてしまった。
作品名:BLUE MOMENT17 作家名:さやけ