BYAKUYA-the Withered Lilac-4
ビャクヤが作り出した顕現の盾とぶつかると、ワーグナーの炎は一瞬にして勢いを失っていった。
「バカな!? こんな事が……!」
ビャクヤは、炎を消したのではない。盾を通して、炎を起こすワーグナーの顕現を吸い取って自らのものとしたのである。
爆発的な顕現を消費し、ワーグナーにはもう、僅かしか顕現が残されてはいなかった。
「くっ……! はあ……はあ……」
先に負った深傷も相まって、ワーグナーは急激な目眩を感じ、息を切らしてその場に膝を付いた。
そこへビャクヤが、靴音を響かせながら歩み寄った。
「キミの顕現はすごいね。ちょっと取り込んだだけなのに。下手な虚無を喰らうよりも力がわくよ。最期に僕の顕現。味わわせてあげよう……!」
ビャクヤは、奪った顕現、そして自らの顕現を一点集中し、一気に解き放った。
「ちょっと本気で行くよ!」
ワーグナーがやったように、ビャクヤも顕現を爆発させた。
「さあ。僕の一部に……!」
ビャクヤがワーグナーを切り裂こうとした。
「そこまでよ、ビャクヤ!」
鉤爪がワーグナーに最も迫った瞬間、後に控えていたツクヨミが大声を上げた。
ツクヨミの声に反応し、ビャクヤは伸ばした鉤爪を止める。
「ええ……もう終わりなの?」
ビャクヤは、いかにも不服そうに口を尖らせた。
「言ったはずよ、彼女を殺しては駄目と。下がりなさい、ビャクヤ。私はこの紅騎士に、少し話があるの……」
「ちぇー……」
ビャクヤは、仕方なさそうにツクヨミに道を譲った。
ツクヨミは、息も絶え絶えで満身創痍のワーグナーを見下ろす。
「……『光輪』の紅騎士といえどその程度なのね。けれど、一つだけフォローをしてあげるわ」
「貴様……!」
実際に戦ったわけではないというのに偉ぶるツクヨミに、ワーグナーは静かな憤りを見せる。
「顕現には相関性がある。ビャクヤのそれは誰に対しても相性最悪なの。この子自身の力は決して強くはない。だから落ち込む必要はないわ」
もっとも、とツクヨミは続けた。
「……顕現の相関性がなかったとしても、あなた程度にビャクヤが遅れを取るような事はないでしょうけどね……ふふふ……!」
ツクヨミは、最高の嘲笑をした。ビャクヤの力の強さを誰よりも理解しているが故の余裕であった。
「姉さん。確かにそいつは弱いけど。そんなにいじめちゃ可哀想だよ。あははは」
ビャクヤも笑って便乗する。ワーグナーは屈辱の極みである。
「……さて、訊きたいことがあるのだけど、いいかしら?」
「…………」
ワーグナーは答えないが、ツクヨミは話し始めた。
「"Ich denke Sie Vissen nie die Antwort auf meine Frage,die ich Sie sicher frage.Zohar das Piarcing Heart Doppel-Genger. Kennst du diesen Namen und wo ist sie jetzt?"(あなた程度が知ってるとは思えないけど、一応訊いておく。探抗う深杭(ピアッシングハート)、『二重身(ドッペルゲンガー)』のゾハル。この名と所在に、心当たりはない?)」
「えっ!?」
突如として、ツクヨミの口からまるで呪文のような言葉が続いたため、ビャクヤは驚いてしまった。
ツクヨミが話したのはドイツ語である。それもかなり流暢で、それが母国語であるかのようだった。
ワーグナーにとっては馴染み深い言語であるはずだった。『光輪』のある国では、最も良く使われている言葉である。
ワーグナーはやや間をあけた後に答える。
「……"Es weiss nie ich!"(知らんな!)」
思った通り、ワーグナーからはドイツ語での返答があった。
「そう、残念だわ」
ツクヨミは踵を返した。
「帰るわよ、ビャクヤ。火の手がだいぶ回った。長居は無用よ」
「待ってよ姉さん! 二人してなんて喋ってたんだい!?」
「あなたに知る必要はない。服が煤臭くなっちゃうでしょ。行くわよ」
ツクヨミは歩き始めてしまった。ビャクヤは仕方なく後に続く。
「そうだ、これだけは伝えておく……」
ツクヨミは振り返らず、顔を少しだけワーグナーに向けた。
「今日は生き延びられたけど、あなたは近々、ある男に命を狙われるわ」
「"Was meinen"……どういう事だ?」
ワーグナーは、ドイツ語が出そうになるが、ツクヨミの言葉に合わせた。
「『強欲』のゴルドー。この名に覚えはないかしら? 彼の親友を斬ったそうね、あなた」
「ふん……あれか……私は役目を果たしたまで。恨まれようが私には関係無い事だ」
「これからの生き方を考え直すつもりはないようね……けど、一応忠告はしておく。命が惜しいのなら、『虚無落ち』を片っ端から斬らない事ね。たとえその者が、完全に落ちていようとなかろうと……ね」
ツクヨミは言い終わると、ワーグナーの返答を待つことなく、ビャクヤと共に去っていった。
パキパキと音を立てながら、燃え盛る木がワーグナーとツクヨミの間に倒れた。
燃え盛る倒木の向こうでワーグナーがどのような顔をしていたのか、それはツクヨミには知る由もなかった。
※※※
『光輪』の紅騎士、ワーグナーとの戦いから一夜が明けた。
ツクヨミは、ダイニングテーブルに着き、スマートフォンを眺めていた。
昨夜のワーグナーが起こした火事についての記事が、既にインターネットに挙げられていた。
一夜にして公園の木々が全焼、しかし、火災発生の目撃者なし、という見出しである。
今日未明、『夜』の終わった瞬間、焼け跡となった公園が巡回中の警察によって発見された。
その警察によると、ほんの一時間前までは普通の姿をしていた公園が、巡回の帰りに寄ると、辺り一帯が焼け焦げていた、とのことだった。
警察では、不審火事件として捜査しているが、『夜』の存在を知らぬ者に手がかりなど掴めるはずもなかった。
しかし、一つだけ一般人でも分かることがあった。
火災の現場には焼けた血痕があった。この事からこの火災は不審火のみならず傷害事件としても捜査されるとの事だった。
一般人にも見つけられた血痕とは、ビャクヤとワーグナーの戦いで、ワーグナーが流した血の跡に間違いはなかった。
しかし、付近に変死体のようなものは残っていなかったらしい。
ーーどうやら、彼女も逃げおおせたようね。まあ、あの程度で死ぬようなこともなかったでしょうけどーー
ツクヨミは、今回の出来事を厄介だと思う。
現実とは違う『夜』で起きた事は一般人に知れ渡ることはあり得ない。しかし、これほどまでに現実に痕跡を残してしまうような事をしていては、『夜』そのものの存在を知られることはなかろうとも、なんらかの因果関係を掴まれ、自分たちのやって来たことに足がつく可能性があった。
ビャクヤは以前から、『偽誕者』を何人も手にかけ、ツクヨミも邪魔者の殺害を命じたこともある。
『夜』で死んだ者の遺体は現実に変死体として発見される。故に何者かが、なんらかの方法で殺害に及んでいる、とは現実の人々にも知れ渡っていた。
作品名:BYAKUYA-the Withered Lilac-4 作家名:綾田宗