彼方から 第三部 第四話 ~ 余談 ・ エイジュ ・ アイビ
このような『地に這い蹲る』姿など、実際目の当たりにしても、すぐに信じられるものではないだろう。
白霧の森では、確かに、暫し倒れ込んだりもしていたし、その後も、本調子ではないようではあったが……
だが、動けないほど、立ち上がれないほどではなかった。
あの時は、エイジュの診立てもあって、一時的に力を使い過ぎたが故の一過性のものだと、誰しもが思っていたのだ。
二人を除いて……イザークとエイジュの、二人を除いては……
***
「――っ!! イザークッ!!」
ガーヤから少し遅れて、ノリコが庭に姿を現した。
眼に入った光景に、彼女は思わず、彼の名を呼んでいた。
――ノリコ!
耳に入ったその声に、イザークは無意識に彼女の姿を求め、瞳を向ける。
「もしかして、あの発作が起こったの!?」
顔を蒼白にして、焦ったように彼女が……ノリコが両手を差し伸べながら駆け寄って来てくれる。
その様に、少なからず安堵を覚えるイザーク……だが――
『どれだけ彼女を悩ませてるか、分かってんのか!!』
――クッ!!
先刻のバーナダムのセリフが頭を過る。
イザークは彼女から顔を背け、きつく、瞼を閉じていた。
「発作?」
「うん、すっごく疲れて力が出ない状態がね、突然、来るんだって」
バーナダムに問われ、ノリコは以前イザークから聞いたことを、簡単にだが説明する。
「え? イザークにそんな病気があったのかい? 知らなかった……」
傍でその説明を耳にしながら、ガーヤは驚きと戸惑いを綯交ぜにした表情を浮かべている。
「前になった時は、一日続いたんだけど……あ――」
カルコの街でのことを思い返しながら、ノリコが二人に、そう話していた時だった。
イザークが……
力なく、ふら付いた足取りで立ち上がろうとしたのは。
「大丈夫? 立てる?」
ノリコはただ心配で、
「部屋へ戻るの? 肩、貸そうか?」
小走りにイザークに駆け寄ると、肩の辺りの服を掴みながらそう、声を掛けていた。
ただ、それだけのことだったのだが……
「あ」
パシッ――
彼女から顔を背けたまま、イザークはその手を……
ノリコが差し出してくれたその手を、振り解いていた。
***
おれに、近づくなノリコ
「いらん……一人で歩ける」
彼女の、無言の気配が伝わってくる。
直ぐ、傍に居てくれるノリコの、驚きと戸惑いの気配が。
力の加減が出来ない――こんな、荒っぽく、振り解くつもりはなかったのに……
……だめだ
おれは……おれは、まだ……
どうしていいのか、分からない
こんな気持ちで、こんな体の状態で……
ノリコの傍に居ても……
足取りが覚束ない。
背中に、ノリコの視線を感じる。
不安げで、困惑した視線……
あいつの、バーナダムの視線も分かる。
今の、ノリコに対する態度と、急な体の異変。
『なんだ? こいつ』と、その視線が言っているのが、分かる。
「あ……ノリコ、ほら、肩を貸すならあたしとか、バーナダムの方がさ――重いからさ」
ガーヤが、おれたちに、気を遣ってくれている。
「ノリコは傍に付いててやってよ、そんな症状なら、色々大変だろうし……」
カルコの町でも、ノリコはずっと、傍に居てくれた。
おれがいくら邪険にしても、心配そうな瞳で、言葉が分からなくても、何も出来ないと分かっていても、ただ、ずっと、傍に……
今なら――
言葉が交わせる、今なら。
いや、たとえ言葉が交わせなくとも、傍に居てくれるだけで……それだけで……
だが――
まだおれは、おまえを悩ます態度しか、取れない――!
「いらんっ! つかなくていいっ!!」
ああ、違う!
何を言っているんだ、おれは……
傷つけた――
今の言葉は、彼女を傷つけた……
傷つけたくないのにっ!!
……だめだ。
頭の中がグシャグシャで、彼女の顔がまともに見られない……
イザークは館の壁に手をつき、ふら付く体を支えながら顔を歪め、片手でその顔を覆っていた。
いつもよりも早い周期で訪れた症状。
ただ、過ぎるのを待ち、耐えていれば良かった今までとは違う。
心も……心までも、今はどうにもならない。
どうすればいいのか、どうしたいのか……
答えを見つけられないまま、ただ、苦しむより他はなかった。
***
「いらんっ! つかなくていいっ!!」
ガーヤの言葉にイザークは語気を強め、間髪を入れずにそう返していた。
冷たく、撥ねつけるような彼の言葉に、ノリコは心臓を強く握り潰された様な感覚を覚える。
何も言えない。
ただ、彼の身を案じている……それしか出来ない。
本当は、ガーヤの言葉通り、何も出来なくても傍に付いていたい――カルコの町でも、そうであったように。
だがそれは、出過ぎた真似になってしまうのだろうか……
イザークが『いらん』と言っているものを、自分がそうしたいからという想いだけで、無視してしまっても……良いのだろうか。
カルコの町では、言葉が分からなかったが故に、傍に居られたのかもしれない。
今は……言葉が分かるが故に、傍に居られない……
彼が好きだからこそ、彼の負担になるようなことはしたくない。
でも、好きだからこそ、こんな時は、傍に居てあげたい……
何か――してあげたい……
今、イザークの体が、どれほど辛いのかが分かるが故に……
募る想いのまま、ノリコは戸惑い、動くことが出来ずにいる。
自分の想いを出すことが――その心のままに動くことが良いことなのか……分からないが故に……
***
傍眼で見ていても、身体が本当に辛そうなのが分かる。
だが、イザークのそんな様を見ても、バーナダムは手を貸すのを躊躇していた。
普段、何てことのない日常での出来事なら、躊躇いなく手を貸していただろう。
だが、今は――どうしても躊躇いが生じてしまう。
どんなに体調が悪かろうと、今のイザークのノリコに対する態度と言葉は、看過できないからだ。
冷たく、悪く言えば拒絶するかのような言い方。
彼女が傷つくかもしれないとは思わないのか……そう思えて仕方がなかった。
相手が病人とは言え、ムッとしてしまう。
倒れてしまったところを目の当たりにしていた人間として、手を貸さないのは冷たいと言われるかもしれないが、ガーヤがイザークに歩み寄っていくのを、バーナダムは黙って見守っているだけだった。
「イザーク……」
ふら付きながら館へと向かい、壁に手をつき体を支えるイザーク。
そんなイザークを見かねて、ガーヤはノリコと彼を交互に見やりながら仕方なく、手を貸すために歩み寄っていく。
館の中へと、彼を支えながら誘ってゆくガーヤ。
騒ぎを聞きつけたのか、館の廊下、庭への出入り口付近にはアゴルの姿があった。
「あれ? イザークはどうしたんだ?」
ガーヤに付き添われ歩くイザークの姿に、問い掛けるアゴル。
「それがさ、急に倒れちまってさ……」
作品名:彼方から 第三部 第四話 ~ 余談 ・ エイジュ ・ アイビ 作家名:自分らしく