彼方から 第三部 第四話 ~ 余談 ・ エイジュ ・ アイビ
ただ立っているだけでも辛そうな彼を支えながらガーヤは端的にそう返し、部屋へと向かった。
「倒れたって?」
彼女の言葉に、アゴルは思わず所在無げに立ち尽くし、イザークたちを見送っている、バーナダムとノリコを見やった。
「あの、白霧の森でも倒れた、あれか?」
立ち込める霧の中、不意に体を抱えこむようにして倒れ込んだイザークの姿が、アゴルの脳裏に浮かんでくる。
「ああ、そういや……」
倒れた様を自分は直接目にはしていないが、あの時も『急に倒れ込んだ』とアゴルが言っていたのを、バーナダムは思い出していた。
「でもあの時は、エイジュが力の使い過ぎによる、一時的なものだって……」
「ああ、そうか――そうだったな……」
バーナダムの返しにアゴルも気づいたように思い出し、ガーヤに付き添われて歩くイザークの背中を見やる。
「それに、ノリコの話しじゃ、すごく疲れて力の出ない状態が突然来る発作で、前に起きた時はその状態が一日くらい続いたって……」
バーナダムはそう言葉を続けながら、ただただ、心配そうに瞳を潤ませ、部屋へと向かう二人の背中を、ガーヤとイザークの背中を見詰めるノリコを見やっていた。
「発作……」
バーナダムの説明に、アゴルはラチェフの命でカルコの町に向かい、訊き込んだ時のことを思い返していた。
――町長や医師も、そういえばそんなことを言っていたな……
物凄く体が辛そうで、熱もあったと医師は言っていた。
にも拘らず、イザークはその夜、夜襲をかけてきた盗賊たちを返り討ちにしたとも……
ガーヤに支えられながら歩く、今のイザークの姿からは想像すら出来ない。
イザークの身にだけ起こる、聞いたことのない『病』。
病の中、自由にならない体で、数十名の盗賊を倒してしまえるだけの力……
彼と共に行動する間に見知ったこと、聞いた内容。
アゴルは、よろめくイザークの背中を見やりながら――とある推測に確信を持ちつつあった。
***
『イザークが好き』
『ずっと、傍に居てね』
ゼーナの館、宛がわれた部屋の中。
「お……おい」
ガーヤに付き添われ、疲れ切ったような様相で戻って来たかと思ったら、耐え切れないようにベッドに座り込んでしまったイザークを見て、バラゴは思わず、心配そうに声を掛けていた。
熱が出ているのだろう、顔色が優れず、息も上がっている。
イザークは、身を案じ声を掛けてくれる二人に、言葉を返す余裕もなく、ベッドに体を横たえていった。
――あいつは……
頭の中で何度も、彼女の声や言葉が笑顔と共に繰り返されている。
――自分が【目覚め】として
――この世に現れたことを知らない……
二人だけで旅をしている間、いつも見せてくれていた明るく優しい、屈託のない笑顔……
そんな笑顔だけが、脳裏に蘇る。
――おれを【天上鬼】として目覚めさせる……
――そんな役割を持ってこの世にやって来たことを、知らない……
熱く怠い体。
横たわっているだけなのに、呼吸すら、辛い……
――ノリコと出会ってから
――おれの運命は確実にその方向へ流れている
――いつもより早く訪れたこの症状が
――弥が上にも、その不安を掻き立てる
枕に顔を埋めるようにして、臥せってしまうイザーク。
「大丈夫かい……? 何か欲しいものとか、して欲しいことはないのかい?」
「おう、そうだ。何でも言ってくれよ、遠慮しねぇでよ」
ベッドの脇に立ち、覗き込むようにして声を掛けてくれる二人に、
「……だい、じょうぶだ――放って置いて、くれればいい……このまま、横になっていれば、いいから……」
イザークは二人を見ることもなくそう言うと、まるで会話を拒むように、背中を向けてしまっていた。
「……」
「……」
バラゴとガーヤは、普段と全く違う様相のイザークに戸惑い、互いに無言で顔を見合わせると、致し方なく、部屋を後にするしかなかった。
部屋の扉が閉じる。
一人になり、不安よりも安堵が過る。
苦しむ姿など……弱々しい姿など、あまり人に見せたいものではない。
特に今、著しく心が不安定な今は、尚更だった。
「とにかく、横になっていればいいからって……放って置いてくれていいからとか言って……」
部屋の外、扉の前で、ガーヤ達が出てくるのを待ち構えていたかのようなバーナダムとノリコに、ガーヤは済まなそうな表情でそう説明する。
「やっぱり……カルコの町でも、そうだったの……医師の先生も、聞いたことがない病だって――熱があるのに、冷やすためのタオルも、いらないって……あの時も、言われたの……」
不安げに、握った手を口元に当ててそう呟くノリコ。
ただ、傍に居ることすら拒まれた彼女の、辛そうな表情に、ガーヤは慰めるような笑みを見せると肩に手を置いた。
「大丈夫だよ、ノリコ。自分の体なんだ、どう対処すればいいのか、一番良く分かっているのはあの子自身だろうし、前になった時も、ちゃんと治ったんだろ? それにさ、体が辛い時、誰かが傍に居ると気になって休めないって人もいるしさ――少し、様子を見よう。ね? ノリコ」
「……おばさん……」
ガーヤの優しい言葉にノリコはコクンと頷くと、彼女に促されるまま部屋の前から離れ、昨日、皆で食事を摂った広間へと連れられて行った。
「言っても仕方ねぇけど、こんな時、エイジュが居たらな」
「ああ、そうか……そうだな」
ガーヤに背中を擦られながら、広間へと向かうノリコの後ろ姿を見やり、ぽつんと呟いたバラゴの言葉に、一応、言葉を返したバーナダムだったが、その視線はずっと、ノリコを追っている。
彼女の姿が視界から消え、バーナダムはイザークが休む部屋の扉を一瞥すると、眉を少し歪め、
「とりあえず、おれ達も行こう」
バラゴにそう声を掛けるも、返事も待たずに歩き出した。
「おう……」
何か、思い詰めているかのようなバーナダムの表情に、バラゴは額をポリポリと掻きながら返事をすると、
「ま、暫く様子見だな」
そう言いながらバーナダムの背中と部屋の扉を交互に見やり、彼に続いて歩きだしていた。
***
誰もいない部屋。
部屋の周りにも、人の気配はない……
イザークは一人、体の辛さを紛らわせるかのように――辛さと共に湧き上がる不安と、不安定な心を落ち着かせるかのように、何度も寝返りを打っていた。
――おれの体の中で、何が起こっているのか
――おれは、どうなっていくのか……
――あの時に分かった
魔の森の魔物に操られた、大岩鳥に二人で攫われてしまった、あの時……
ノリコの眼の前で変容してしまったあの時を、思い出す。
――おれの最終形態はあんなものじゃない
――天上鬼のごく一部が、顔を出したに過ぎないんだ……
――まだ……まだ奥に
――底知れないエネルギーが蠢いていた
今、この体に起こっている症状は、あの変容に抵抗を試みている為なのか……それとも――
体が変容に順応しようとしている為なのか……
作品名:彼方から 第三部 第四話 ~ 余談 ・ エイジュ ・ アイビ 作家名:自分らしく