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彼方から 第三部 第四話 ~ 余談 ・ エイジュ ・ アイビ

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 どちらも有り得ることであり、仮に、正解が後者であるならばそれは――やがて、確実に、『人』ではなくなるということになる。
 【天上鬼】に、近づきつつある……ということになる――【目覚め】が、傍に居るが故に……

 ――あの時は……
 ――霞んではいたものの、まだ、おれの意識はハッキリあった
 ――だが……
 ――最後までそれが、残っているかどうか、分からない

 イザークは、枕を抱えこむかのように俯せになり、自身の考えを……嫌な方へと向かう思考を抑え込むかのように、額に手を当ててゆく。

 ――その時になったら、おれは……
 ――何をしでかすのだろう
 ――世界中の占者の言うように
 ――破壊の化物となるんだろうか……

 だが、思考は止まらない。
 熱に浮かされ、怠く辛い体に釣られるかのように、心も想いも乱れ、治まりを見せない。

 ――おれが何者でも構わないと……
 ――そう言ったノリコをすら
 ――手に……掛けてしまうのではないだろうか

 ――それが……
 ――それが、恐ろしい

 あの日、あの時――
 気を失うほどの体の痛みを押して、行ってしまおうとしていた自分を、止めてくれたノリコの姿が浮かぶ。
 彼女の言葉が、その唇の柔らかさが、鮮明に蘇る。
 同時に……
 変容した自らの手が、彼女の白い柔肌に食い込む様が、引き裂く様が……
 恐怖と痛みに歪む彼女の顔までもが、まるで実体験の如く、脳裏に浮かんでくる。
 ただの、想像の産物に過ぎない映像に、イザークは思わず、瞼をきつく閉じた。

 ――今、すぐにでも
 ――ノリコを拒絶し、遠ざけて……
 ――逃げ出したい

 【天上鬼】となってしまう前に。
 恐ろしい想像が、『現実』となる前に。

 ――だが
 ――それも、出来ない

 ――おれは……

 自らの『想い』を見詰めるかのように、確かめるかのように、イザークは瞼を開く。

 ――おれはあいつを
 ――離したくないから……

 ――離したくない……
 ――離したくないんだ!

 心の内にある、彼女への想い。
 偽ることの出来ない感情。
 彼女の温かい笑みが、心の中を埋め尽くしてゆく。
 湧き上がる、激しい想いの丈に、イザークは再び瞼をきつく閉じ、両の手の平で顔を覆っていた。

 ――あいつが……

 二人の姿が――笑みを浮かべながら言葉を交わしている、バーナダムとノリコの姿が、脳裏に浮かぶ。

 ――あいつがノリコに話し掛ける度に
 ――どれだけ、腹立たしかったか

     『イザークが好き』

 ――あの言葉が
 ――どれだけ、嬉しかったか

 ――彼女が普通の女の子だったら
 ――【目覚め】でなかったら
 ――おれが、【天上鬼】でなかったら……

 ――どれだけ
 ――どれだけそれを、願ったことか……

 儘ならない体に、儘ならない心。
 イザークは辛さを紛らわすかのように体を捩り、シーツを握り締め、胸に――手を当てていた。

 ――受け入れられない
 ――離したくない

 ――おれの、この態度が
 ――彼女を苦しめている

 分かっていても、どうにもならない。
 『事実』を、話すことも出来ない。
 いつも、笑顔でいて欲しい……
 そう願う自分の、自分の曖昧な態度が、彼女から笑顔を奪っているというのに……

 ――苦しい……
 ――心が二つに裂けそうだ……

 今、感じているこの苦しみは――
 『発作』故の苦しみなのか、彼女への『想い』から来る、苦しみなのか……
 どちらにしろ、今はただ、耐えることしか出来ない。

       とた とた とた……

 ――足音

 誰もいない静かな部屋のせいだろうか。
 部屋に近付く足音が、良く聞こえる。
 聞き覚えのある、足音が……

       とんっ……

 ――ドアの前で止まった

 足音の主は、そこで止まったままだった。
 扉の前に立っているであろうに、扉を開けることもなくただ……そこに……

 イザークは、部屋の外に立ち尽くしている人物の気配を感じ取ったまま、待つかのように、様子を窺うかのように、何もせず、ベッドに横たわったままでいた。

          ***

「…………」
 イザークが休んでいる部屋。
 その扉の前で、ノリコが扉を見詰めたまま立ち尽くしている。
 彼の身を案じ、部屋の前まで来てみたものの……

 ――入りにくいなァ……

 戸惑い、不安げに表情を曇らせ、ノックすら出来ずにいる。
 
 ――食事、持って来たけど
 ――また……
 ――いらんっ! とか、突っ撥ねられそう
 ――前の時も、全然食べなかったし……

 トレイに乗せた、彼の為の食事。
 余計な気遣いをしているのではないだろうかという思いからか、ノリコはイザークの反応が少し怖くて、じっと見詰めたまま、動けずにいた。
 
 ――そういやあの時も……
 ――急に怒鳴ったりとか、不機嫌になったっけ

 ――イザーク…………

 それでも傍に居られたのは、やはり――言葉が通じなかったお陰だろうか。
 本当は今の方が、言葉が分かる今の方が、色々とやってあげられることがあるはずなのに……
 あの頃分からなかった言葉が分かり、あの頃には芽生えていなかった感情が、今は、芽生えてしまっている。
 彼を案じ、想う心は今の方がずっと強いはずなのに、今の方がずっと――臆病になってしまっている。
 余計なことまで気になり、考え過ぎてしまっている……

 ――あたしの手は払いのけたのに
 ――おばさんの手は、拒まなかった
 ――何か……
 
 ――あたしにだけ、怒ってるのかしら

 彼の……イザークのこれまでの言動から、ノリコにはどうしても、そう思えてしまう。
 心の内を伝えてもらえないが故に、ハッキリとした態度で、接してもらえないが為に、彼女は『自分に非があるのでは』という思いから、抜け出せない。
 
 ――ぜ……全然、心当たりないんだけど
 ――昨日まで普通だったし
 
 だが、心当たりがないだけで、気付かぬ内に怒らせてしまっていたのかもしれない……
 思い悩んでも致し方のないことばかりが頭に浮かび、仕舞には――

 ――あ……足が固まって、前に出ない
 ――ど……どうしよう……

 怖くて動けなくなってしまう……
 ただ心配で、今の、彼の様子が知りたくて――食事を持って来たのは、半ば、その為の口実のようなものだが、その自分の行為を彼がどう思うのか……
 余計に、不機嫌にさせてしまうのではないか、もっと、怒らせてしまうのではないか……
 傍目から見れば『杞憂だ』と思える、要らぬ思案ばかりが頭の中を埋め尽くし、鼓動ばかりを速まらせる……
 
 気になって仕方がない。
 なのに、嫌われたくなくて、怒らせたくなくて、余計な負担を掛けたくなくて……
 出て行けない。
 手も差し伸べられないし、言葉すらも、掛けられない……

 イザークが好きで……
 自分に出来ることなら、何でもしてあげたいと思い、願うのに――
 好きであるが故に怖くて、何も、出来なくなっていた。

          ***
 
 どのくらい……立ち尽くしていたのだろうか。