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彼方から 第三部 第四話 ~ 余談 ・ エイジュ ・ アイビ

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「どうしたノリコ、立ち竦んでよ」
「バラゴさん」
 朝の食事を終えたバラゴが、少し離れたところから声を掛けてくれる。
 じっと、部屋の扉を見詰めたままでいるノリコを、驚かさないよう、気を遣ってくれたのかもしれない。
 ノリコは振り返りながら、改めて手にしたトレイを見やると、
「そだ、バラゴさん。同室だったよね」
 そう言いながら彼に差し出し、
「これ、イザークに持ってってくれる?」
 少しホッとしたような、それでいてちょっと残念そうな表情を見せながら、頼んでいた。
「……ああ、いいけどよ」
 そんな、複雑な表情を見せるノリコを見やりながら、バラゴは額をポリポリと掻くと部屋の扉を開け、トレイを受け取りながら、
「あんたも入んなよ」
 ノリコに部屋に入るよう勧めた。
 だが、ノリコは相変わらず部屋の外に立ったまま、入って来ようとはしない。
「何、遠慮してんだよ、男の部屋だからか?」
 彼女を誘うように、バラゴは体を脇に避け、部屋の中へと視線を送るが、
「いえ、あたしは、ここで……」
 ノリコは少し引き攣った笑顔を見せながらぐいぐいと、まるで押し込むかのように彼の体を押していた。
 遠慮などではなく。
 今は、面と向かってイザークと顔を合わせるだけの勇気がない。
 また、冷たい言葉を聞くのが怖い。
 バラゴはノリコに押し込まれながら、仕方ねぇなとでも言うように小さく溜め息を吐くと、扉を開け放したまま、部屋へと入っていった。

「おい、イザーク。メシ持って来たぞ、うまかったからおまえも食え」
「バラゴ……」
 こちらを向くイザーク。
 声に張りがない。
「悪いが……食事はいらん」
「え、なんだよ、メシも食えねーのか?」
 体の向きを変えながら、気怠そうに、それでもちゃんと『悪いが』と詫びる言葉を入れてくるところは、イザークらしいが……
 持って来たトレイをサイドテーブルの上に置きながら、そこまで悪いのかと、バラゴは驚きと心配を禁じ得なかった。
 広間で食事を摂っている最中、ノリコが前回起こった発作の時の様子を話してくれたが、まさか、本当に、食事も摂れないほどまでとは……
 確かに、いつもよりも大分、顔色が悪い。

 ――ノリコが部屋に入るのを躊躇うわけだ……

 本当は心配で、居ても立っても居られないだろうに、恐らく、体調の悪いイザークの負担に、なりたくないのだろう……バラゴはそう、推察する。

 ――ま、理由はそれだけじゃねぇんだろうけどよ

 今、いつもと違う様子なのは、体の具合が悪いからだろうが、それを抜きにしても、昨日の『恋占い』騒ぎから、イザークの様子が少しおかしいことは分かっている。
 ノリコが襲われた日の、イザークのセリフが蘇ってくる。

   『おれはどうしていいのか分からなくて、あいつを傷つけてしまう』

 扱いに困り、持て余してしまうほどの想いを、恐らくイザークはノリコに抱いている。
 体調の悪さっていうのは、大なり小なり、感情にも影響する。
 いつもは冷静なイザークだが、いつもとは違うこの状況で、いつも通り、ノリコに接することが出来るかどうか、分かりはしない……
 二人を一緒に居させることで、事態を悪化させては元も子もない。
 手助けできるものならしてやりたいが、こればかりは、当事者同士に任せる他はない。

 ――黙って見守ってやるのも、『大人の男』ってもんだよな

 バラゴは一人、勝手に心の中で納得しながら、隣のベッドへと足を運んでいた。

          ***
 
 開け放たれた扉から聴こえてくる二人の声に、ノリコはそっと、部屋を覗き込んだ。
 少しでも良いから、彼の様子が、知りたくて……
 バラゴが移動したことで、イザークの視界にその姿が……恐る恐る覗き込む、ノリコの姿が、眼に入る。

 ――……!
 
 直ぐに、顔を背けてしまっていた。
 心配してくれている……彼女から。

 明らかに今、眼が合ったのに、直ぐに背けられてしまったイザークの瞳……

 ――目……逸らした
 ――バラゴさんの顔は見たのに
 ――あたしの顔から、目を、逸らした

 ショック――だった。
 そこまでされるほど、イザークは自分に対して何か、怒っているのだろうか……
 それとも、嫌われて――しまったのだろうか……
 心当たりがあるとすれば……

 今更ながらに、『告白』してしまったことを、彼にしてしまった『行為』を後悔する。
 行ってしまおうとしている彼を留める為、必死だったとはいえ……
 怖い夢から覚めた時、彼が傍に居てくれたことに安心し、嬉しかったとはいえ……
 やはり自分のしたことは彼にとって迷惑だったのだと、そう思えてくる。
 それでも……
 この想いはもう、消すことなど出来ない。

 傍にただ、居ることすら出来ないことが、『拒まれている』と思えてしまうことが、ノリコにはとても辛く、居た堪れなかった。

          ***

「…………」
 顔を背けたまま、静かに閉じられていく扉の音を、耳にしていた。
 自分でも、何をしているのかと思う。
 ノリコはただ、心配していただけだろうに……
「しかしよォ……」
 バラゴの声に、イザークはふと、眼線を上げた。
 隣のベッドに腰掛けながら、
「おまえにこんな弱点があるなんてなァ……一日か二日、こんな状態なんだって?」
 意外そうに、だが、特に気を遣った風もなく、バラゴは屈託なくそう訊いてくる。
 恐らく、食事の最中、皆に問われ、ノリコが知っているだけのことを話したのだろう。
「……ああ」
 応じながらイザークは、さっき部屋を覗き込んでいたノリコの、心配そうな瞳を、思い返していた。
「頑張れよ」
 無意識に、扉に眼を向けてしまうイザークに、
「したら、元にもどるんだろ?」
 バラゴは気遣いのある笑みを見せながら、そう、声を掛け、
「なんたっておめーはよ……」
 向こうを向いたままのイザークに、言葉を続けてゆく。
「おれがガキの頃から憧れてた、すげー力持っててよ」
 バラゴの言葉に、イザークは動きを止めた。
「めちゃくちゃ強くてよ……なのに、超然としててよ」
 彼の声音から、それが本心からの言葉なのだということは、容易に分かる。
「強くなって、皆を平伏さしてやろうなんて、おれのつまんねぇ野望が、バカらしくなっちまったぐれーで……」
 ナーダの城で、周りに気付かれぬよう、帯に押し込まれた彼の手紙の内容をふと、思い出した。

「強くない」
「え?」

 自分より年上の大の男が……二度も痛い目に遭わされた男に対して、卑下する訳でもなく言った素直な言葉を、イザークは思わず、遮っていた。
「おれは、強くない……」
 訊き返してくるバラゴに、イザークはもう一度否定する。
「全然、強くなんかない!!」
 ……語気を強めて――
「お……おい」
 こんな自分が、バラゴの憧れの対象になっているなど――
 『強い』などという言葉を耳にするのが烏滸がましいほど、自分が情けなく、イザークは彼に背を向け、枕に顔を埋めていた。

          ***
 
 おれって奴は……彼女を労わる余裕もない。

 そっと――恐る恐る、ノリコは部屋を覗き込んでいた……