彼方から 第三部 第四話 ~ 余談 ・ エイジュ ・ アイビ
しかし……『何も気に留めていない』ようにしか見えない、彼女の笑顔……
彼は一時、差し出されたカップを見詰めた後、
「……では、遠慮なく」
苦笑を浮かべ、手に取った。
また、書誌を手に、長机に向かおうとするエイジュを見上げ、
「報告書の見直しですか?」
冷めたお茶を飲み干し、声を掛ける。
「ええ……時間が、あるものだから……」
「時間が……?」
足を止め、訊き返してくるクレアジータを見やり、
「迷惑でしょうけれど、一月ほど……ここでお世話になりたいのだけれど、いいかしら?」
エイジュは少し遠慮がちに、眉を潜めた笑みを見せた。
「勿論ですよ」
「良かったわ」
満面の笑みで即答してくれるクレアジータに、エイジュもまた、笑みを返していた。
「ところで、エイジュ……」
「何かしら?」
「実は、君に一つ――提案があるのですが……」
「……提案?」
再び、長机に向かおうとするエイジュに、クレアジータはもう一度、声を掛ける。
「先ほども言いましたが、ダンジエルが君を心配している……二日もここに入り浸っている君を」
「ええ……」
頷き、眉を潜め、済まなそうな笑みを浮かべるエイジュ。
同時に、『それで?』とでも言いたげに、首を傾げてくる。
「他にも二人ほど、ダンジエルに君の様子を聞いて心配している者達が居るのですが……もし良ければ、その者達と一緒に、これから街に出ませんか?」
「一緒に……街に?」
「ええ――そして、夕食を共に、摂りませんか?」
「夕食を……?」
書誌を手に、エイジュはクレアジータを見詰めたまま、怪訝そうにただ、言葉をオウム返しにしている。
柔らかな笑みを湛え、応えを待つ彼に、エイジュは眉を潜め、瞳を伏せた。
「申し出は、有り難いのだけれど……」
「エイジュ」
クレアジータは、断ろうとする彼女の言葉を途中で遮ると徐に立ち上がり、その手にある書誌を、不意に、取り上げた。
「……? 何を……」
いつもの彼ならしないような行動に、エイジュの眉が顰められてゆく。
クレアジータは書誌を長机に置き、にっこりと微笑むと、
「断るのは構いません――構いませんが……」
そう言いながら、彼女の手を取った。
「それは私だけにではなく、君を心配している三人の……いえ、私を含めた四人の前で、言ってもらえますか? エイジュ」
「え――?」
取られた手と、クレアジータの顔を交互に見やりながら、戸惑うエイジュ。
惑う彼女に再び微笑むと、クレアジータはそのまま、書庫からエイジュを連れ出していた。
「ま――待って、クレアジータ! あ、あたしは……!!」
抵抗しようと思えば……掴まれた手を振り解こうと思えば簡単に出来たが、クレアジータの、いつもとは違う少々強引なやり方に戸惑い、エイジュは成すがままに、連れられてゆく。
困り顔の彼女を見やりながら、クレアジータは一路、エントランスへと向かっていた。
「エイジュ!」
「すごぉい、クレアジータ様! 本当に連れて来ちゃった」
エントランスに入った途端、二人の驚きの声が聞こえてくる。
「流石です、クレアジータ様。見事にエイジュを連れて来られて……」
「多少、強引でしたが……皆と約束しましたからね」
そう応えた後やっと、クレアジータはエイジュの手を離していた。
「どうして、こんな――」
別に、痛くもなかったが、つい無意識に、掴まれていた手首を擦るエイジュ。
眉を顰めると、咎めるようにクレアジータを見据えていた。
「言ったでしょう? 断るのは構いませんが『四人』の前で、言ってもらえないかと」
クレアジータはそう言いながら、ダンジエル、ウェイ、カタリナの三人に歩み寄り、振り返ると、
「さぁ、エイジュ。遠慮なく断って下さい」
微笑みながら、言葉を促すかのように、三人の方へ手を向けた。
「…………」
皆と眼が合い、思わず言葉に詰まるエイジュ。
「エイジュ……一緒に行ってくれないの?」
口元に、軽く握った両の手を当て、ふくよかさが可愛らしいカタリナが、上目遣いにそう言ってくる。
「久しぶりに会えたんだし、外での食事に付き合ってくれても、罰は当たらないわよ?」
金髪の細身で背の高い、『女装』が趣味のウェイが、男とは思えない美しい笑みを浮かべている。
「どうかね、エイジュ……書誌を読むのは悪いとは言わんが、丸二日も書庫に入り浸りと言うのは、身体にも心にも、良くはないと思うのだがね……」
杖を手に、優しく問いかけてくるダンジエル。
「……みんな――」
一人一人、其々、声を掛けてくれる三人の顔を見やりながら、エイジュは困ったような笑みを浮かべ、
「でも、二人だって、ついさっき、中央から戻ったばかりなのでしょう? 疲れているのじゃなくて?」
ウェイとカタリナを見やりながらそう言ってくる。
「大丈夫!」
「わたし達だって、元灰鳥一族の戦士、体力には自信があるから」
エイジュの言葉に、二人はそう言いながら彼女の手を取ると、にっこりと微笑み力を籠めてくる。
まるで、『一緒に行くと言うまで離さない』とでも言うように……
笑みに籠められた無言の圧力に押され、エイジュは助けを乞うようにクレアジータとダンジエルに眼を向けた。
眼を細めて、笑みを浮かべたままのダンジエル。
クレアジータも同じように笑みを浮かべたまま、動こうとはしない。
それどころか、
「私からもお願いするよ、出来れば、口直しもしたいのでね」
と、言ってくる。
先刻、一緒に食べてくれた、半分乾きかけのサンドイッチが頭を過る。
「……もしかして、あなた……最初からそのつもりで――?」
「さあ……何のことですか?」
嬉しそうに恍ける彼の顔と、小さな策略に引っ掛かってしまったのが、少し、悔しい。
「返事は? エイジュ」
「そうよ、返事は?」
彼女の小さな悔しさなどお構いなしに、顔を覗き込んでくる二人。
応えを待ちわびる、皆の顔をもう一度見回し、
「……分かったわ、仕様がないわね」
エイジュは大きく溜め息を吐いた。
「やったぁ! そう来なくちゃ!」
「最近出来た、美味しいって評判のお店があるのよ」
カタリナは嬉しそうにエイジュに抱き着き、ウェイは上品に胸の前で手を組みながら、ホッと、笑みを浮かべた。
「その店は、ここから近いのかね? ウェイ」
エイジュの脇に立ち、笑みと共に彼女を見上げながら、ダンジエルがそう訊ねている。
「少し歩きますけど、散歩がてらに向かうには、ちょうど良い距離ですわ、おじいさま」
「え〜〜、直ぐ向かうのはもったいないから、ちょっと寄り道していきましょうよ、ね? クレアジータ様」
ウェイは皆を先導するように歩き出しながら応え、カタリナも共に歩きながら振り返ってくる。
「寄り道ですか? そうですね、少し動いた方が、食事もより美味しく感じられますからね」
エイジュの背に軽く手を当て、歩き出すのを促しながら、クレアジータがカタリナに応えている。
「寄り道って……どこか当てがあるの? カタリナ」
「実は、可愛い小物が置いてあるお店を、裏通りで見つけたの、一度、行って見たくて」
二人は互いに笑い合いながら、玄関の扉に手を掛けた。
作品名:彼方から 第三部 第四話 ~ 余談 ・ エイジュ ・ アイビ 作家名:自分らしく