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自分らしく
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彼方から 第三部 第五話 & 余談 第二話

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「今夜、餌に喰い付いて来てくれた男は、その重臣の息子よ……名前をザリエ、ザリエ・ソン・ドロレフ……」
 酒場で最初に声を掛けて来た、あの若い男の顔を、思い浮かべていた。
 自分の力でもないのに、親の威光を笠に、好き勝手放題の息子……
 いずれ、時が経てば、親の権力も地位も財産も、全て自分の物になると信じて疑わないのだろう。
「そうかね……!」
 ダンジエルは少し驚いた様相で、
「ドロレフの息子は二人とも、ステニーの町に居るものだとばかり、思っていたがね……」
 と、呟いていた。
「二人とも……?」
 老君の言葉に、エイジュは首を傾げて訊ね返す。
「ああ、ドロレフには二人、息子がいてね、兄はステニーの町で役所の分室長をやっておるよ」
「詳しいのね、ダンジエル」
 感嘆の籠った声音で、そう言ってくるエイジュに、
「なに……」
 ダンジエルは『何ということはない』とでも言うように首を振ると、
「数か月前からだったか……時折だがね、この屋敷に嫌がらせをする者がいてな、密かに調べておったのだよ……クレアジータ様を快く思っていない連中の仕業かも、しれないと思ってね……」
 眼の前に立てた杖に両の手の平を乗せ、ダンジエルは大きく溜め息を吐く。
「その調査の過程で、ドロレフの名が、出て来ていたのね?」
 老君の言葉尻を捉え、エイジュはそう、続けた。
 瞳を伏せると……ダンジエルは軽く二・三度、頷いた。

      ―― パリィィ……ン ――

 屋敷の外……恐らく一階のどこかの部屋の窓だろう――
 不意に――小さく甲高く……夜闇に響く音に、エイジュとダンジエルは同時に、同じ方向を見ていた。
 音の余韻が消え去り、エイジュはダンジエルに眼を向ける。 
 深く、静かな光を湛えたエイジュの瞳に、ふぅ――と、老君は小さな溜め息を吐いた。
「今のが、嫌がらせ……かしら?」
 音の正体を確かめようともしないダンジエルに、エイジュは眉を潜めて、そう訊ねていた。
 老君は困ったような笑みを見せ、またも、無言の頷きで是正している。
「どうする、つもりなの?」
 咎めるようなエイジュの問いに、
「なにもしやせんよ――」
 ダンジエルは優しい微笑みで、
「誰が命じているのか特定はできていないし、それにきっと、こちらの出方を窺っているだけなんだろうしの……過剰な反応は禁物、無視を決め込むのが一番だよ。クレアジータ様の身の安全のためにもな」
 そう返していた。
「……慎重なのね」
「仕方あるまい――クレアジータ様は臣官長という、中央では決して高くはない身分だが、それでも、あの方の言葉の影響力は大きい……煩く思う人物は売るほどおる。下手に事を構えたりしたら、クレアジータ様を陥れたい連中の、格好の餌食になってしまうかも、しれんしな」
 そう言って微笑む老君に、エイジュも頷きながら笑みを返していた。

「それで? エイジュこそ、この先どうするのかね? ……賭博場を営んでいた酒場を、裏で取り仕切っていた人物がドロレフだと分かって……何か、するつもりなのかね?」
「そうね……大それたことをするつもりはないけれど、どんな人物なのかぐらいは――確かめておきたいかしら……」
 ダンジエルの問い掛けにそう返した後、指先を胸に当てながら少し瞳を伏せ、考えを巡らせてゆくエイジュ。
 その視線が不意に上げられ、開け放たれたままの部屋の扉へと向けられてゆく。
 老君がエイジュの様子に、訝し気に首を傾げながら、同じように扉へ眼を向けた時だった。

「やはり……気付かれてしまいましたね」

 扉の陰から、クレアジータが手に書紙を持ち、現れたのは……
「話し込んでいたようでしたから、気付かれないかと思ったのですが……」
 いつもの、温かな笑みを見せ、部屋に入ってくるクレアジータ。
「起きてしまったのかしら……それとも、ずっと、起きていたのかしら?」
 自分の方に歩み寄ってくる彼を眼で追いながら、エイジュはそう言って、呆れたように微笑んでいる。
「……後者の方ですよ」
 苦笑を浮かべ、クレアジータはベッドに腰掛けているエイジュに、手にした書紙を渡していた。

 月明かりが、西の方角から斜めに射し込んでいる。
「……これは……」
 淡い光に照らされた書紙を読み、エイジュは驚きに眼を見開くと、思わずクレアジータを見上げていた。

「ドロレフ大臣からの、『夜会』への招待状ですよ」
「おや、もう、そんな時期ですか……」
 クレアジータの言葉に、ダンジエルは『うっかりしていた』とでも言うような、反応を見せた。
「夜会……?」
 二人を交互に見やりながら訊ね返してくるエイジュに、
「前々から、このような夜会は開かれていたのですが、ドロレフ殿が中央の重臣となられてからは、少し、開かれる回数が増えたように思いますね……何でも、『役職に就いている者達の、親睦を深める為』とか、おっしゃっていたように思いましたが……」
 クレアジータはそう応え、
「以前の夜会は、大臣クラスの者や、大きな街の長の方々だけの集まりだったのですが……どうやら最近では、私のような者まで、その『役職に就いている者』の中に入れられているようですね」
 言葉を続けながら微笑んでいる。
 ダンジエルは、何も意に介していない様子のクレアジータの笑みを見ながら、
「親睦を深める為と、銘打ってはいるが……快く思っていないクレアジータ様にわざわざ、そんな招待状を送って寄越すなど……何やら裏で画策しているようにしか、わたしには思えんのだがね」
 杖に掛けた両の手の平に、体の重みを乗せるようにして、深々と溜め息を吐いていた。
 そんな老君を、慰めるように笑みを向けた後、
「それで? どうしてこれをあたしに見せてくれたのかしら?」
 エイジュは書紙を返しながら、そう訊ねていた。
 書紙を受け取りながら、
「ドロレフ大臣がどんな人物なのか……確かめておきたいと、言っていませんでしたか?」
 絶えぬ微笑みを向けて、クレアジータはエイジュを見やっている。
「それは、そうだけれど……でも、夜会に出席など、あたしは出来ないでしょう?」
 仕方がなさそうに肩を竦めて見せるエイジュに、クレアジータはどこに隠し持っていたのか、もう一枚の書紙を差し出していた。
 怪訝そうに眉を顰め、その書紙を受け取るエイジュ。
 無言で眼を通した後、咎めるようにクレアジータを見据え、大きく溜め息を吐いた。
「どうしたのかね」
 問い掛けてくれるダンジエルに、エイジュは黙って、書紙を差し出す。
 差し出された書紙を一瞥した後、老君は了解を得るかのように、クレアジータを見やっていた。
 頷くクレアジータを見て、差し出された書紙を受け取り、
「ほぉ……これはこれは……」
 読み進めるうちに、ダンジエルの頬は緩み、満面の笑みを浮かべてゆく。
 もう一枚の書紙に書かれていたのは……

    ―― 尚、今回の夜会は舞踏会と致します
       宜しければ、『同伴者』の方とご一緒に
       ご参加くださいますよう

       心より
       お待ち申し上げております ――

 ダンジエルが何やら楽しそうに、書紙の内容を読み上げてゆく。