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彼方から 第三部 第五話 & 余談 第二話

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 絶え間なく聞こえる戦闘の音・声……そして、感じる気配――
 皆が、苦戦しているのが分かる。

   『ほらっ! ノリコ! 逃げなきゃっ!!』

 ゼーナと共に暮らしている少女、ロッテニーナの声が聞こえる。
 こちらに向かってくる足音と声にイザークはハッとし、覚束ない足取りながらも、必死に、広間へと向かう。
 だが、その足音は直ぐに途絶えた……聞き覚えのある甲高い男の声と、衣擦れの音――そして、二人の少女の悲鳴と共に……

「きゃあっ!!」

 床に倒れ込む音と同時に聞こえる彼女の悲鳴に、心が焦る。
 動きの鈍い体が、更に焦燥を募らせる。

「ノリコッ!!」

 イザークは彼女の名を叫び、重い体を投げ出すようにして、よろめきながら広間の入口へとその姿を現した。
 息を荒げ、屋敷の壁を、儘ならない体の支えにして……

          ***

 この時を、どれだけ待ち侘びただろうか……
 バンナは眼の前に現れた男――イザークに姿に歓喜し、顔を歪ませる。
 タザシーナの占い通り、今、この男は、病で思う通りに戦えない。
 あの時のような凄まじい力は、今は、ない……

 ――今なら、わたしの思うまま……

 見るからに具合の悪そうな、血色の悪い顔……
 額や頬から流れる汗が、その体調の悪さを物語っている。

 ――今なら、この男に勝てる
 ――恨みを、晴らせる……!

 相手がどんな状態であろうと、勝てればそれで良かった。
 自分が受けたのと同じだけの屈辱を与えるだけでは気が済まない。
 それ以上の……いや、『生きている』ことさえ許せない。

 バンナは赤く色づけた口元を、醜く歪ませていた。

          ***
 
「イザーク! 来ちゃだめっ!!」
 捕らえられた恐怖よりも、イザークの身を案じる方が勝っていた。

 ――この人達すごく強い!
 ――今のイザークじゃ、やられちゃうっ!

 引き倒された無理な体勢のまま、ノリコは上体を起こしイザークを振り返り、叫んでいる。
 この先自分がどうなるのか……そんなことは念頭に微塵もなかった。
 ただ、彼の身だけを……その身の無事だけを考えていた。
 眼の前で、彼が傷つけられるところなど、見たくもなかった。

「いいぞ、捕まえたか。ちっ……思わぬ時間を取っちまったぜ」
 バンナの布に包め取られ、身動き出来ぬ状態にされたノリコを見て、シェフコが駆け寄ってくる。
「く……目が……」
 シェフコの爆裂によって視界を奪われたバーナダムはまだ、眼を抑え、動きが取れない。
「そらっ!!」
「きゃ――」
 シェフコはそんなバーナダムを嘲笑うかのように、布に自由を奪われているノリコを、乱暴に持ち上げていた。

 ――ッ!!
「ノリコに触るなっ!!」

 思わず叫んでいた。
 体が勝手に動く。
 発作のことも儘ならない体のことも一瞬忘れ、イザークは、ノリコをまるで荷物か何かのように手荒く扱う男に、剣を向けていた。
「ん!?」
 ノリコを抱え、イザークの声に反応し、動きを止めるシェフコ。
「行きなさいっ! こいつの相手はわたしがする!」
 バンナは、ノリコを捕らえた布を途中で千切ると、動きを止めたシェフコに向けてそう、言葉を放っていた。
「来ちゃダメッ! イザークッ!!」
 自分を攫いに来た襲撃者の腕の中、ノリコは必死に叫んでいた。
 イザークがどんな『人』か、分かっているから……
 無理などして欲しくなかった、傷ついてなど欲しくない。
 だから、心の底から願っていた。

   『来ないで!』

 と……

          ***
 
 小さく、乾いた金属音と共に、バンナはすかさず剣を抜くと、よろめきながら向かってくるイザークに躍りかかっていった。

        カァンッ!

 ノリコを取り戻さねばと逸る心。
 その心に体は応じてはくれない。
 イザークは重い体を無理に動かし、バンナの剣を辛うじて、自身の持つ剣で止めていた。

「みんなっ!! 娘は手に入れたぞっ! 引き上げだっ!!!」
「おうっ!!!」
 ノリコを抱えたシェフコの呼び掛けに、他の面々が応じ、声を上げる。
 それまでの戦闘を即座に放棄し、身を翻し、屋敷の外へと向かい、走り出す。
「く!」
 まだ痛み、霞む目を無理にこじ開け、少しよろめきながらも、バーナダムが……
「ま……待てっ!」
 トラウス兄弟の凄まじい力を受け、痛めた肩を押さえながらも、バラゴが……
「ノリコッ!!」
 ガーヤが息を荒げながら、
「う……」
 剣が頬を掠めた衝撃で、少し眩む頭を押して、アゴルが……
 立ち上がり、襲撃者たちを追い始めた。

       キィンッ!

「ぬっ!!」
 満足な動きをしてくれない体で、イザークはバンナの剣を弾き飛ばした。
 弾かれた剣は、広間の天井近くまで、飛ばされてゆく。
「ノリコッ!!」
 武器を持たぬバンナに、これ以上構っている暇はなかった。
 眼の前でノリコを攫われたのだ、イザークの意識は既にバンナから離れていた。
 ノリコを抱え、逃げる襲撃者たちの背中がまだ、視界に映っている。
 その襲撃者を追い駆ける、ガーヤたちの姿も……
 たとえこの身がどうなろうとも、これ以上、好き勝手をさせる訳にはいかなかった。
 イザークは走り出した――
 ……『敵』と見なさなくなったバンナに『背』を向け、ただ、ノリコだけを見詰めて……
 
 ……バンナの、赤く縁どられた唇が、不敵に吊り上がり、歪むのにも気づかずに……

 まだ宙を舞っている剣に、バンナの操る布が静かに伸びてゆく。
 布の先は剣の柄に伸び、衣擦れの音をさせて巻き付いて行く。

「死ねいっ!! 若造っ!!!」

 長い黒髪を靡かせ、無防備に背中を見せたイザークに、バンナは怒号を浴びせていた。
 恨みと憎しみ――殺意を、籠めて……


    ―――   ザンッ……   ―――


 不意に、左が軽くなった。
 何事が起きたのか解するまでの間……
 時が止まったかのように、イザークには思えた。


    ―――   ドサッ……   ―――


 実際には、刹那の間であったろう。
 斬撃音の後……何か床に物が落ちる音がするまでの、その『間』は……
 それが、切り落とされた自身の『左腕』だと解するまでの――その『間』は……
 
          ***

 音のした床に視線を落とす。
 移る視線に入った自身の腕を視認し、イザークは左肩を、多量の血が流れ落ちるその肩を、右手で強く、掴んだ。

「ぐあうっ!!」

 剣が、床に投げ出され、乾いた音を立てて転がってゆく。
 今まで感じたことのない激痛が奔り、イザークはその動きを止めざるを得なかった。
「チィ! 外したかっ!!」
 殺すつもりの一撃が逸れ、左腕しか落とせなかったことに、バンナは悔し気に顔を歪める。
「もう一度っ!!」
 剣に巻き付いた布を引き寄せ、振り上げ、バンナは再びイザークの命を狙ってきた。

「――っ! イザークッ!!」
 苦痛に満ちたイザークの叫びに、逸早く反応したのはバラゴだった。
 ノリコを連れ去ろうとする襲撃者たちを追おうとする動きを、瞬時に止める。