彼方から 第三部 第五話 & 余談 第二話
先ほどまで、部屋中を埋め尽くしていた閃光が鳴りを潜めた今、バンナはそう叫び、一目散に逃げだしていた。
それを――
自らの意志で【天上鬼】の力を呼び起こしたイザークが、見逃すはずもなかった。
「あ」
風が、通り抜けたようだった。
姿の変わったイザークが、二人の間を……眼にしたものを受け入れきれずに固まってしまったガーヤとバラゴの間を擦り抜けて行った様は……
床を一蹴り……
イザークはその一蹴りで二人の間を擦り抜け、部屋の壁まで到達し、一瞬、獣のように壁に張り付くと即座に蹴り出し、部屋の外へと――逃げ出したバンナを追い、屋敷の外へと出て行ってしまっていた。
後はただ、残された者たちの息遣いだけが、部屋の中に聞こえていた……
「イ……ザーク……」
何がどうなっているのか……
困惑したバラゴの呟きが、空しく響く。
「あれは、イザークか?」
バラゴの発した言葉を確かめるかのように、襲撃者の穿った壁の穴から入って来たアゴルが、静かな声音で問い掛けて来た。
皆からの返答は――ない。
「なんなんだ? あの牙……」
アゴルは返答があるとは思っていなかった。
「あの目、あの髪、あの腕は……」
ただ、自身の見たものを、その光景を、言葉にすることで確認したかった。
「あの異形の姿はなんなんだっ!?」
今のは現実なのか、自分だけが見た幻ではないのか――あれは……あの姿が本当に、己の知っている者の、イザークの姿なのか……と。
イザークを疑っていた。
そうではないかと……確信に近いものを、持ってはいた。
だが、心のどこかで、否定していたことも確かだ。
違っていて欲しいと……
しかし、目の当たりにした光景は、推測が間違ってなかったことを示している……
誰も……
ガーヤも、バラゴも……
アニタもロッテニーナも。
ゼーナも、娘……ジーナハースも……
誰も、アゴルの問い掛けに、言葉を返せる者はいない。
だが、その場にいる誰もが、『答え』を持っていた。
口に……出来ないだけだ。
沈黙と静寂に支配された広間の中、ゼーナはジーナを抱きかかえたまま、確信に満ちた瞳で、イザークの行く先を見据えていた。
第三部 第六話に続く
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※ ここから、オリジナルキャラ【エイジュ】の話しとなります。
本編の登場人物たちと再び合流するまでの間の話しを、描きたいと思っています。
とりあえず、本編と並行して書いては行きますが、本編とは時系列が異なっていますので、予めご了承ください。
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〜 余談 ・ エイジュ ・ アイビスク編 〜
第二話
真円を描いた月が、中天に懸かろうとしている。
宵の内、まだ、大勢の人で溢れ返っていた大通りや歓楽街も、今は人通りも少なく、閑散としている。
開いている店と言えば、賭博場を兼ねた酒場や、娼婦宿くらいなものである。
そんな店に集まる客はと言えば……昼間、大手を振って道を歩くことの出来ない咎人、粋がっている若者、身を持ち崩した、元傭兵や元軍人、渡り戦士――などだろうか。
そんな『暗闇』を好み、態々選んで生きているような人間が、ひっそりと戸口に明かりを灯した店に、集まっている。
だが……
そんな深い暗闇から少しずつ、光を求めるように……いや、暗闇を広げるかのように、闇に巣食う人間が出て来ようとしている。
少しずつ……
「おい、知ってるか?」
「何をだよ」
いつまでも客が引けず、いつもならとうに店を閉じている時間のはずの酒場が一軒、まだ、開いている。
「裏で、賭博場を開いていた酒場が、何軒か潰されたって噂」
「ああ、聞いたことあるな、けど、ホントかぁ?」
酔いが回り、完全に座った眼付きで、男が二人、顔を突き合わせて言葉を交わしている。
店の中にはまだ他に、数人の客が残っており、酒場の主人はその客たちを見回しながら、一つ、溜め息を吐いていた。
其々のテーブルの上には、小さな明かりが一つ。
店のカウンターの上には、大きな篝火が三つ、四つ……
ぼんやりとした明かりの中、小さな話し声がそこかしこから、聴こえてくる。
「嘘じゃねぇよ、おれ、ホントかどうか、その店まで行って確かめて来たんだからよ」
「マジか、じゃあ、女の渡り戦士の噂もホントってことか……?」
「女の渡り戦士ィ?」
「なんだ、知らねぇのかよ……」
噂話に夢中になり始めたのか、男二人の声が少し、大きくなってくる。
「ここ最近のことなんだがよ、この界隈に、すげえ見場の良い女の渡り戦士が現れるって噂なんだよ」
「へぇー、で? その女と、酒場が潰された話が、どう繋がるんだ?」
「繋がるんだよ、何せ、その女の渡り戦士が、その酒場を潰した張本人らしいんだからな」
「あぁ? 渡り戦士とは言え、たかが、女にかぁ?」
片方の男がそう言って、身体を仰け反らせながら大声で笑い、酒の入った器を大きな音と共にテーブルに置く。
「そうだよ、しかもたった一人でって話だ」
「はぁ? たった一人でぇ? そりゃデマだよ、デマ。裏で賭博場を抱えるような酒場にゃ、必ず、用心棒がいるもんだろ? しかも、腕自慢の荒くれ共がよ――」
「まぁな……おれもそうは思ったんだけどよ、実際、店が潰れてるってんなら――強ち、根も葉もない噂とも言い切れんしな……」
渡り戦士の噂話を持ち出した男はそう言った後、まるで、身を隠すかのように体を丸めて、テーブルに伏せるかのように酒を飲み始めた。
釣られて、大きな笑い声をあげた男も、体を丸めて、顔を突き合わせて行く。
「それによ……」
「……それに?」
辺り視線を奔らせながら、噂話の男は小声で、誰かに聞かれるのを恐れているかのように話を続ける。
大声の男も、それに合わせるかのように、小さな声で訊ね返している。
「潰された酒場を取り仕切っていた連中が、その女の渡り戦士を血眼で捜してるって話なんだよ……手荒い連中を集めて、この界隈を虱潰しに……」
「ホントかよ……」
酒で、赤くなっていた男二人の顔が、少し、蒼褪めたように思えたその時……
キィ――と、扉が軋む音と共に、夜風が店の中へと吹き込んで来た。
人の熱で淀んだ店の空気が、入り込んだ夜風に押されて外へと流れてゆく。
流れてくる、夜気で冷えた空気に気付き、店にいた客も主人も、開かれてゆく扉へと、視線を向けていた。
そこに立っていたのは、女……
頭頂部で一つに纏められた、長い黒髪が印象的な女だった。
男物の服を着こなし、腰には、普通の物よりも少し細身の剣が、下げられている。
夜の闇のような濃紺の上着が、色の白い肌によく似合う。
女は、形の良い唇の端を少し上げただけの笑みを見せ、夜風と共に店の中へと入って来た。
カウンターへと歩く姿を、皆、眼で追っている。
誰一人、声一つ上げることなく、彼女の所作の一つ一つを見守っている。
女は、カウンターに肘をつき、
「この店で一番強いお酒を、いただけるかしら」
作品名:彼方から 第三部 第五話 & 余談 第二話 作家名:自分らしく