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自分らしく
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彼方から 第三部 第五話 & 余談 第二話

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 コインを一枚、天板に置き、店の主人にそう言うと、笑みを浮かべたまま小首を傾げていた。
「……大丈夫かい? あんた」
 片眉を潜め、訝しげな表情を見せる店の主人。
 そんな主人に、女はただ、笑みを見せるだけだった。

 女の前に、並々と酒が注がれた器が置かれる。
 女がその器を手に取り、一口、口を付けると、店の中が少し、ざわつき始めた。
 その場にいた客が、口々にこそこそと、何やら話し始める。
 恐らく、『噂話』をしているのだろう……
 ここ最近、酒場が並ぶ、この界隈で囁かれている噂を……

 『とても見場の良い女の渡り戦士が一人で、裏で賭博場を営んでいる酒場を潰して歩いている』

 と言う、噂を……

          ***
 
 女が酒場に入って半時ほど経っただろうか……
 客たちのこそこそ話も一段落付き、少し、ざわめきが収まったころだった。
 再び、店の扉が開け放たれたのは。
 また、客の視線が扉へと向けられる。
 ただ一人、カウンターで呑んでいる、女の客を除いて……

 扉を開け放ったまま、大柄な若い男が仁王立ちをしている。
 その場から、店内を威圧するように見回している。
 その男が誰なのか、店の客は皆、正体を知っているようで、誰一人、眼を合わせようとする者はいない。
 若い男は一通り見回した後、カウンターで一人呑んでいる、女の客を見据えていた。
「おい、いたぞ」
 一言、自分の背後にそう声を掛けた後、男はニヤリと、口の端を曲げたいやらしい笑みを浮かべ、女に近付いてゆく。
 男の後ろから数人の――さらに体格の良い数人の男たちが、必要もないのに他の客に睨みを利かせながら入ってくる。
「す、すみませんが、店の中で問題は……」
 女に歩みよる若い男に、店主がビクつきながらも、店を護る為に声を掛けた。
 ……分かっているのだ。
 今、カウンターで呑んでいるこの、女の客が、夜の巷で噂になっている『女の渡り戦士』であることを……
 そして、その女に歩み寄っているこの男が、潰された数軒の店を任されている男だということも……
 この男に逆らうことは、自身の首を絞めることに繋がるということも……
「ケッ……」
 上目遣いに、恐る恐る声を掛けてくる店主に唾を吐き、
「心配すんな、用があるのはこの女だけだ」
 男はそう言って、こちらを見ようともしない女の眼の前に片手を着き、残ったもう片方の手を、その肩に置いた。
「……女。お前だよなぁ、この界隈の酒場、何軒か潰してくれたのはよォ……」
 こちらを見ようともしない女の顔を、覗き込むように自分の顔を寄せると、
「どうゆう了見だ? ここいら一帯、どこの誰が取り仕切ってるのか、分かってんのか?」
 低い声音で、恐らく……脅しているつもりなのだろう、女の耳元で何の工夫も見られないセリフを吐いていた。
 だが、女は口元に微かに笑みを浮かべただけで、瞳すら、動かそうともしない。
 男は、怖がる様子すら見せない女の態度にあからさまに眉を顰めると、
「黙ってりゃ済むなんて思うなよ? 言っとくがなァ、調べはついてんだよ!」
 今度は店中に響き渡るような大声で、怒鳴りつけて来た。
 それでも、女は眉一つ動かさず、一口、酒を啜っている。
 店に、沈黙が流れる……
 女がカウンターに器を置く音が、小さく、聴こえている。
「……この……アマァ――」
 男は苛立ちを籠め、そう呟くと、思い切りカウンターに拳を、叩きつけていた。
「いいか! 女ァッ!! 女の渡り戦士なんて、そうそうお目に掛かれるもんじゃねぇ。しかも、こんな見場の良い女なら尚更だ! 犯人はてめぇしか、考えられねぇんだよっ!!」
 無視し続ける女に業を煮やしたように、怒号を吐きかける男。
 自分に向けられた客や店主の視線に気くと、見据え、睨みつけ、相手の視線を外させる。
 店の床に唾を吐き捨て、動かぬ女を見やり、
「まぁ……今更違うと言ったところで、無理にでも、連れてくけどなァ……」
 下卑た笑みを浮かべ、男は指を一つ、弾いた。
 すると、男の後から付いて入って来た者たちが、無言の圧力を掛けるかのように、女を取り囲み、指や首、肩などを鳴らし始める。
「ひっ…………」
 店主が声にならない悲鳴を上げて、カウンターから離れてゆく。
 店内に残っていた客たちも色めき立ち、席を離れて店の隅に行く者たちや、そそくさと店を後にする者たちが出て来た。
「チッ……」
 騒然とし始めた店内を見回し、男は聞こえるように舌打ちをすると、再び女を見据え、
「おい、今店を出て行った連中が、保安員を呼んで来てくれるだろうなんて、思っちゃいねぇだろうなァ」
 彼女が持つ酒の入った器を取り上げようとする。
 だが……
「……ん?」
 その、器が取れない。
 白く細い指……とても、力を入れているようには見えない。
 なのに、男がどんなに力を籠めようと、女の手から器を取り上げることは出来なかった。

「うるさい人ね……」

 屈強な男たちが、女の体に手を掛けようとした時だった。
「呑み終わるまで、待つことも出来ないのかしら……」
 女はそう言うと小さな溜め息を吐き、瞳だけを動かして男を見やった。
 彼女の視線に一瞬たじろぎ、男は思わず、器から手を離す。
 男の行動に満足したかのように笑みを浮かべると、女は……まだ、半分ほど残っていた酒を、一気に飲み干していた。
 その呑みっぷりに驚き、眼を大きく見開く店主。
 女は空になった器を、そっとカウンターに置くと、
「ごちそうさま――騒がせてしまって、ご免なさいね」
 もう一枚コインを置き、まだ、自らの肩に乗せられていた男の手を、軽く、弾いていた。
 ゆっくりと、再び視線を男に向け、触れんばかりの近さまで体を寄せると、
「わざわざ、捜してくれたのですものね……礼は、させて頂くわ……」
 そう言って小首を傾げ、口の端を少し上げただけの笑みを――浮かべる。
 一瞬……背筋に寒いものが奔る。
 男は思わず、女を避けるように、体を離していた。

「い……いい、度胸じゃねぇか――よし、付いて来てもらおうか……」
 男は虚勢を張りながら踵を返すと、肩越しに女を睨みつけ、先に立って店を出て行く。
 女も、余裕を見せつけるかのように薄い笑みを浮かべたまま、男の後に続いて店を出て行った。
 連れ立っていた屈強な男たちも店を後にし、平穏が戻ってくると、中に残っていた客の間から、安堵の息が漏れ聞こえ始める。
「行っちまったなァ……大丈夫かなァ、あの姉ちゃん」
「止せよ、ほっとけ。余計なことには首突っ込まねぇ方が、身のためだ」
「……だよなァ」
 客たちは皆、難を逃れたことに安堵し、面倒なことは全て、見て見ぬフリを決め込む。
 手元に残った酒を飲み干すと、一人、また一人と、厄介ごとから逃れるように店を後にしていた。

          ***
 
「……随分と、良い場所を知っているのね」
 歓楽街の外れ、最も治安が悪いと言われている、廃屋が並ぶ街の一画。
 仕事にあぶれ、その日暮らしを強いられている者たちが棲み処としている……
 その一画の、最も外れた所……周りを廃屋で囲まれた、広場のような場所に、女は連れて来られていた。