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彼方から 第三部 第六話 & 余談・第三話

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 ――助けを求めて『呼ぶ』なんて、出来なかったけど

 残された想いを、

 ――最後に一度だけ

 望みを、遂げる為に。

 ――無事かどうか、確かめたくて……

 祈るように、彼の『名』を思い浮かべる。
 呼び、求める。
 返事を――最後になるかもしれない『通信』の返事を……
 イザークの、精神(こころ)の声を――


     ――  イザーク……  ――
 

 ノリコはただ求め、その名を呼んでいた。

          ***

 小高い丘の上に立つ、豪奢な館……
 バンナが駆った馬は、確かにこの館に入っていった。
 イザークは、その館の門へと続く階段の前に降り立ち、見上げていた。

 ここに……ノリコはいるはずだ。
 いるはずなのだ……
 なのに、『呼ばれない』ことに、焦りが生じる。
 『生贄』『生き血』……そんな言葉が頭の中を埋め尽くし、臓腑を握り潰そうとしてくる。
 
 求めるものはただ一つ……
 ノリコの姿――その、笑顔。
 明るく、温かく、優しく、屈託なく……
 自分に向け続けてくれた笑顔を、再び、瞳に映す為に……
 そう、その為にも……

 
     ――  イザーク……  ――


 不意に伝わって来たノリコの通信に、イザークの瞳が大きく見開かれる。
 まだ生きていることに、まだ間に合うことに、心が震える。

 
     ――  ノリコッ!!!  ――


 イザークは彼女の通信に応えると同時に地面を蹴り飛ばし、一気に階段を飛び越えると、聳えるように立つ高く重厚な造りの門に、直接体当たりを食らわしていた。

          ***

 館全体が震えるほどの衝撃が、大きな音と共に奔る。
 衝撃は黙面の神殿の柱や天井を揺らし、細かな土塊や砂塵を降らしていた。
「な……なんだっ!?」
 足の裏に伝わる細かな振動、降り掛かる砂塵……明らかに、自然のものとは思えない衝撃音に、ワーザロッテは狼狽え、音の正体を確かめるかのように、辺りを見回していた。
 それは、他の神官やタザシーナも同様だった。
 天井から落ちてくる土塊を見上げ、避けながら、どよめき、辺りに視線を奔らせている。
 ただ、ノリコだけは……

 ――え?

 ノリコだけは彼等とは違う意味で、天井を見上げていた。

 ――イザークが来てる!
 ――すぐ傍までっ!!

 驚き、そして、胸が躍る。
 ただ、無事かどうか確かめたかった……それだけだった。
 返事が聞ければ、それで良かった。
 最後に……少しだけでも話が出来れば……
 
 分かる……
 本当にすぐ傍まで、彼が来ているのが……
 来てくれているのが。
 
 嬉しくてならない。
 あんな状態で、無理を押して、助けに来てくれたことも……
 今、ここまで来てくれたことも。
 同時に、懸念が湧き上がる。
 彼は……イザークは今、『どんな状態』なのだろうか、と……

          ***

 館の外から聞こえてきた大きな衝撃音に、ワーザロッテ配下の親衛隊の面々が、エントランスへと走り、集まってくる。
 そこにいたのは、血の気の失せた顔をしたバンナだった。
「ひいいっ!! こ……これはっ! やはり、私をつけて来たのかっ!?」
 音の正体を知っているのか、酷く、狼狽している。
「入り口を閉めろ! 閂を忘れるなっ! 絶対、開けるなっ!!」
 恥も外聞もかなぐり捨て、バンナは怯え切った表情で、警備の為、館に常駐しているグゼナの兵にそう申しつけていた。
「何事だっ! 今の音は何だ!?」
 逸早くエントランスに駆け付けたニンガーナが、体を震わせているバンナに、そう訊ねた。
「奴だ――きっと奴だ……」
 問い掛けに応えるバンナの声は震え、
「念のために門を降ろさせたのに……まさか――ぶっ……ぶっ壊したのか……?」
 ぶつぶつと、まるで独り言のように呟いている。
「奴?」
「あの男ですよっ!」
 問い直してくるニンガーナに、振り向きざま、バンナはそう叫んでいた。
「特殊な力が、あると言ったでしょう!!」
 化粧が施されているにも拘らず、一目で分かるほど、顔を蒼褪めさせて……
「なんだ? 例の男のことか?」
「病でフラフラだったのではないのか?」
「ああ、しかもてんで大したことのない、優男の……」
 だが、バンナ以外の者は皆、意に介していない。
 『あの状態』の彼を目の当たりにしているのだ、無理もない。
 ゼーナの屋敷に押し入った連中は、ノリコを奪い去った後のことを、何一つ……何一つ、見ていないのだから……バンナを除いて……
「違うっ!!」
 バンナは、嘲りの笑みを浮かべながら『優男』と断じたシェフコの言葉を、大声で遮っていた。
「違う! あいつは普通じゃない……普通じゃないっ!!」
 だが、その後は、碌に言葉が出てこない……
 何も思い出したくないかのように頭を抱え、同じ言葉を繰り返すだけ――
 何がどう、普通ではないのか……それを説明することすら出来ない……
 恐怖に、支配されてしまっている。
 だが……

「それだけでまた戦わず、おめおめ逃げ帰って来たというのかっ!!?」
「わざわざ、この場所まで案内して来てか!?」
「きさまっ!! どこまで腰抜けなんだっ!!!」

 同じく、『黙面』から『力』を与えられた『仲間』であるはずの者たちから浴びせられたのは、罵倒だけだった。

「だって……だって――」
 しかし、恐怖で心の折れているバンナに、言い返すだけの精神的余裕は既に無く……
 何から……そして何をどう話せば良いのか分からなくなっている子供のように、『だって』を繰り返していた。
 その時だった……


    ―― ドオンッ ――


 館の扉が震えた。
 重く、強烈な一撃を、『何者』かが、館の分厚い扉に食らわしたのだ。

「ぬっ!?」

 エントランスに集まった一同の眼が、扉へと、瞬時に向けられる。
 そしてさっきよりも重い、激烈な一撃が、再び扉へと加えられた。


    ―― ドンッッ!!! ――


 閂の閉じられた扉は、苦しげな鈍い音と共に、破壊されていた。
 鉄で作られた、『普通の者』では曲げることさえ叶わない、頑丈で太い閂竿を……それを支える金具をも、ものともしない『力』で……

「来たあぁっ!! ほらあぁっ!!」
 恐怖で引き攣った顔で、恐れに染まった瞳を向けて、バンナは破壊された扉を指差し、叫んでいる。
「騒ぐなバンナ! 見苦しいわっ!! どんな奴でも、我らに掛かれば雑作もないこと!」
「そうとも! あっという間に片づけてやるっ!!」
 たったのニ撃で壊された閂と扉をその眼で目撃したにも拘らず、バンナ以外の者は、その自信を揺るがせることはなかった。
 『黙面』から与えられた力を絶対と信じ、それを使い熟してきた自分たちに勝てる者など、有りはしないと……
 そして、『生贄』を捧げることによって更なる『力』が、もう直ぐ齎されると……
 彼らは信じて疑わなかった。

 凄まじい力で破壊された閂……閉じ得る術を失くし、開かれてゆく館の扉。
 外光を背に受け、長い髪を靡かせ……
 館に侵入してきた『者』の姿を、その眼に、映し込んでも――