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彼方から 第三部 第六話 & 余談・第三話

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 ドロレフの問い掛けに、少し迷いが生じる。
 自分は役人の嗜みとして、舞踏の心得くらい、多少なりとも有りはするが……

 ――エイジュは『大丈夫』と、そうは言っていましたが……

 彼女が本当に踊れるのかどうか――一抹の不安が過る。

 ――……!

 不意に、服の袖に抵抗を感じ、クレアジータはエイジュを見やった。
 眼が合うと、彼女は扇を胸元へと降ろし、薄っすらと微笑んで見せてくれる。

 ――『心配はいらない』……そう言いたいのですね

 エイジュの微笑みに、クレアジータは頷きを返すと、
「実は、私も臣官として舞踏の嗜みは一応あるのですが――何分、不慣れなもので、皆様のお目汚しになるのではと……」
 いつもの柔和な笑みを浮かべながら、ドロレフにそう返していた。

「いやいや、そのようなこと、気になさる必要などありませんぞ? 皆が踊りを楽しむため、そして親交を深めていただくための会なのですからな、臣官長殿もぜひ、そちらの同伴者の女性と共に、愉しんでいただきたい」
 クレアジータの言葉に、ドロレフは満面の笑みを湛えてそう言うが……
 瞳には嘲笑の色が浮かんでいる。
 腹の中でこちらを嗤い、蔑んでいるのだろう。
「臆しておられるのか? まぁ、それも致し方ありませんな、臣官長殿がこのような夜会に参加されるのは、初めてですからな……どれ、わたしも共に、舞踏の中心へと参りましょう」
 矢継ぎ早に言葉を並べ、その背に手を当てながら踊りの場の中心へと、クレアジータを誘ってゆくドロレフ。
 言葉を続けるのは、否など、唱えさせないつもりなのであろうし、自らが出向くのは、その行動すらも自由にさせないつもりだからだろう。
「さぁ、貴女も共に……」
「臣官長殿の同伴者なのですから」
 取り巻き連中は恥ずかし気に俯く『演技』をしているエイジュを、上辺だけの優し気な笑みを見せながら、同じように舞踏の中心へと誘って来る。
 不意に乱入して来たドロレフたちに、舞っていた数組の男女は戸惑い、その足を止める。
 それを見て、これ幸いと取り巻きたちはエイジュを中央へと置き去りにし、その足で数組の男女たちを端へと追いやってゆく。
「おや、これは都合よく、場が、空きましたな」
 ドロレフの眼が愉悦に歪み、嫌らしい笑みが口元に浮かぶ。
 中央に立つ三人に、招待客の視線は否が応でも注がれ、何事かと呟き合う声が、小波のように聞こえ始め――それまで、絶えることなく緩やかに流れていた楽曲は、いつの間にか聴こえなくなっていた。

「これだけの広さがあれば、誰にもぶつかることなく踊れますなぁ、臣官長殿」
 先ほどまでの親切な態度はどこへやら……ドロレフは厭味ったらしくクレアジータに囁くと、サッと踵を返し、
「皆々様!!」
 周囲を見回しながら大声で、呼ばわり始めた。
「こちらは、今宵初めて夜会に参加された、クレアジータ臣官長殿である! とても見場の良い同伴者と共に、役人の嗜みでもある舞踏を、余興として披露して下さるとのことだ! 皆で、堪能しようではありませんか!!」
 ドロレフのその言葉で、舞踏会の参加者たちは一気に、観客へと変わった。
 言葉を素直に受け取り、歓迎の意味を籠めて拍手する者もいるが、そのほとんどは、ドロレフの為人を分かっている者たちばかりだ。
 彼らは、見世物にされたクレアジータたちに、同情をするような表情を見せながら、二人が不様な姿を晒すことを、心の底から望んでいる。
 その様を見て、優越を得る為に……優越を得ることによって、心の安寧を図る為に――
 人を見下し、踏み付けにすることで、『自身』を、確保する為に……

「奏団よ! もう一度、円舞曲だ!!」
 ドロレフの命に、頷く指揮者。
 二人に嘲笑の笑みを浴びせた後、ドロレフはゆったりと踵を返し、観客と化した招待客の中に混じっている自身の取り巻きたちの元へと戻っていった。

 会場の中央に置き去りにされ、ポツンと佇む二人。
「行けますか? エイジュ」
 傍らに寄り添う彼女に、クレアジータは小声でそう訊ねた。
「大丈夫、大丈夫よ――心配など、いらないわ」
 彼の問いに、エイジュは眼線をドロレフたちに向けたまま、不敵な笑みを浮かべて、そう、返していた。

          ***

「あの女、確かに『渡り戦士』と、そう言ったのだな? ライザ」
「はい、確かに――間違いございません」
 招待客たちの最前列に陣取り、後ろに控えている銀髪の男に、ドロレフはクレアジータたちを見据えたまま、そう確認を取っていた。
「舞踏会の同伴者が見つからなったからとは言え、まさか……」
 ドロレフの取り巻きの一人が、そう言っていやらしい笑みを浮かべている。
「そうそう、まさか、臣官長ともあろう者が、卑しい『渡り戦士』などを雇うとは……独り者は辛いですなァ」
 他の取り巻き連中も、同じように思っているのだろう……
 貴族や、身分の高い者の嗜みである舞踏。
 卑しい身分の、しかも金さえ払えば何でもするような『渡り戦士』などが、踊れるわけがないと、そう、思っているのだ。
「いやいや、分からぬぞ? 何しろ『五日』も猶予があったのだ、円舞曲ぐらいは踊れるようになっているかもしれん……見るに耐えん仕上がりかも知れんがな」
「ほ・ほ・ほ……さすがはドロレフ殿、それを見越しての、『五日』の猶予なのですな?」
「なんとも、お優しいことですなァ」
 より強い力を持った者に迎合し、あからさまな世辞を並べる者たち。
 世辞と分かっていても尚、迎合してくる者の言葉を欲する『強者』。
 互いに、腹の中では何を考えているのか分からないと思っていても、自身の保身の為に、その権力の恩恵を得る為に、利用し合っている……
 
「見苦しいこと、この上ないわね……」
「彼らのような重臣ばかりではないですよ」
 ここからでも、彼らの下卑た笑みが、良く見て取れる。
 溜め息と共に吐き出された、エイジュの嫌悪の籠った呟きに、クレアジータは困ったような笑みを浮かべながら、手を向けていた。
「とりあえず……今は踊ることと、しませんか?」
「…………そうね、彼らの企みに、乗ってあげなくてはね……」
 フッ――と笑みを浮かべ、クレアジータの手に自身の手を乗せるエイジュ。
 それを待っていたかのように、奏団が、円舞曲を奏で始めた。
 彼女の腰に手を回し、そっと、体を引き寄せる。
 もう片方の手が、自身の背中に向かうのを見届け、クレアジータは緩やかな楽曲に合わせて、足を踏み出していた。

 エイジュの舞踏服の裾が、まるで咲き誇る大輪の様に、優雅に翻ってゆく。
 華の飾りをあしらった漆黒の長い髪が、舞いに合わせて流れ、靡いてゆく。
 
 ――後で、エイジュに謝らないといけませんね
 
 彼女が、本当に踊れるのかどうか案じた自分を、クレアジータは心の中で叱責していた。
 自分の動きに合わせているのでも、他の者が踊っているのを観察した上での、見様見真似でもない。
 彼女は――エイジュは確かに、円舞曲を踊り熟していた。
 クレアジータは、彼女の『大丈夫』と言う言葉の意味を、『能力者だから、あなたの動きに合わせることなど容易い』と、そういう意味だと捉えていた。