こずみっくな日々
男性か、女性か。それさえ判断がつかない。
そもそもそういう隔たりが存在するのかさえわからない。そう感じさせる声だった。
いや、声なのかもわからないのだが。
薄暗い。それが一番近い。紅太は自分の目に映る色をそう感じた。暗い闇に光が差してこの色なのか。輝かしい光の中に自分の周りだけ闇が覆い、光を隠しているのか。
僕は誰だ。
君は誰だ。
答えは返ってこなかった。
嫌な夢を見た気がした。
瞼の上を強烈に日が指しているのだろう。目を瞑っているのに真っ赤にな視界に顔をしかめその光を手でかざしながら恐る恐る目を開く。
カーテンを閉め忘れたのだろうか、それとも母親が起こしにきたか。目覚ましは普段どおりにセットしている。鳴っている事に気がつかない程深く眠っていたのだろうか。そんな考えを巡らせながら体を起こす。
体のあちこちが鈍く痛い。
打撲の類ではない。この痛みは何度か味わった事がある。それは
「あれ、僕床で寝てたっけ……?。」
固い床で寝た時はこんな風に体のあちこちが痛い。今の紅太もそんな痛みを感じていた。
そこは床だった。
順を追って言えば、布団ではなかった。
部屋の中ではなかった。
外だった。
「まだ、夢を見てるのかな……。」
外といっても、家の前でも町でもない。かといって小学校の裏山でもなければ、ビル街でもない。
紅太の頭の中にあるどの景色にも合致しない。本の中でしか見たことがない国外の景色とさえカスリもしない。
土、のような色をした固い床。草、のような色をした自分の頭を越す柱。雲、のような色をした空を浮かんでいる塊。あらゆるものが無機質。だけど、何故か生き生きとさえ感じる色。
枕もないまま寝ていたからか、凝り固まったように鈍い首の関節を解すように首を動かしながらゆっくりと立ち上がる。
服は、眠った時のパジャマのまま。自分の体はどこもおかしい様子はない。節々が痛い以外は。
夢なのかどうかもわからないが、ひとまずあたりを見回す。土のような床、草のような柱、空に浮かぶ雲色の塊。まずこの情報から、ここが『外だ』という事がわかった。
紅太自身、視力は比較的良いほうだが、人影らしきものは見当たらない。遠くには地平線が見え、空色と土色のコントラストを描き、陽炎によって境界線はかすかに揺れていた。
そうして落ち着いて遠くを見ているとひとつ気づいた。
自分に対しての周りのスケールの大きさだ。
明らかに大きい。
まずこの草色の柱。
単なる棒切れが床に刺さっているように見えたが遠くに纏まって生えてる様をみると、これは道端にただ生えてる草のようなものに見える。
土色に見える床も自分の足元だけを見ると単色ようだが、遠くまで視線を延ばすと、うっすらと色が変わっているのがわかる。
これらはこの世界なりの土や、草なのではないか、そう考えに至るところで遠くに建物らしきシルエットを発見した。
「あそこで何か聞けるかもしれない。」
そう独り言を口にしながら、土色の床を裸足で歩き始めた。床は日の光を浴びてじんわりと温かかった。
建物のように見えたシルエットは、紅太が歩みを進めるたびにシルエットを少しずつ大きく、くっきりと浮かび上がらせた。
そして、その建物らしきものが、木のようなものであると気づくと歩みを止めた。
唯一の手がかりらしき建物も、単なる木だったと分かりがっくりとうな垂れる。夢なら覚めてほしい、素直にそう感じた。
木の根元までくると改めてスケールの違いに驚いた。まるで自分が小人にでもなったかのようで思考回路を切り替えてしまえば、とてもメルヘンな世界であると思えなくもないが、実際のところは誰もいない世界なのだ。
そして事態は急変した。
「と、トイレ……、行きたいんだけど、どうしよう……。」
夢だから生理現象が起こらないとは限らない。が、夢の中でそういった排泄行為を行った末路は、あらゆる漫画やアニメで表現されていることを紅太は知っていた。
さすがに歳も二桁になり、小学校でも高学年に分類される身分でまさか布団に世界地図を描くわけにもいかず、ここは我慢を通す決意を固める。
固めるが、限界はじわりじわりと近づいてくる。夢なら、夢なら覚めてくれ、そう願わずには居られない。
ここにじっとしていても事態は好転せず、刻一刻と迫りくる限界。小学生の紅太がその状況に耐えられるはずもなく、あっさりとパジャマのズボンと下着を膝ほどまで下ろすと、そばにある木の根元に『めがけた』。
「喉渇いた……。」
起きてからどれくらいの時間が経ったのだろうか。紅太は別の木の根元で幹にもたれ掛かりながら言葉を漏らした。
「夢なら覚めて……。」
影は相変わらず同じ方向へ傾いたまま微動だにしていない。太陽が動いていないという事に気がついてから、木の影の端をなぞるように土に爪で印をつけてみていたのだが、その印は今も木の影をなぞったままだ。
うんざりするような事実に深いため息を漏らし目を閉じる。夢なら覚めてくれ、そう強く念じて目をあけるが、目の前には先ほどと一寸も違わぬ無機質な景色。
この行為も何度目だろうか。これは現実なのだろうか。その自問自答さえ、数えることも無意味なほど紅太は繰り返していた。
もう動く気力もないと座り込み目を瞑る。
焦燥感ですり切らした心に穏やかにそよぐ風は気持ちよかった。