灼青と珀斗
「ヒン。」
珀斗は靖王を覚えていた。ひと月も靖王の手元にはおらず、半月程、離れたが、靖王を懐かしく思ったのだろうか。鼻を擦り寄せてくる。覚えられていた事が嬉しく、珀斗の鼻を掻いてやると、嬉しそうにしている。
「ちゃんと、面倒を見てもらえてたか?、わざと、小殊を振り落としたりは、しなかったろうな?。ん?。」
馬の嘶きと、蹄の音が近付いてくる。
「おおー、景琰ー、凄い馬だ!。さっすがー祁王だな!。」
灼青に跨った林殊が、靖王と珀斗の元に来た。
「珀斗とは大違いだ!、頭、良いわ、灼青は。」
「小殊、よく灼青に乗れたな、、。私と戦英の他は、灼青が怒って、触る事すら出来ないんだぞ。」
「へへへっ、、もう仲良しだもんなー、灼青。いい子だなー、可愛いなー、賢いなー。」
「何が仲良しだ。昔から、人も獣も、たちまち手懐けるな、、、。」
林殊は嬉しそうに、靖王と珀斗の周りを、灼青に乗ってぐるぐると回っている。
「景琰、少し外で走らせよう。灼青を思いっきり走らせてみたい。」
城外で早駆けするつもりなのだろう。
━━珀斗の時もそうだった。━━
「ああ。行こう。」
林殊も灼青も、靖王を待ちわびている様子だ。
靖王が珀斗に跨る。
「よしっ、景琰、行くぞ!。北門を出たら、湖まで競走だからな!。」
「ん、珀斗、頼むぞ。」
二人共、全力で駆け出したい、それぞれの馬の気持ちをおさえつつ、並んで王府の門を出ていった。
「はっ!!。」
「はっ!!!。」
金陵の北の城門は、人の通りが疎らであり、馬で通るにはうってつけだった。
城門を潜ると、二人は互いの馬を走らせ、湖へと向かった。
灼青は早い。靖王が追いかけて行く、形になった。
━━灼青は優秀だが、珀斗だって負けるものか。私が選んだ馬なのだから。━━
「珀斗、行け、負けるな。」
そう言って、靖王は鞭を振るう。
「ん?。」
靖王の気持ちが、珀斗に素直に伝わるのを感じた。
━━前ほど、珀斗の扱いに、手こずらなくなった?。━━
珀斗は、走るのは好きなのだが、人に従って走らされて、疲れるのが嫌で、『ごねる』様な走り方をした。
だが、今は、靖王の気持ちを乗せて、軽快に灼青を追って行った。
林殊は、少々、灼青に荒い乗り方をしていた。
わざと障害物を越えさせたり、川の中を走らせたり。灼青は、林殊の指示を拒むこと無く、淡々と、楽々と熟していった。
後に続く珀斗もまた、灼青と同じように熟して、ぴたりと距離を離さず、駆けて行く。
靖王と珀斗は頑張ったが、林殊と灼青には追いつけなかった。それでも、差はほとんど無いと言って良い。差は、一馬身も無かったのだ。
灼青と林殊が、勝負の手を抜いた訳でも無い。林殊も灼青も、本気だったのが分かる。靖王は、灼青に、こんな走らせ方をした事は無かった。林殊は本気で、灼青を走らせたのだ。
正直この結果には、靖王が驚いていた。
まさか、こんな僅差で終わるとは、思っていなかった。
二人と二頭の馬は、汗だくだった。
灼青と珀斗の鞍を外してやり、馬を湖に入れ、水を飲ませる。
「あ─────!、気持ちい───!!。」
「ふぅ───。」
思い切り走って、靖王も林殊も、爽快だった。
二人共裸足になり、膝まで浸かって、馬にばしゃばしゃと水を掛けて、洗ってやった。埃も汗も流されていく。
ひとしきり、洗ってやった後で、林殊が灼青の額を撫でながら言った。
「灼青、良い子だな。賢いし、思い通りに動くし、申し分ないよ。お前みたいな優秀な馬は初めてだ。流石、祁王が選んだだけある。お前みたいな子とは、中々逢えないよ。」
林殊は灼青が、余程、気に入ったとみえた。
━━だよな、灼青みたいな馬に乗ったら、手放せなくなるよな。小殊なら尚更、、。━━
ところが。
「、、、灼青、いいか、景琰はな、私の大事なヤツなんだから、頼むぞ。守ってくれよ。」
━━、、、、えっ、、。━━
「ほれ、お前のご主人様はあっちだ。」
林殊が灼青の鼻を、靖王の方に向ける。灼青は、湖の浅瀬の中を、靖王の方へ歩いていく。
灼青は嬉しそうに、靖王に鼻を擦り寄せる。
林殊の言葉の意外さに、呆気にとられたが、ただただ嬉しい。
━━私の元に、灼青が戻ってきた。━━
そしてそれ以上に嬉しいのが、、
━━、、、『私の大事なヤツ』、、、。━━
林殊の一言だったのだ。
「小殊、、私はてっきり、、、、。」
「?!、、『てっきり』、、、何だよ。」
「、、、え、、、っと、、。」
「私が灼青を取るとでも思ったのか?。、、、ま、、最初は、灼青が景琰と合わなかったら、私が引き取ってやろうかとか、ちょっとは思ったけど、、、、、灼青はお前の方が合う。」
「やっぱり、灼青を取るつもりだったのか!。」
「いや、ま、灼青が珀斗みたいなヤツだったらな。
珀斗って、、、何?、こいつ?。どこから買ったの、こんな馬。我儘放題で、全然、躾られてないじゃん。」
「あ、、。」
「私はぁ、珀斗がぁ、いつか景琰を、振り落とすんじゃないかって思ってぇ。お前の為に、私は珀斗の躾をしてやったんじゃないか。見ろ、従順になった可愛い珀斗を!。可愛いだろう〜。なぁ〜、珀斗〜〜。」
いつの間にか、珀斗は林殊の元に来ていて、林殊に額を擦り付けている。
珀斗は林殊が、すっかり気に入り、信頼をしている。
お互いに絆が、出来ていた感じだった。
珀斗の性格上、これだけ信頼を、人に寄せるのは並ならぬ。
「珀斗の、元の血筋は、きっと良いんだろうなぁ。こんなに良い馬なのに、お前の事、誰も構ってやらなかったのか?ん?。初めの主は下手くそだったなぁ、こんな名馬を。ホントに、景琰のとこに来て良かったな〜。」
珀斗の鬣(たてがみ)を撫でながら、林殊がしみじみと言った。
林殊には、珀斗の素性など、何も教えてはいなかったが。
珀斗は、地方の富豪の、一人娘に買い与えられた仔馬だったと、馬売人は言っていた。
我儘いっぱいの娘に、馬は気ままに扱われた。
そして、馬が悪い事をしても、誰も誰も叱りもしなかった。
その富豪の従者達は、誰一人、馬を躾る事が出来なかった。下手に仔馬の機嫌を損ねたら、娘の機嫌も悪くなり、富豪の父親に、従者が罰される。
仔馬は、躾られる機会を、逃した。
やがて仔馬は、娘の言うことも聞かなくなり、売りに出されたのだ。珀斗の不幸だった。
馬売人は、ある程度を躾たが、鞭で従わせた為に、馬は気まぐれで、人を信用しなくなった。主の為に、余計に走ろうとも思わない。
従順でない馬は、どれ程の名馬でも、値が低い。
値が低くても、買い手はつかず、、。
、、、そして靖王府へと、やって来たのだ。
「きっと、馬の事なんか、何にも分からないヤツが飼ってたんだろ、、可哀想にな、。」
「、、久々に、珀斗に乗って、驚いたよ、、こんなに走る馬だったんだ。真っ直ぐに、灼青に付いて行く。いつもなら外れて、どこか他の場所に行こうとするんだ。隙あらば、振り落とそうとするし。
ここまで全部、小殊が躾たのか?。」
「おう!!、そうさっ!!!!。」
林殊は鼻高々だ。
珀斗をよく見れば、毛並みも艶やかで、綺麗にされている。