彼方から 第三部 第七話 & 余談・第四話
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先ほどから聞こえて来る轟音……そして伝わりくる振動。
それらは、ワーザロッテを狼狽えさせるに十分だった。
『生贄』を攫って来た親衛隊たちの報告では、バンナの言っていた男は黙面様のお告げの通り……病によって碌に動けぬ状態だったはずだ。
だが、兵の報告では……
特殊な能力を持っている男だと、バンナは言っていた。
その能力は、『力』は……黙面様より『力』を賜っているはずの親衛隊たちよりも『上』だと、いうのか――
俄かには信じ難かった。
だが、そうとしか思えない……そうでなければ、この事態は有り得ない。
このままでは……
「タザシーナッ! 儀式を急げっ!!」
ワーザロッテは声を荒げ、そう命じていた。
「奴の目的は娘だっ! 早く生贄を捧げて、力を授けてもらわねば!」
……この館が、いや、この身が危ない――
ようやく、『黙面様』という後ろ盾を得て、この国での地位と権力を不動のものに出来るところまで来ているのだ。
更なる『力』を得て、その地位と権力を磐石なものにする為にも、『生贄』を奪い返されるわけにはいかない。
しかし……
「だ……だめですわ」
タザシーナは険しい表情を見せ、そう応えていた。
「ごらん下さい」
彼女の言葉に促され、ワーザロッテはその視線を追う。
タザシーナの視線の先に在るのは、ゴボゴボと耳障りな音を立てながら、その身を不気味に揺らめかせている『黙面様』だった。
「この騒ぎで、黙面様の気が乱れています。こんな状態で儀式を行っても、意味がありません……何より、彼を倒すことが先決」
確かに、その言葉通りなのだろう。
黙面はその身を激しく揺らめかせ、元々形の定まらない身体が、落ち着きなく、揺らめき続けている。
「しかし! 苦戦だと言ってるぞっ! 下手すると、ここまでやってくるかも……」
だが、そんなことよりも、被害がここまで及ぶかもしれないことが……それによって儀式が行われず、『力』を得られないことの方が、ワーザロッテにとっては大事だった。
気が乱れていようと何だろうと、『生贄』さえ、さっさと捧げてしまえばそれで良いのではないか……儀式など、ただの形式なのではないかと、そう思えてならなかった。
募る焦燥に、声音が更に、荒ぶる。
バシャンッ ――
ワーザロッテの、落ち着きを失くした声を遮るかのように、水面に飛沫が上がる。
「な……なんだ?」
不意に聞こえた激しい水音に、ワーザロッテは一時、気を取り直していた。
黙面が姿を現していたはずの水面を、見やる。
今はその姿はなく、ただ、未だ続く耳障りな音と共に、水面が激しく波立っていた。
「力を……」
タザシーナが、呆けたような瞳で池を凝視している。
「一時的に親衛隊に授けられるおつもりです――」
激しく水面を波立たせ、浮かぶ一頭の面を、そう言いながら見詰めている。
「――侵入者を、倒すために!」
「おおっ!!」
彼女のその言葉に、ワーザロッテはやっと愁眉を開き、喜びの声と共に安堵した笑みを浮かべていた。
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――イザーク!
タザシーナの言葉を耳にし、飛沫を上げて波立つ池の水面を、ノリコは不安気に見やっていた。
その『不安』は決して、イザークが『負けてしまう』のでは……というものではなく、ただ偏(ひとえ)に、彼が更に無理をしてしまうのではないか――それだけだった。
このままでは……捕まったままでは、ただただ、彼に負担を掛けるだけ――無理をさせて、しまうだけ……
酷く精神(こころ)を乱し、無理を押して助けに来てくれた彼に――今の自分で何が出来るだろう……
成すが儘、死を――殺されるのをただ待つだけが、出来ることなのだろうか……
他には……?
何が出来る……?
ノリコは考えることを止めなかった。
慌てず、落ち着いて、辺りを見回して……
他の連中の様子を、よく見て……
イザークのことを、只管に想い、案じて……
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立ち込めていた土煙が徐々に鎮まり、薄くなってゆく。
額から鋭い角を隆起させた、侵入者の異形の姿が、露になり始めた。
再び始まるであろう戦闘を前に、親衛隊の面々は無意識に、構えを取る。
その時だった。
「――っ!! 力が……」
「湧き上がってくる……! これはどうしたことだっ!!」
異常な力を見せつける侵入者――イザーク一人に対し手を出しあぐねいていた連中に、驚きが奔っていた。
身体中に漲り始めた新たな力に、
「黙面様が、あの娘をお受け取りになった証拠ではないのかっ!?」
トラウス兄弟の弟が興奮と共に、皆に大声でそう、呼ばわった。
『生贄』として攫ってきた娘を……その『生き血』を、黙面様が儀式によって受け取られたのではないかと……
だからこそ、新たな力が――更なる力が、約束通りこうして与えられたのではないか……と。
突如として、力強く床を蹴り飛ばす大きな音がエントランスに響く。
「ぬっ!!」
取り囲んでいたはずの侵入者の影が、一陣の風の様に皆の頭上を飛び越えてゆく。
その行動は明らかに、今のトラウス弟の言葉に、触発されたものだと分かる。
「行かせるかっ!!」
漲る力に歪んだ自信を取り戻し、親衛隊の連中は嬉々として彼の者の後を追い始めた。
「わはは……! もう負けぬっ!!」
湧き上がる力が、無限のもののように感じられる。
「我らは、もう負けんぞっ!!!」
どんな化物だろうと、どんな能力者であろうと、この人数と力があれば……
『黙面』が彼らに与えた力は、そう思わせるだけに足る強さだった。
たとえそれが、『仮初め』であったとしても……
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うそだっ!
そんなはずはない――っ!
そんな『こと』、有り得るはずがないっ!
ノリコはまだ生きている。
まだ……気配がする!
でなければ、おれは――何の為にここに来たのか分からない。
何の為に……
ノリコ…………
おれは、まだ言ってない。
まだ、おまえに言ってない。
ごめんと――――
傷つけて
ごめん…………と。
また、おまえの優しい笑顔を見る為に……
温かく、屈託なく、こんなおれに向けてくれるその笑顔を見る為に……
おれに――
謝る機会を、くれ……
手の届かない場所へと、行ったりしないで、くれ!
だから、頼む。
間に合ってくレ……
だかラ……頼む……
邪魔ヲ――――
『邪魔ヲ、すルな』
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ブルーグレイの髪を靡かせ、中空を舞う侵入者……
今の親衛隊たちにとって彼の者は、新たに得た力を試す絶好の標的であり、排除すべき存在だった。
「切破っ!!」
「熱波っ!!」
湧き上がる力を、ある者は『剣気』に変えて刃と化して飛ばし、ある者は灼熱の『気』に変えて放つ。
その力はイザークの身を確実に捉え、服を引き裂き、衝撃を与えた。
「砕っ!!」
同じような能力を与えられていたのであろう。
作品名:彼方から 第三部 第七話 & 余談・第四話 作家名:自分らしく