彼方から 第三部 第七話 & 余談・第四話
負の感情が、取って代わってゆく……
ゴボゴボと、薄気味悪い音を立てながら立ち塞がる水の化物――『黙面』
ただの、虚ろな穴が穿たれているだけにしか見えないその眼を見据え、イザークは怒りの儘に、内なる『力』に身を委ねていた。
***
オノレ……
オノレ……
黙面の思念が、苛立ちを含んでいる。
渡サン
渡サン
苛立ちと共に、黙面の体内から気泡が湧き上がり、蠢いている。
アノ娘ハ
アノ娘ハ
我ノ獲物……
我コソ
我コソ――
自らに捧げられた『生贄』……『獲物』。
それを奪い返しに来た異形の姿を持つ男を、黙面は瞳のない眼で睨みつけた。
これ以上、儀式の邪魔立てなど、させるわけにはいかない。
生贄を、獲物を、奪い返されるなど、以ての外。
今が好機なのだ、逃すわけにはいかない。
――「アノオ方」ヨリ
『力』ヲ、モラウ者!!
その為の生贄、その為の生き血……なのだから――
黙面は、その身を幾つもの大きな水塊へと分裂させ、異形の侵入者へ向けて弾のように放っていた。
***
イザークに向けて放たれた水塊が、床や壁に当たりその場に大きく、穴を穿ってゆく。
黙面が放った水塊は、その勢いと共に回転が加わり、ただの水の塊りとは思えぬ破壊力を備えていた。
飛び交う水塊の間を縫い、イザークは黙面へと向かいながら、両の手の平を合わせるようにして『気』を集約させてゆく。
黙面の、無防備にも思えるその不定形の体に向け、イザークは集約させた『気』を――『遠当て』を放った。
【天上鬼】の力により、遥かに威力が強化されている『遠当て』を……
手応えはあった。
黙面の体は穿たれ、大きく歪んでゆく。
だが――
バカメ……
ソンナモノガ
我ニ通用スルカ!
効いてなどいなかった。
イザークの放った『遠当て』は、その威力の全てが受け留め流され、殺されていた。
我ハ水
形ハモタヌ
言葉通り、定まった形のない水の体を操り、激しく飛沫を上げながらイザークの背後へと回る黙面。
今度は先ほどよりも大きく、激しい回転を加えた水塊を、至近距離から放ってくる。
イザークも、水塊を紙一重で避けながら、もう一度、その揺らめく体に向けて遠当てを放っていた。
無駄ダ
無駄ダ
無駄ダ!!
イザークの攻撃をまともに喰らい、黙面の体が千切れ、四散してゆく。
だがその声音に、焦りの色は全くない……
ドンナ攻撃モ
我ヲ破壊ハデキヌ
壁や床に飛び散った黙面の体が、集まり始める。
まるで『それ』自体が、意思を持っているかのように。
ク……ク……ク……
黙面の虚ろな面から嘲りを籠めた笑い声が伝わってくる。
激しい水音を立てながら、飛び散った自身の体を寄せ集め、渦を巻き、頭を擡げた蛇のようにその身を高々と持ち上げてゆく。
小物ノ化物ノクセニ
コノ我ヲ ココマデ本気ニサセタノハ
誉メテヤル
ダガ……ココマデダ
嘲り、見下した思念と共に、その身が渦を巻く勢いが増してゆく。
先端が鋭利な矛先の様に鋭く、尖ってゆく……
我ノ前ニ
骸トナレ!!
渦潮の如く渦動し始めた自身の体を武器とし、黙面は凄まじい速さで侵入者に襲い掛かった。
ソノ体
我ガ 貫イテヤル――!!
槍の様に突き立てた勢いのままに、黙面はイザークを館の壁へと押し付けてゆく。
激しい渦の回転の音と共に、何か硬いものを穿つ時のような、破砕音が響く。
――ッ!
だが……
ヌ――ッ!?
渦潮の如き渦動も、槍の如き先端も、彼の者の身を貫くことはなかった……
黙面の形を持たぬ体は、イザークがその身に纏う、強く大きな『気』に依って防がれ、ただその場で、空回りしているだけだった。
カァッ!!!
イザークの咆哮と共に、凄まじい『気』が放たれた。
オォオオォオオッ……
黙面の、形を持たぬ体が、イザークの『気』に巻き込まれてゆく。
激しい旋風の如く周囲を巻き込みながら、イザークの放った『気』は、黙面の体を幾つもの小さな水塊へと飛散させていた。
***
『敵!』
邪魔だ……
『敵!!』
そうだ、みな敵だ……
『消えろ――消えロ!!』
消してしまえ……おれの邪魔をする者など……
『おれから×××ヲ 奪っタ者』
……何?
『おれと×××の間ヲ 邪魔すル者』
……何との間?
『その行く手ヲ こトごとク さえぎル者』
……何を――奪われた?
『殺しテやル……』
……そうだ、奪われた――×××を……
『消しテやル!』
……そうだ、邪魔をされた――遮られた
『破壊シテやル!!』
ここには……×××が……
『破壊……』
――――違う……
『破壊――』
――――やめろっ!!
『破壊――!』
――違うっ!
『破壊――!!』
そんなことをしに来たんじゃないっ!
『破壊――!!!』
×××が、危ない……!
『―― 何が? ――』
***
止め処なく溢れ、昂ってゆくイザークの『気』が……内在する【天上鬼】の『力』が――
イザークの負の感情を糧に、闇の力を増大させてゆく……
その『力』に、イザークの意識が、理性が、自我が……押し込まれ、抑え付けられ、呑み込まれようとしている。
怒り、不安、悲しみ、苛立ち、憎しみ……それらの感情が全て混然一体となって、破壊の衝動へと導かれてゆく。
青黒く変質した皮膚は堅く節くれ立ち、至る所が裂け、鋭くささくれ立つ……更に変容してゆく。
手足の指、その爪が、荒ぶる獣の様に大きく、太く……そして、鋭く……
変容が進むほどに、彼の『気』が『力』が溢れ、辺り構わず衝撃波となり、館を襲う。
その姿も力も、まるで、何もかもを『破壊』する為に……ただその為だけに『在る』かのようだった。
「あ……!!」
イザークの口から、無意識に声が漏れる。
何かを引き裂くかのような音を立て、背中から一翼の黒い翼が、姿を現した……
鍵爪を備えた、禍々しい漆黒の、獣の翼――
まだ生まれたばかりのそれは濡れそぼり……更なる『力』を求めるかのように、『外』に現れ出られたことを喜ぶかのように、イザークの背中で大きく羽搏こうとしていた。
作品名:彼方から 第三部 第七話 & 余談・第四話 作家名:自分らしく