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自分らしく
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彼方から 第三部 第七話 & 余談・第四話

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 恐らく舞踏会場で、何か大臣が機嫌を損ねるようなことがあったのだろう。
 ポーニャ一族に取り入り、最近、頭角を現してきた人物……
 当然、良い噂は聞かない、逆らわない方が身の為だと、雇われた時に散々、聞かされた。 
 ここで今、何か粗相をしたら、その憂さ晴らしの矛先が、自分に向かって来るかもしれない…… 
 大臣の言う通り、早く飲み物を置いて立ち去った方が無難だ。
 女中はそう判断し、なるべく俯き、眼を合わせることのないよう注意しながら、テーブルへと歩を進めた。

 ――何も起こりませんように……

 そう、心の底から願いながら。

          **********
 
「流石ですわ、とても美しい舞でした」
「いやぁ、こちらのご婦人も素晴らしかった」
 賞賛の言葉を口にしながら、着飾った貴族たちがクレアジータとエイジュを取り囲んでくる。
「いえ、お目汚しでなかったのなら、幸いです」
 クレアジータは柔和な笑みを浮かべると、無用に遜ることも謙遜したりもせずに、そう、返していた。

「そう言えば、少し小耳に挟んだのですが、臣官長殿は各地の伝説や言い伝えなどを集めて、何かの研究をなさっているとか……一体、何の研究をしておられるのですか?」
 一人の若い貴族が、不意に、そう訊ねて来た。
 群がり、集まった者たちの視線が、集団の後ろの方に居たその若い貴族に、一斉に向けられる。
 若年の、まだ、少年の面影が残っているような、貴族の男性。
 だが、クレアジータに向けるその瞳は真っすぐで、とても澄んでいた。
 エイジュは若者の瞳の輝きに眼を細めると、そっとクレアジータの袖を摘まみ、
「あたしは少し、席を外させてもらうわ――あなたはゆっくりと、ここに居る人たちに『話し』をしてあげたらどうかしら?」
 そう、囁いていた。
 眼を見開いて、少し驚いたような顔を見せるクレアジータに、エイジュはフッと微笑み、静かに扇で口元を隠しながら、周りの様子を窺う。
 派手な装飾の施された貴婦人たちの髪……その向こう、隙間から見えたのは――気配を殺し、その場を立ち去るライザの後ろ姿。
「…………」
 横目で、彼の行く先を見やる。
 ドロレフやその取り巻き連中が、円舞が終わる前に場を立ち去ったのは知っている。
 ライザは恐らく、そのドロレフたちの下へ向かったのだろう。
 今の、貴族たちの様子を知らせる為に……
 エイジュはクレアジータと眼を合わせると一度頷き、彼の返事を待たずにその場を離れていた。
 
「もし、臣官長殿が宜しければ、お聞かせ願いたいのですが……」
 貴族の若者の真摯な瞳に、クレアジータは微笑み、軽く頷きを返す。
「私の、拙い話しで宜しければ……」
 離れてゆくエイジュの気配を微かに感じながら、期待を籠めた眼差しを向ける貴族の青年へ向けて……
 何事かと、好奇の視線を向けてくる人々へ向けて、クレアジータは口元に笑みを浮かべながら語り始めた。

          ***

「では、最初の打ち合わせ通り、見回りを始める。皆、持ち場に着け」
「はっ!」
 同じ隊服を身に纏った男たちが、各々、持ち場へと散ってゆく。
 今日の舞踏会の為に、増員された警備隊員なのだろう。
 慣れぬ場に対する戸惑いが少し、表情に浮かんでいる。
 一人だけ、他の者たちとは少々異なった隊服を着ている者がいる。
 柔らかそうな巻き毛と、垂れた切れ長の目が印象的な、二十代後半と思しき男……
 恐らく、この隊の隊長なのだろう。
 部下である隊員たちが、其々持ち場へと向かうのを見届けた後、自らも館内を見回る為、奥へと向かう廊下へ、歩を進めた。
 
 月明かりが射し込み、窓枠の影が廊下に長く伸びている。
 窓の外、美しく瞬く星々を見上げながら、隊長は最上階へと向かう階段に、足を掛けた。
「――?」
 ふと、立ち止まる。
 声が、聴こえたような気がする……
 しかも、女性の叫び声が……
 この先、最上階にあるのは、身分の高い者や国が招待した国賓などが宿泊する為の部屋しかない。
 今夜、その特別室を使っているのは、ドロレフ大臣とその取り巻きたちだったはずだ。

 ――ドロレフ大臣か……
 ――良く無い噂しか、耳に入ってきたことはないが……

 あまり、関わり合いになりたくない重臣ではあるが、今夜限りとは言え、警備を任されている立場である以上、様子を見に行かないわけにもいかない。
 もしも、何か『事』が起きていた場合、後々面倒なことになるのは眼に見えている。
「――フゥ……」
 隊長は溜め息を一つ付くと、気合を入れるように居住まいを正し、階段を上って行った。

 ――……?

 長い廊下の先、特別室の扉が片方、開け放たれたままになっているのが見える……
「――ああっ!!」
「――っ!!」
 今度はハッキリと悲鳴が聞こえた。
 隊長は、腰に据えた剣の柄に手を置き、すぐさま走り出していた。

          ***

 月が清かに、夜の空で光を放っている。
 廊下の窓から射し込む月光が、ライザの影を淡く、床に落とし込む。
 エイジュは気配を殺し、足音一つ、衣擦れの音すら立てずに、ライザの後を追っていた。
 尾行されることを警戒しているのか、彼は幾つもの廊下の曲がり角を無闇やたらに曲がり、時折背後の気配を探りながら足音を忍ばせて、迎賓館の中を進んでゆく。

 ――……随分と用心深いのね
 ――まぁ、そうでなくては、このような仕事……
 ――請け負える訳がないのだけれど……

 石造りの床を、足音を立てることなく歩むライザ。
 エイジュは彼の視界に入らぬよう距離を取り、その気配だけを頼りに後を尾けてゆく。
 ライザが最上階へと続く階段を上り始めたのを見届けると、エイジュは淑やかに、左手を掲げた。
「――おいで」
 彼女の呟きに応じて、掲げた彼女の左手の上に、黒く、小さな生き物が、何処からともなく姿を現した。
 生き物は彼女の腕を伝い、首元まで走り寄り、頬に体を摺り寄せる。
 エイジュは愛でるように、優しく左手を添えると、
「少し、手伝ってくれるかしら」
 そう言って微笑んだ。
 チチッ……と、言葉が分かるかのように鳴き声を返す、小さき生き物……
 自身の手の平よりも小さな、その動物の頭を撫でると、
「さて……」
 次の瞬間、彼女の姿は消え失せていた。

          ***

「……これは、一体――」
 そう言った切り、言葉が出てこなかった。
 特別室の中は、無残な姿を晒したクッションが散らばり、そのクッションに埋まるように、女中が一人、蟀谷の辺りに手を当て、床に座り込んでいる。
 一見、怪我はないように見受けられるが……
 状況が分からず、隊長は困惑したまま、女中とドロレフを交互に見やるしかなかった。
 
「なんだ? 貴様は……」
 部屋の入り口に立ち尽くす男を、睨みつけるドロレフ……
 ドロレフに見据えられ、とりあえず隊長は姿勢を正すと、
「警備として増員されました、ローリ・アリコワと申します……見回りをしておりましたところ、こちらの部屋から悲鳴らしき声が聞こえましたので、様子を見に参りました」