その先へ・・・5
翌朝目覚めて見ると、気分は最悪だった。
「……つっ!」
頭がガンガンと叩かれ、目の前がクラクラする。典型的な二日酔いの症状だ。
あれしきのウォッカで二日酔いなんてロシアの男にあるまじき事だと吐き捨て、痛む頭を抱えよろよろとベッドから起きあがり洗面に立った。
鏡の中の自分は、何とも情けない目つきをしている。うつろな目つき。光の無いよどんだ色。はっきりと出来ている目の下のくま。
(何て顔してる!アレクセイ!!)
勢い良く水を出し、両手でザバザバと顔を打ちかけた。うつろな目つきも、痛む頭も覚醒させてくれそうな冷たい水であったが、何故かスッキリしない。
胸の奥には昨夜のトゲが刺さったままだった。それを取ろうともがけばもがくほど、トゲは更に奥へと突き刺さっていく。
夕べ帰ってきたそのままに眠ってしまった為、くしゃくしゃになったスーツを無造作に脱ぎ捨て、クローゼットから制服を取りだして身につけた。
数冊の楽譜を手に部屋を出ようとして、ふと思いつき机の引出の奥からたばこの箱を取りだし、胸ポケットへと押し込んだ。
重い体を引きずるようにして礼拝堂へ向かったがやはり足は進まなかった。
欠席を決め込み、中庭の草むらの中にドッカリと腰を下ろし、うん……と大きくのびをして倒れ込んだ。
鈍色の雲がたれ込めた空が視界いっぱいに広がっていた。光が射し込んできそうな隙間など少しも無かった。
まるで今の自分と同じだ……
そう思うと塞いだ気持ちが更に重く、苦しくのしかかってくる気がした。たまらずに起き上がり、胸元からたばこの箱を取り出し、カサカサと中を探った。
「くそっ!最後の一本か!」
少し曲がったそれをくわえてマッチをこする。
胸一杯に吸い込んだ煙が、もやもやと渦巻いているモノと一緒に混じり、思いっきり吐き出したときに一緒に出てくれればどれ程楽かしれなかった。
しかし、白い煙をいくら吐き出しても、黒く渦巻くイライラとした気持ちだけがカラダの中に残った。
幾度目かの煙を吐き出して酒気の残る頭を抱え寝転がっていると、いきなり激しい痛みが臑を襲った。
「痛っ!!」
「だ、大丈夫ですか?まさかこんな所に人が……」
吸い殻を投げ捨て慌てて起きあがって臑をけ飛ばした犯人を見ると、見たことの無い細身の少年だった。
「バカ野郎!!精魂込めてけ飛ばしやがって……この野郎!!」
少年はアレクセイに向かって謝るどころか、いきなり草むらにはいつくばり何かを探し始めた。
「あ……あの、本……フレンスドルフ校長先生から特別許可を得てお借りした本が……」
カチンときた。自分の臑を思いっきりけ飛ばしておいて、謝るどころか本を探すなど!夕べからたまりにたまった鬱蒼とした気持ちが、目の前の少年に向けられた。
「ほーっ!!点数稼ぎめ!本だと?!」
無意識のうちに、ルウィが夕べ放った言葉を少年に投げかけた。
自分の手元に飛んできていた彼の捜し物を掴み上げ、勢い良く投げつけてやった。線が細く、見るからにひ弱そうな少年はそのまますごすごと退散するかと思いきや、黒くまだ幾分幼さの残る瞳でキッとアレクセイを睨み据えると、およそその容貌からは想像もつかない様な事を口走った。
「ぼくが点数稼ぎなら、あなたはろくでなし。見ましたよ、あなた今ここで隠れてたばこを……」
考えるより体が動いていた。昨夜に続き、再び右の拳で少年の左頬をなぐりつけた。少年が草むらに倒れ込んだ姿は、昨夜のルウィと重なり不思議と気が晴れていく様な感じがした。
なんだ、ヤツにもう一発食らわしてやりたかったんだ。と内心ニヤリとした瞬間、後ろから思い切り肩を掴まれた。
振り向いた瞬間‥‥
いきなり左頬を平手打ちされあっけにとられた。
驚き目の前の相手を見ると……、金色の髪を逆立てた見たことのない綺麗な少年が、眉を吊り上げアレクセイを睨み付けて立っていた。
思い出すままに話してしまった事を幾分後悔し、アレクセイはタバコに火をつけ深く煙を吸い込んだ。
「わりぃ……だいぶ脱線しちまった」
「いや……。それがユリウスとの出会いか。なかなかロマンチックじゃないか」
穏やかに微笑みながら、ズボフスキーが温かな視線をアレクセイにおくる。
「ロマンチックなもんか!当時のあいつは喧嘩っ早くてだなぁ、虫の居所が悪かったおれはあいつと取っ組み合いのけんかをする寸前だったんだ」
「はっはぁ!ロマンチックよりもドラマチックか!しかし学生時代のおまえらときたら……。今のお前たちからは想像がつかないぞ。特にユリウス。おまえの話の中のユリウスはまるっきり血気盛んな少年だぞ!おまえ、おれたちを担いでいやしないか?なぁ、イワン」
「あ……は、はい……」
「そうだな。はは……おれも冗談かと思ったよ」
タバコを燻らせ、薄く笑うアレクセイにズボフスキーの顔も曇る。
イワンはそのまま俯いてしまった。
「‥…まぁ‥…、ロシアに戻ってからも、ルウィと同じ事を言って突っかかってくるヤツが何人もいたが、片っ端から思い知らせてやったさ。まぁ、そんなわけでおれとルウィは最悪って事さ。……おい、イワンどうだ?見せてみろ」
イワンの右拳は赤く腫れ上がってはいたが、骨に異常は無いようだった。もうしばらく冷やしておけば、痛みは引くだろう。
「あの、すみません。今日は帰らせてもらっていいでしょうか?」
「ん?ああ、そろそろ仕事か?かまわんが、おまえその手で料理出来るか?今日は休んだ方が……」
「いいえっ!今日はっ!……あっ、いえ、多分大丈夫……です」
慌てて右手をタオルで拭き、身支度を始めたイワンに、アレクセイが声をかけた。
「おまえ大丈夫か?だいぶ顔色が悪いが」
「だっ大丈夫です!あの……すみませんっ!失礼しますっ!」
イワンは深々と頭を下げて事務所を急いで後にした。
「どうしたんだ?あいつ‥‥」
アレクセイは、イワンが出て行ったドアをしばらく見つめていた。