その先へ・・・5
この頃のアレクセイはアルラウネの指導のもと、亡命している同志達の連絡係や書類運びの活動を始めたばかりだった。
まだ秘密警察の手もそんなに近くに及んでいないこともあり、これといった緊張感もないままに何回かの経験を積んでいった。
アレクセイの次の任務は、来月ロシアへ戻る事になっている同志達の偽旅券用の写真の受け渡しだった。
彼から写真を受け取るべく、指定された場所で待っていたのがルウィ・ガモフだった。
ルウィはそれを受け取る為に打ち合わせ通りの場所で待っていた。
しかし、約束の時刻になってもアレクセイは一向に現れなかった。何度も懐中時計を見ながら待っていたが、不測の事態が起きたと思いその場を離れる事にした。
しかし、予定が変わった為に当時の彼も焦ったのだろう。指定されていたルートを通らずに立ち去ろうとしたところを秘密警察に偶然出くわし、危うく拘束されそうになってしまったのだ。
人混みに紛れ、辛くも逃げ延びたルウィは彼らがレーゲンスブルグでアジトとしている屋敷の一室に駆け込むと、そこには今回の元凶となったアレクセイがいた。
時間を間違えるという致命的ミスを犯したアレクセイは、アルラウネをはじめとする同志達にさんざんお灸をすえられた後であった。
しかし、当事者であるルウィにとってはたまったものでは無い。一目散にアレクセイに駆け寄り、肩をつかんで拳を振り上げたが周りの同志達に羽交い絞めにされ引き離された。怒りの収まらないルウィは、顔を真っ赤にして怒鳴った。
「おい!おまえ!ふざけるなよ!」
「……悪かったよ、すまん」
さすがにいつもは横柄なアレクセイも項垂れている様で、声も態度も小さかった。
ルウィは更に激高する。
「もうこいつにはやらせないでくれ!おれたちは遊びでやっているんじゃないんだ!」
「本当に……悪かったよ。だが書類は持ってないんだから、捕まったってシラを切れば大丈夫だろう?証拠は無いんだ」
「ガキが分かった様な事を言うな!そんなものは奴等はどうにでも捏造できる。拘束して拷問にかけ仲間の名をはかせ、資金の提供者をあぶり出すのがやつらの目的だ。そんな事もわからないのか!何人もの同志の命がかかっているんだ!おまえが時間通りに現れないだけで、すべてが狂うんだぞ!」
ルウィの言葉に誰も言葉が出なかった。それが真実だからだ。
そんな中でも唯一、アルラウネはルウィとアレクセイの間に入り二人ををさらに離した。
「本当にごめんなさい、ルウィ。アレクセイにはようく言い聞かせるから。これからもこの子の事をお願いするわ」
「おれはごめんだ!アルラウネ、おれたちだってきみだって、命を削って、危険を冒して活動をしているんだ。おれは、こんな貴族のろくでなしのガキに台無しにされたくないんだ!」
それまで自分のミスの為に迷惑をかけた同志、ルウィの怒号を大人しく聞いていたアレクセイだったが、あまりの言われように声を荒げた。
「おい!なんだとっ?!」
「ふん!そうだろう?違うのか?貴族のおぼっちゃんの遊び感覚でやられたら困るんだよ!」
「きさまぁ……っ!」
アレクセイはルウィの許へ駆け寄り胸倉をつかんだ。静止をするアルラウネの言葉など全く聞こえていなかった。
胸倉をつかまれてもひるむ事なく、ルウィは更にアレクセイに口撃を仕掛ける。
「おまえ今、音楽学校の学生なんだってな?ふん!優雅なご身分だ。高貴な生まれの方は違うね。学生は学生らしく、点数稼ぎに精を出していれば良いものを。おれたちは命を懸けてるんでね!邪魔するな!」
「てんめぇ!」
「ルウィ!アレクセイはドミィートリィの弟よ!ただの学生とは違うわ!」
アルラウネの言葉にルウィの顔色が途端に変わった。
「そこだよ!人は口をそろえておまえの兄貴は偉大だ、英雄だと言うが、オレにはさっぱりわからねぇ。どんな事したって所詮は貴族じゃねぇか!偉そうに革命論なんか唱えたって上から見ているに過ぎなかったんじゃないか?ええっ?」
すぐ横に立つアルラウネの顔色が変わったのを知ってか知らずか、ルウィは静止する同志を無視し持論を続けた。
「それにどうだ!結局は革命とは関係無い権力闘争に敗れ、密告されて処刑されたんだろう。は!情けねぇ!何が英雄だ!おまえの兄貴がおれたちの為に何をしたって言う……!」
言い終えないうちにルウィの身体が床に投げ出された。アレクセイの拳が彼の左頬を捕らえたのだ。
「もう一度言ってみろ!おれはドミィートリィ・ミハイロフの弟だっ!そしてそれはおれの誇りだっ!!兄貴を口汚く罵る事はおれが許さないっ!!二度とその口きけなくしてやるっっ!!」
更に殴りかかろうとするアレクセイを側にいた同志達が2人がかりで止めた。ルウィは口の端から流れる血を拭い、尚も挑戦的な目でアレクセイを睨みつけていたが、別の同志によって部屋から連れ出されていった。
「おい!てんめぇーっ!待ちやがれっ!」
しばらくルウィを追いかけようとしていたアレクセイだったが、必死に止める同志達になだめられそれをやめた。
肩で息をしながらふと横を見ると、アルラウネが真っ赤な顔をして両目を見開き、涙を流しながら震えていた。体の奥底から湧き上がってくる怒りを必死に耐えている様は、アレクセイに妙な罪悪感を覚えさせた。
「ア……アルラウネ……」
「………こっ……、これからは……気を付ける事ね、アレクセイ……」
涙を手のひらで無造作に拭い、アレクセイと目を合わせる事無く足早に部屋から出て行った。
あんな風に兄の事を罵られ、一番怒らねばならないのは他ならぬアルラウネの筈だ。それなのに……。
「なぁ!なんで黙っていられるんだ?!なんとか言えよ!」
彼女が出て行ったドアに向かって叫んだ。
なぜ彼女はあんな風に耐えているだけで何も言わないのか。相手が同志だから、耐えなければならないのだろうか?
だとしても、大事なドミィートリィの事を罵る相手に、何か言ってくれてもよさそうなのに……。
「ちきしょう……!」
上着を無造作に掴み、アレクセイも足早にアジトを後にした。