彼方から 第三部 第八話 & 余談 第五話
足を止め、自身の眼に映った光景に、言葉を失う。
白煙を立ち昇らせ、瓦礫を飛ばし、爆発を続ける占者の館……
その館の上空に、『何か』が見える。
得体の知れない『何か』が、集まってくるのが……
黒い雲のような――気味の悪い霞のような……
眼のように見える虚ろな穴を持った、『化物』のようにも思える『何か』が……
占者の館を中心に、その上空に寄り集まってゆくのを、多くの住人が眼にしていた。
バーナダムも、その一人だった。
『あんたに何が分かる!!』
真上に見える黒い霞のようなもの……
集まり、密度を増し、不気味な様相と気配が膨らんでゆく……
それが、イザークのあの言葉と重なる。
『何が分かるっ!!!』
泣きそうな顔で、激しい感情の波を見せた、あのイザークの顔と重なってゆく。
慄きが、体中に冷や汗を掻かせてゆく。
思いたくはないが『これ』も、イザークが原因なのではないかと、そう思えてしまう……
嫌な気配しか感じられない……この、『黒い霞』も……
**********
変だ!
変だっ!!
ずっと、ずっと――
頭に浮かぶのは、イザークの異形の姿……
ダメだ、ダメだよ!
止めなくちゃ……止めなくちゃ!
彼が……彼が彼でなくなってる……
あたしのために無理したせいだ。
あんなに精神(こころ)を痛めて……無理したせいだ!
このまま、この爆発がエスカレートしてったら、
きっと、関係のない人達まで巻き込んでしまう……
もし――
もし、そんなことになったら――
そんな、ことになったら――――!!
彼は優しい……
本当に優しい人だから……
絶対に、あとで酷く苦しむ……
見てたよ……カルコの町で。
イザークは、自分を襲ってきた人達が埋葬されるのを、ずっと、見ていたよね。
あの時、何を言っていたのか今も分からないけど、でも、それでも分かったよ。
あなたが、辛そうにしていたの……苦しそうにしていたのが……
大きな鳥に攫われた時だって、イザークは、あの鳥を殺そうとはしなかった。
それに倒した後、鳥の心配をして、様子を見に行ったよね。
イザーク……
あなたは本当に優しい……優しい人。
だからこれ以上、苦しんで欲しくない……
……もう止めて、もう、無理をしないで!
お願い……お願い、イザーク!
イザーク――ッ!!
***
苦しみ、苛立ち、憎しみ、悲しみ……
負の感情に満ちたイザークの気配。
その気配だけを頼りに、ノリコは崩壊してゆく館の中を走り抜けていた。
周りの状況など、確かめる余裕も鑑みる余裕も、有りはしない。
何が起こっているのか、どれだけ危険なことをしているのか……
そんなこと、気にする暇など、有りはしない。
瓦礫や破片が散らばり、壁や天井に幾つもの亀裂が奔る。
床は罅割れ、裂け目が生じ、走ることはおろか、まともに歩くことすら出来ない状態になっている。
爆発は終わりを見せず、その振動も衝撃も、館を絶えず、揺らし続ける。
落ちてくる破片を気にも留めず……いや、気付いてなどいないのだろう――
ノリコは近づく気配に向かって走り続けた。
頭に浮かぶ、異形の姿のイザークに向かって……
光の射さない暗闇の中……
独り、蹲るイザークの元へ……
彼の名を呼ぶ。
轟く爆発音の中、館が立て始めた崩壊音の中。
彼に届くように、彼に聞こえるように、彼が気付いてくれるように――!
「イザークッ!!」
有りっ丈の願いと想いを籠めて……
***
……暗い――
何も見えない……闇、だけだ……
ここは、何処だ?
おれは、何をしている……?
……分からない……何も分からない。
何も……感じない…………
…………何も……ない――――
……………………?
…………違う……
……何か……
……何か……近づいて、来る――
『気配』が、する…………
おれは……知っている?
この『気配』を……?
………………あぁ――
…………そうだ……
……そうだ――知っている。
……おれが、求めていたものだ。
おれが、捜していたものだ……
……感じる。
温かくて、柔らかい……『気配』――『光』
……呼んでいる。
『おれ』を――
……彼女、が……
見える……
おれに向かって、走ってくる姿が。
……聞こえる。
おれを呼ぶ、その声が……
「イザークッ!!」
「――ノ……リ、コ……」
ああ……
そうだ――そうだ!
おれは彼女を求めていた。
彼女を捜していた――!
『ノリコ』を――――!!
***
『闇』に蹲るイザークが感じたものは――『光』……
その『光』はとても小さくて……けれども、とても強い……
誘われるように向けた瞳に映し込まれる『光』は、人の姿を――
イザークが求め、捜した『女性(ひと)』の姿を、していた……
「――ノ……リ、コ……」
眼の前で奪われた、大切な人……
ノリコの姿を――
鈍く、大きな音が聴こえる。
亀裂の奔った天井から……
自身の重さに耐えきれなくなったかのように、大きな――巨大な破片が、ゆっくりと落ち始める。
脇目も振らず、ただ真っ直ぐに走り寄って来てくれる、ノリコの頭上に――
『光』を宿し始めたイザークの瞳が、その光景を捉えた。
「はあっ!!」
気を放ち、ノリコに降りかからんとしている破片を砕き、弾き飛ばす。
「イザーークッ!!!」
両腕を大きく広げて、心配そうに眉を潜めて――
ノリコが何の躊躇いも無く、イザークの名を必死に呼びながら、走り込んでくる。
――だめだ、ノリコ……
闇の力を解き放ち、変容した自身の姿を自覚する。
『あの時』よりも禍々しく、更に恐ろしい姿に変容している自身の姿を……
捜し求めた人が、直ぐ、そこに居る……
何の躊躇も躊躇いも無く、名を呼びながら、走り寄って来て、くれる……
恐れも、嫌悪も……一片の曇りもない――澄んだ瞳で……
だからこそ、想う……
――こんな体のおれに触れたら
――おまえの身に、傷がつく……
……と。
ノリコを……大切な人を救い出す為、護る為とはいえ――
怒りに身を委ね、【天上鬼】の力を欲するまま解き放ち、禍々しい姿に変容してしまった己を、一番忌み嫌っているのは『自身』に他ならない。
だからこそ、『触れさせてはいけない』――『触れて欲しくない』と……思う。
――ノリコ!!
すぐ眼の前に、手を伸ばせば届くその距離に、彼女が居る。
皮膚が硬く罅割れ、鋭くささくれてしまった胸に、飛び込んで来ようとしている。
無防備な彼女とは違い、イザークは躊躇った。
こんな自分の為に、その体にも心にも、『傷』を負わせてはいけないと……
彼女が塵ほどにも、そんなことを思っていないと分かるが故に……
作品名:彼方から 第三部 第八話 & 余談 第五話 作家名:自分らしく