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自分らしく
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彼方から 第三部 第八話 & 余談 第五話

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 何の偏見も持たず、あるがままを見てくれていると、分かるからこそ……
 無意識に、体が引けてしまう――自己を嫌悪、するが故に……

          ***

「イザーークッ!!!」

 眼の前に、彼が居る。
 『あの時』よりも酷く……変容した姿のイザークが、居る。
 青黒く、硬く、変質してしまっている肌。
 罅割れて鋭くささくれてしまった皮膚が、今の彼の心の状態を表しているかのようだ。
 
 痛々しく、苦しそうにしか見えない。
 水色の瞳が悲しんでいるように、ブルーグレイの髪が、嘆いているように感じる。
 背中の大きな翼――黒く、鋭い鍵爪を持った、獣の翼……
 敵意を向けてくる全ての者を、排除し撥ね退ける為の、鎧のよう……
 眼も、耳も、心も……
 全てを閉ざし、闇の中に凝り固まる為の……
 ……その為の鎧のように見える。

 このまま放って置けば、必ずそうなる。
 ノリコはそう感じた。
 それだけはいけない、絶対に、そうさせてはいけない。
 『本当に』彼が彼でなくなってしまう……

 まだ、間に合う。
 まだ――!
 ……彼が、彼でなくなってしまう……その前に――!! 

 立ち上がり、イザークが身を引く。
 『あの時』の様に……
 大岩鳥に攫われた、あの時の様に。

 ノリコはその身ごとぶつかるように、大きく広げた両腕を彼の首へと回した。
 ……優しく、抱くように……
 留めるように、鎮めるように……
 想いを、籠めて……

          ***
 
 動けなかった。
 破壊の衝動に身を委ね、醜く変容した体に、ノリコを触れさせてはいけないと、思って、いたのに……
 だが、同時に求めていた、望んでいた――ノリコを……
 ノリコに『触れる』ことを……
 だから、動けなかった……
 無意識の内に、身が引けていても……

 『闇』が、遠去ってゆく。
 ……イザークはそう感じていた。
 暗闇に見出した灯のように、『出口』はこっちだと、導く明かりのように、彼女の姿を気配を――鮮明に捉えられたその時から。
 自我を押し込めていた『闇』が、精神(こころ)を満たしていた憎しみや悲しみ――怒りや苛立ちが、柔く、緩んでゆくように思える。
 駆け寄る彼女の、大きく差し伸べられた腕が、柔らかくふわりと……その全身を以って包み込むように、首に回されてゆく。
 触れる体の温もり……
 鼻腔を擽る髪の香り……
 華奢な腕――それでいてしっかりと力強く、抱いてくれる……『護る』かのように――

 ――光……が……

 見開く、水色の双眸に映りこむ『光』……
 イザークの脳裏に、あの日……二人で最初に立ち寄った、カルコの町での出来事が、不意に蘇った。
 盗賊に襲われ、宿の二階から飛び降り、発作で力尽き、動けなくなってしまった自分を、ノリコは必死に抱えて、物置にされていた橋の袂まで、運んでくれた……隠してくれた。
 あの時もこうして、守ってくれていたと……そう思う。
 触れる体の温もりも、髪の香りも、この腕も――あの頃と変わりないのに……
 今の方がずっと、彼女を『強く』感じる……
 
 瞳に映るこの『光』は、彼女から――ノリコから溢れ出ているように思える。
 煌めき、流れ、温かく、二人を包んでくれる……『光』が―― 

「イザーク……」

 彼女の声が、煌めく欠片のように零れ、聴こえる。

「イザーク……落ち着いて」

 心に――体に、沁み入るように伝わってゆく。

「……イザーク……」

 もう、闇の力を感じられない……
 解き放った【天上鬼】の『力』が、鎮まってゆく。
 あれほど満ちていた破壊の衝動が、怒りが、苛立ちが……憎しみが、悲しみが――どこへともなく、消え失せてゆく……

 …………変容が――
 あれほど激しく変わり果てた己の体が、戻ってゆく……元の姿に、『人』の姿に……
 青黒く、硬く、変質した肌も。
 鋭く尖った爪も、節くれ立った指も。
 ブルーグレイだった髪も、水色に光る瞳も。
 全てを拒むかのように、醜くささくれた皮膚も。
 『闇の世界』へと、羽搏かんとしていた獣の翼も……

 全てが元へと――

 優しく、まるで癒すかのように、二人の周りを巡る『光』……
 イザークは、その『光』の中、驚きの眼差しで、己の両の手の平を見詰めていた。
 もう――
 戻れないかもしれないと……そう思っていた自身の体を――
 そっと触れていた――
 柔らかい香りを放ち、しなやかに流れる彼女の髪に……

 確かめるように頬を寄せながら、両の腕を彼女の背に回す。
 耳元で聞こえる彼女の息遣いに、安堵する。
 彼女の体から伝わる心臓の鼓動に、胸が震える――
 ノリコが生きていてくれたことに……
 こうして再び、その声を、姿を、気配を――耳にし、瞳に映し、感じることが出来たことに、イザークは泣きたくなる程、心を震わせていた。
 彼女が居れば……彼女さえ助かってくれれば――己を失くしてしまっても構わないとそう思えるほど、捜し、欲していたのだから……

     ―― ……ノリコ……! ――

 抱き竦めていた。
 その両腕でしっかりと……
 もう二度と……そう、もう――二度と……
 心に堅く、想いながら……

 館の壁や天井が崩落する音にやっと気付いたのか、ノリコが瞼を、ゆっくりと開いてゆく。
 巻き付けた腕を外しながら、こちらを見やってくる。
 まだ少し不安気な色を残し、見上げてくる彼女の大きな瞳。
 イザークは真っ直ぐに、澄んだその瞳を見詰め、微笑んでいた。
 愛し気に、慈しむように……

「イザーク――」

 久しぶりだと――そう思えた。
 ノリコの微笑みを――心から安堵したその笑みを、眼にしたのは……
 彼女が名を呼んでくれることが……
 その笑みを、また自分に向けてくれることが……
 今、何よりも大切で掛け替えのないものなのだと、イザークはその胸に刻み込んでいた。

     *************
 
 ――まさか
 ――あの二人は……

 度重なる爆発に耐え切れなくなったのだろう……
 穿たれた天井や壁の穴から、細かな崩落が始まっている。
 一時もしない内に、跡形も無く、崩れ去ってしまうに違いない。
 崩壊によって生じる瓦礫が、いつ、この身を襲うかも分からない……
 そんな危険な状態へと陥った黙面の神殿の中に、ワーザロッテやグゼナの兵士、それに黙面の神官……タザシーナは未だ、取り残されていた。

「あああっ! 出口が、出口が……!」

 爆発は、今は治まっている。
 だが、それまでの衝撃と振動で、神殿の出入り口は巨大な破片や瓦礫によって塞がれてしまっている。
 狼狽え、取り乱すワーザロッテ……
 だが、今のタザシーナには、そんな大臣の声など耳に入ってなどいなかった。
 黙面が侵入者を倒す為、自ら出て行ったその時から、ずっと――『占て』いた。
 自身が占た『事象』を、それに因って導き出した『己の推測』に、気を取られていたのだから……

 ――黙面様はこれを知ってて
 ――あの娘を求めたのかしら……

 そう思える。
 
 ――いや、違うわ

 だが、即座に否定した。

 ――だったら、あの男に……