彼方から 第三部 第八話 & 余談 第五話
――何を感じているんだ、わたしは……
意思とは裏腹に、震えの止まらない指先。
信じられないものでも見るかのように、ライザは震える自身の指先を見詰めている。
――まさか……怯えているのか?
――この、わたしが……!?
指先の震えが、じわじわと体中に広がってゆくように感じる。
その震えが、『恐怖』から来るものであることは明らかだ。
だが――ライザはそれを、握り潰した。
震えを抑え込む為に、自身を誤魔化す為に、拳を作り、強く、握り締めていた……
「はっはっはっ! バカも休み休み言うんだな、女」
「いくら渡り戦士とは言え、この人数に敵うわけがないだろうが!」
「どれだけ腕に自信があるかしらねぇが、そんな優男庇ってどうするってんだ? ああ?」
だが、それを感じたのは……どうやらライザだけのようだ。
集められた連中は大声で笑い合い、口々に嘲りの言葉を吐き散らしている。
「おい、もう殺っちまっていいんだろう?」
「ちゃんと約束の金は、払ってくれるんだろうなぁ」
剣を振り翳しながら、ライザに向かって大声を張り上げる荒くれ共。
『敗ける』ことなど、微塵も考えていない連中を見やり、
「……ああ、約束通り、金は払う。男は確実に殺せ、女は好きにしていい」
ライザはそう返した。
――そうだ、何を怯える必要がある
――たとえあの女が能力者だったとしても
――この人数相手に勝てるわけがない
――そうだ……
――このわたしより強い者など
――この国に居るわけがない
下卑た笑い声を零しながら、二人に詰め寄ってゆく連中の背中を見やり、ライザは自身に、そう言い聞かせていた。
***
「ここから動いては駄目よ――クレアジータ……」
応える代わりに頷く彼を肩越しに見止め、エイジュはクレアジータから少し離れると、荒くれ共を見据えたまま、左の手の平を後ろに向けた。
辺りに、冷たい空気が流れ始める。
金属でも弾いたかのような甲高い音と共に、クレアジータと客車、そして、それを引いていた馬にも覆い被さるように、透明な、氷のバリアが現れていた。
「能力者か……」
連中から、忌々し気な呟きが漏れる。
エイジュは円舞服の裾を優雅に持ち上げながら、
「触らないことをお勧めするわ……」
そう言って、不敵な笑みを向けていた。
「ケッ……そんなバリア、何の役に立つってんだ、てめぇを倒せばそれで仕舞いだろうが」
「そうだな、能力者が倒れちまえば、消える」
「確かに――しかも、向こうは丸腰だしなァ」
荒くれ共が吐き出す言葉には一応、余裕が感じられる……が、互いに視線を交わし頷き合いながら、『そうだ、そのはずだ』と言い聞かせ、不安を払拭しようとしているようにも見受けられる。
「……僭越ですが……」
それまで、ほとんど無言でエイジュに従っていたクレアジータが、不意に口を開いた。
ただ、女に護られているだけの、何の力も持たぬ男……
戦闘と言う一点に措いては、何の害も見い出せぬような男に、何故か皆、視線を向ける。
自身に向けられる多数の瞳に、柔和な笑みを返し、
「彼女を甘く見ない方が、良いかと思いますよ……」
クレアジータはそう……襲撃者に対し注意を促した。
至極当然のように――脅す為でも挑発する為でもなく促された注意に、荒くれた連中は改めて、互いに視線を交わしていた。
「聞く耳など持つな、さっさと殺ってしまえ」
背後から聞こえる、半ば苛立ちの籠った声音に、男たちが一斉に振り向く。
「金が――欲しくはないのか?」
冷たい瞳で見据え、懐に手を差し込むライザ。
出した手の平に乗っていたのは、通常ではお目に掛かれない程の、大きさの袋……それが、三つ。
その袋の内の一つの紐を解き、口を開きながら、中身がよく見えるように手を差し出してゆく。
どよめきが奔る。
月明かりを受け、零れんばかりに輝く金の粒が、荒くれ共の視線を奪っていた。
「要らないと言うのなら、わたしがその二人を殺すまでだが……?」
ライザの言葉に、殺気立ってゆく男たち……
「ふざけるなっ! その金はおれ達のものだ!」
「そうとも! あれだけありゃあ、当分は遊んで暮らせるぜ」
「能力者が何だってんだ! 丸腰に変わりはねェ」
僅かながらにあった警戒心も、『欲望』の前には無力だった。
男たちは、自身の『力』と『数』の優位――そして『欲』に溺れ、正常な判断を自ら、失ってゆく。
本能が促す『警告』を、感知しながら無視してしまっていた。
「……忠告、したのですが――」
溜め息と共に、クレアジータがそう呟く。
眼を血走らせて剣を向けてくる連中に、少し……憐憫の情を覚える。
「エイジュ、気持ちだけでも構いませんから、手加減してあげてください」
遠慮がちに、済まなそうにしながら、そう言ってくるクレアジータ。
エイジュは、『仕様がないわね』とでも言うように片眉を潜めると、
「相変わらず……優しいのね」
……と、軽く息を吐きながら肩越しに笑みを見せた。
だが、その笑みは直ぐに消え失せ、
「そうしてあげるだけの、価値のある連中だったら――考えなくも、ないわ……」
呟くように言葉を返すと、エイジュは鋭く冷たい氷柱のような『気』を放ち、連中の方へと足を踏み出していた。
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少しでも触れたら、罅割れ、壊れてしまいそうなほどに薄い氷の障壁……
冴えた月光を弾き、煌めき……思わず触れてしまいたくなるほどに、美しい。
だが、クレアジータは知っていた。
この氷の障壁は、見た目とは裏腹に恐ろしく堅く、その上、触れたもの全てを、凍り付かせるものなのだということを……
――あれからもう、十年は経つでしょうか……
初めて、この氷の障壁を見た時のことを思い出す。
彼女に……
エイジュール・ド・ラクエールに、初めて会った時のことを――
――あれは……
――臣官と言う役職に就いて、間もない頃でしたね
遠く、東の国境――
トラハン国とモーズク国に接する、境の地にある村。
その村を訪ねた帰りのことだった。
――あの村には、本当に数多くの伝承や御伽噺が残されていました……
村の年寄りや占者、村長までもが、一つないし二つほどの昔話を、親から子へ、また孫へと、話し継いでいた。
若いクレアジータは嬉々としてそれらを聞き漁り、書誌へと書き留めていた。
十代のころから興味を持ち始めた、各地に伝わる言い伝え、昔語り、伝説……
臣官という仕事柄、各地へ赴くことの多かった彼は、それらの話しに触れる機会も多かった。
やがて、それらの話しを集める内に、似たような内容の話しが多く存在することに気付いた。
伝説や言い伝えを伝承する者同士には、接点など見受けられないのに、伝わる話には共通する、『何か』があることに……
何時しか彼は、その『何か』を研究する為に、各地の伝説などを集めるようになっていた。
自らの足で…………
それが、どれだけ危険なことなのか――
――あの頃の私は、知る由もありませんでした
作品名:彼方から 第三部 第八話 & 余談 第五話 作家名:自分らしく