【弱ペダ】うちのボーカルが音痴なワケない!
もちろん、これでどうやっても元に戻らないと言うなら、最終手段をとる必要がある。拝み屋か祓魔師、あるいは霊能者か陰陽師のような人たちに祓ってもらうことだ。だが、まず信頼できる相手を探さねばならないし、それまでにどれだけの時間が掛かるかもわからない。と言うか、そもそも祓うことが出来るのか、と言う点については想像するだけで絶望感に押しつぶされそうなので、まだ考えたくない。それよりも、今の方法で解決できないなら、当然ながら文化祭での演奏は辞退せねばならない。
「いいか、最終的に演奏するかどうかの判断は俺がする。その責任も俺が取るさ。何せこれでもバンマスだからな」
「手嶋さん…」
そう言って手嶋がにっと笑った。
文化祭当日。朝から坂道は引っ張りだこだった。主にバンドメンバーによって、あちこちの教室や模擬店にと連れ出されていた。とは言え、クラスの方の分担もあるし、自転車競技部の展示の待機担当もある。午後からはバンド演奏も控えている。
「ごめんね」
坂道がぼそりと呟いた。
自転車競技部の展示を行なっている教室でのことだ。説明やら展示物の管理をするのに交代で担当に入っていた。ちょうど体育館の舞台では、演劇部の演目が始まっている頃で、生徒も保護者や招待客のほとんどが体育館に行っているせいか、校舎は全体的に静かだった。
数人訪れた見学者には、鳴子が嬉々として飛んでいって、なにやら盛りに盛ったインターハイの話をぶち上げている。
「え?」
今泉は坂道にそう言われて、そんな間抜けな言葉しか出てこなかった。
「歌おかしくなっちゃって…。しかもみんな色々やってくれてるのに、治らないなんて…。どうなってるんだって話だよね。今泉くんも、みんなも困らせて…」
「坂道…」
今泉はそんなことないぞ、と言ってやりたかった。むしろ、お前が楽しまなきゃ、どうするんだと。歌声を取り戻すにはそれしか実現可能な手段は思い当たらなかったのだ。やるしかないのだ。
だが、坂道の顔を見て、今泉は言うべき言葉を失った。
さぞかし落ち込んだ顔をしているかと思った。ここ数日時に浮かべる、困ったような、歯痒い顔ではなかった。
「僕、なんとしても直すからね!」
むふぅ! と鼻息も荒く、岩よりもダイヤモンドよりも硬い決意をこれでもかと漲らせた顔は、興奮でキラキラと輝いていた。
坂道、おまえ……!
今泉は驚いてなにも喋れずにいる。だが、心の中は立板に水どころではない勢いで、疑問を思い浮かべていた。
なにをするつもりなのか、目処はあるのか。いや、そもそも俺はそんなにわかり易く困った顔をしていただろうか。いや、だとしたら誤解だ!
だが、釈明も説明もできなかった。
ぐっと両手を拳にした坂道は、よし! と気合を入れたと思うと、再びごめん! と言って、勢いよく今泉に頭を下げた。
その声量に、流石に見学者と鳴子が何事かと振り返る。それはそうだ。今泉だって何が起こっているのかわからないのだから。
そして、今泉が何か反応できる前に、教室を飛び出して行った。
「さかみち!?」
「時間までには必ず戻るから!」
慌てて教室を出て坂道の背に待て、と呼びかけると、廊下を走り去りながら坂道はそう言った。
「坂道を見ませんでしたか?」
今泉は手嶋のクラスを訪ねて、端的な要件のみを伝える。
校庭の模擬店で綿飴を作ると言う手嶋たちの教室は、控え室と材料置き場になっていて、数人の生徒が作業をしたり、あるいは休憩中なのか椅子に腰掛けて喋ったりしていた。
手嶋は手にバインダーを持って、同じクラスの女子生徒と教室に積み上げられた袋を数えていた。
「ああ、坂道ならお願いがあります! って来たけど」
内容を把握して、坂道の願いに許可を出したからだろう、今泉に比べて格段に落ち着いている。
「お願い……?」
「ああ、歌ってきたいんだと」
手嶋の言葉に、今泉は目を剥く。敢えて歌いたいとは……? 触れるモノ全て傷付ける、思春期の少年の苛立ちよりも危険な凶器を振り回すようなものではないか。
「あれだけの勢いで言われちゃあな」
「でも……」
どこへ行ったのか判らないが、僅かワンフレーズ、いや一音聞いただけでもその恐ろしさに悶え苦しむことになる。もちろんその破壊力でだ。
「もちろん、小野田もその危険性は十分わかってる。でも、それでもやらなきゃならないと思ったんだろう。むしろ歌わなきゃダメだって、あいつは言ってたよ。僕が一番楽しいって歌わなきゃダメなんですってな。そんなあいつなら、どこへ行くと思う?」
今泉は雷に打たれたような衝撃を感じた。
「……峰ヶ山……」
多分そうだ。カラオケも、バンド練習の貸しスタジオもどっちでも歌えるけれど、おそらく坂道がそう言ったなら多分峰ヶ山だ。自転車で山を登りながら『ラブ☆ヒメ』のオープニングを歌う。それが坂道が楽しいと思える瞬間……。
「だから……、あいつを信じて待とう」
「……はい」
今泉はグルグルと激情渦巻く自らの心中を抑え、やっとのことで手嶋にそう答えた。
頼んだぞ、坂道……!
舞台から、どんどん楽器が運び出されていく。前に演奏していた吹奏楽部の発表が終わったのだ。ここからは「THE HIGH CADENCE」の彼らを皮切りに、軽音楽部や有志によるバンド形式の演奏が続く。従って、吹奏楽部とは必要とされる楽器が違う。だから、舞台の入れ替えに時間が掛かる。
それでもあと何分必要だろうか。
まだ、坂道は帰ってこない。
本当に間に合うのか。
今泉は舞台袖でやきもきしていた。ぐるぐるとその辺を歩いたり、吹奏楽部の大きな楽器が運び出されていくのにどのくらい時間が掛かるか計算したり、手の中に握ったギターのピックをひねくり返したり、端を擦ったり、意味のないことを繰り返してばかりいる。
「大丈夫だ、落ち着け」
手嶋や青八木にそう言われるが、とはいえ、あと数分で舞台転換の準備も終わってしまう。まだ坂道が帰ってきたようなそぶりもないのに。
「いざとなったら、順番を後に回してもらうさ」
手嶋は当てでもあるのか、器用に片目を瞑ってみせる。でも、手嶋が言うほど実はそう簡単な事でないことも判っている。坂道はやると言ったことはやる奴だ。だから、時間までに戻ってくると言えば、きっと戻ってくる。絶望的な状況でも、実現不可能だと思われた状況でも、それを覆して来た男なのだ。それを信じてやるのが、仲間なんじゃないのか。
そう幾ら言い聞かせても、心配が綺麗になくなることはなかった。
人前で演奏するときは勿論緊張する。だが、今のように周りの音が聞こえなくなるほど心臓の音がドクドクと鳴ることはなかった。今にも口から胃がひっくり返って飛び出してきそうだ。ついでに息苦しさでハアハアが止まらない。暑くもないのにじっとりと額に汗が浮かぶ。
「次、出てください」
進行を務めている生徒が、今泉たちに舞台に出ろ、と腕を振る。
一瞬、バンドメンバーが互いを不安げに見合った。本当に出ていいのか? 大丈夫なのか?
作品名:【弱ペダ】うちのボーカルが音痴なワケない! 作家名:せんり