再見
勝手に勘違いしている林殊が、つい面白くなり、自分の顔が、だらしなく笑っていそうで、靖王は、林殊に背中を向ける。
「教えないとぉ、、こうだぞ。」
林殊は、靖王の脇を、擽り出した。
「わぁ、、よせ、、小殊、、。」
「教えろー!。」
堪らず林殊の擽りから、逃げ出す靖王。林殊は靖王を追いかけ、いつも静寂な書房が、賑やかになった。
林殊が赤焔軍の役割を担い、靖王府に来ることは、めっきりと減った。
靖王府の、久々の賑わいだった。
せっかくの林殊の来訪だったか、長い時間は取れない。
見送りの時間も無駄にはしない。
靖王と林殊は、王府の門に向かい、共に歩いている。
「小殊、、もう、帰るとは、、、。」
「ん、、軍務を抜け出してきたしな。景琰が金陵に戻ったら、また来るよ。」
「今夜、靖王府に来ないか?。泊まっていけばいい。私も小殊も長い遠征になる。暫くは会えぬ。」
「ん〜〜〜、、明日の早朝から、調練があるからな、泊まりは無理かな、、。」
「、、そうか。」
「私の方が、帰京は遅いかな〜?。
梅嶺から戻ったら、真っ先にここに来るよ。景琰がこんなに金陵を離れるのは、初めてか、、、。
半年は戻らないのだろ?
東海は真珠が有名だから土産に頼む。
せめて鶏の卵くらいのを。」
「そんな大きな真珠があるか?」
「冗談だ、鳩の卵程度でいい。」
「探してみよう。」
「、、あぁそうだ、景琰。」
手綱をとり、珀斗の鐙に足を乗せかけて、、。ふと、思い付いたように、林殊が言った。
「これ、預かってて。」
珀斗の鞍に結びつけた、赤い弓と矢、ひと揃えを靖王に手渡した。
「大事な弓ではないか。置いていくのか?。」
「はは、、大事な弓だからな。梅嶺のごちゃごちゃした戦さで、使いたくない。林府に置いておくと、皆、触っていくし、どこかに持っていかれると困る。」
「ふふ、、赤羽営の不敗は、有名だからな。皆、お前の持ち物に触れて、肖(あやか)りたいのだ。少し触らせてやれば、満足するだろう?。」
「えっ、、嫌だよ。減る。暇をを見つけては、綺麗に磨き上げてるんだぞ。汚い手で、手跡を付けられるなんて、我慢ならない。」
林殊の持つ、『朱弓』は特別な物なのだ。
十三の時に、父親と弓の勝負をして、勝ち取った弓なのだ。
特別に誂(あつら)われた弓で、固く反りの強い材料を使い、華美な銀や螺鈿の細工は無い。
実戦用の弓だった。
弓の本体は、強度を増すために、漆が幾重にも重ねられ、それ故に、深く美しい紅(くれない)の色をしていた。『朱弓』の名の所以だった。
林燮自身、朱弓には思い入れがあった様だ。
林殊は、父親が大切にしている弓を渡す羽目になり、さぞや悔しがる事だろうと思いきや、顔は綻び、朱弓を惜しむ事無く、林殊に渡したのだという。
林燮の『朱弓』と『赤焔軍の心』は、林殊に受け継がれ、途中、反抗期を経ながらも、林殊はどちらも大切にしてきたのだ。
「持って行け。それは小殊の守り神だ。使わずとも、傍に置け。きっと、危機から守ってくれる。験担(げんかつ)ぎは好きではないだろうが、何かあった時に、慣れた弓なら必要以上に役に立つだろう。
『何か』なんて、無い方が良いだろうが。」
「うーん、、そうかぁ、万が一か、、。」
林殊は、じっと朱弓を見つめる。
「、、、うん、、そうだな。持って行こう。ははは、義兄達から守るのは大変だ。」
「その弓は、小殊と相性が良いのだ。戦さの折も守ってくれる。小殊が朱弓を持てば、周囲の者が皆、心強いのだ。」
「そうか、私が持ってるだけで、心強いのか。」
「ん、、そういうものらしいぞ。」
「ふ───ん、、、、ふふふ、、、。」
そう言って笑う、林殊の笑顔は、ひときわ眩しい。
今日、不安を抱いて、靖王府の書房で、一人、靖王を待っていた林殊とは思えない。不安は消えぬのだろうが、どこかで踏ん切りを付け、書房に置き去ったような、澄んだ微笑みだ。
林殊の笑みは、林殊の本質が含まている様で、靖王は心のどこかで痛みを感じた。
━━小殊はずっと、赤焔軍漬かりだ。
これだけの才と武術の腕を持ちながら、軍以外に何か望みは無いのだろうか。━━
見目秀麗、文武両道、悪童も神童も通り越し、『都の怪童』と呼ばれている。
愛らしい見た目と、才能に、誰もが魅せられ、期待していたはずだ。
━━父親が、林主帥だから、継ごうとしているのだろうか。━━
子供の頃から、『おうまにのって、せきえんぐんにはいる』、そう、言っていたのだ。
林殊がその気になれば、全てを手にする事が出来るだろう。そう思えるほど、恵まれた才を持つ。
━━いや、小殊ならば、嫌な事に、身をを置いたりはしない。天武の才が現れる時に、若さなど関係は無いのだ。いるべき場所で、そこで相応しい能力を発揮しているに過ぎないのだ。だからこれほどの若さで、軍功著しいのだ。━━
靖王はその林殊に対して、羨んでいる訳では無く、この年齢ならば、まだふわふわと、遊んでいておかしくない。林殊自身がまた、世の中の楽しみを、見つける事にも長けている。
━━なのに大人と共に戦場に身を置いて、、。━━
懲りずに悪戯を繰り返し、大人に追いかけられていたあの頃が、最も幸せだったかもしれない。
林殊がひらりと珀斗に跨る。
「再見。」
まるで、明日もまた、靖王府に来るかのように。さらりとした、素っ気ない別れの言葉。
林殊は、ひとこと言うと、珀斗を走らせる。
靖王府の方に、振り返りも、しなかった。
いつもと何一つ変わりはない。
完全に、いつもの林殊の姿だった。
靖王は、些か物足りなさを覚えるが、、、。
『大きくなる』という事は、そういう事なのだろう。互いにやらねばならぬ事が増え、責任が生じ、思う様に会えなくなる。
だが、寂しいと思うよりも、『小殊が頑張っているなら、自分も頑張らねば』という、奮起する気持ちになる。
兄弟を思う心、両親を思う心、祖国を思う心、二人は全て同じで、幾らも違う所がない。
遠く離れていようと、心は常に傍にある。
━━、、真珠は、必ず持ち帰ろう。━━
林殊の言う大きさの物は、希少な物で任務期間の半年をかけても、見つかるとは限らない。また、仮に有っても、靖王の手の届く物では無く、例え手にしても、どこかの富豪が、せっかく見つけた靖王から、攫っていくかも知れない。
林殊は悪戯に言ったのだ。本気で真珠が欲しいとは、思わぬし、靖王には手に入れられぬと踏んでいる。
だが、それが分かっていて、靖王は持ち帰ろうと思っている。
林殊は、まさか土産に、鳩の卵の様な真珠を、差し出されようとは、思ってもいない筈だ。
靖王の心をその手に握らせた時。
林殊はどんな顔をするのだろう。
驚くだろうか、、喜ぶだろうか、、
、、、、、、笑うだろうか、、、。
━━霓凰にはやるな。
私はお前のために真珠を得て来るのだから。
小殊を驚かせてやろう。
まだ梅嶺にいるのなら、私が梅嶺に行くのだ。━━
━━梅嶺の空の元に。━━