サヨナラのウラガワ 1
最初は雀の涙みたいな魔力しか渡せなかったけど、回をこなすうちに、それなりに様になって……、っていうのもおかしいけど、どうにか直接供給という儀式にはなった。
毎日、アーチャーに小言と厭味を吐き出され、それでも日々をアーチャーと過ごし、いつしか俺はアーチャーを好きになっていることに気づいた。
理想の姿、憧れたその道、どうしたってアーチャーは、俺には眩しいだけの、輝かしい未来。
ずっと、一生涯、隠しておこうとしていた気持ちは、あっさりアーチャーの知るところとなり、きっと契約なんて切られると思っていたのに、予想外のことが起こった。
アーチャーは、俺の気持ちを受け取るのだという。
かくして、同居人及び従者から一気に恋人という地位に格上げされたアーチャーの態度は、恋人だからといって別段変わることもなく、おそらく“つきあっている”という状態のはずなのに、なんらそれらしいこともなかった。
舞い上がっていたのも三日ほど。
俺も通常に戻った。
アーチャーは家で家事をこなし、俺はといえば普段通りに学校に行き、週末は二人で淡々と食材の買い出し。特に変わったことのない日々。
恋人だといっても、魔力補給のためのキスと、週に一度っていう定期的な魔力供給のためにセックスをするだけだ。しかもセックスというのは名ばかりで、儀式を逸脱することはなく、以前と同じスパンで繰り返されているだけ。
アーチャーと契約してから五か月近くが過ぎようとしている。あと数週間で夏休みがはじまる今、準備は整った。
俺は、アーチャーとの関係に終止符を打つ。
もともとアーチャーは俺と恋人になりたいと言ったわけじゃない。俺の気持ちを受け入れる、と言っただけだ。
調子に乗って、恋人だとか浮わついてたのは俺だけだった。
だからもう、やめにする。
これ以上、苦しいのは嫌だ。
だからといって、勝手に進めていいはずもないだろうから、一応、遠坂には、俺の立てた計画を話しておいた。反対も賛成もなく、黙って聞いていた遠坂だけど、たぶん呆れていたと思う。きっと、ワガママだと、身勝手だと思っているんだろうな。
だけど……。
「だけど、さ……」
遠坂は知らないからそんなことが言えるんだ。
アーチャーの氷点下な眼差しを、能面のような無表情を。
俺がアーチャーのことを好きだと知ったところで、それは変わらなかったし、恋人になっても変わらなかった。ただ、恋人というものになってから、厭味や小言が減ったとは思う。はじめは恋人になったから優しくなったんだと喜んでいた。だけど、俺の言葉にただ頷き、返事をするだけのアーチャーの顔は、見ているだけで震えがくる。
俺は何をやっているんだろうか……。
とんでもなくバカなことをしている。
もう解放して、座に還してやれよ、って声が、頭の中でこだまする。
でも、それは、できない。
だって、アーチャーは望んでいないから。
座に還って、守護者を続けることを、心底望んでいないから。
誰にも言わないその願いを、俺だけは知っているから。
だから、俺が生きる間だけは、ここに留めておく。
そう……決めたんだ。
アーチャーを初めて新都に誘った。
恋人だって括りなのに、俺たちはデートもしたことがない。一緒に住んでるから、毎日おうちデートだと言われるかもしれないけれど、そんな甘いものじゃない。日常から切り離されることのない俺たちの時間は、恋人同士と呼ぶにはあまりにも寒々しいものだった。
それも今日までだ。
アーチャーにはたくさん我慢をさせてしまったことだろう。
これからは好きなように生きて――――、そういう言い方は、変だな……。
好きなように、自由に…………、そう、自由に過ごしてほしい。俺なんかにかまわなくて済む環境で、アーチャーの思うとおりに、自由に。
ほんとは、そういうことを話しながらマンションに向かうつもりだった。だけど、何をどう説明しようかと思案するものの、何も言葉が浮かばない。
黙って数歩後ろをついてくるアーチャーに何も話すことができないまま、目的のマンションに到着した。エレベーターに乗り、目的の階で降り、俺の借りた部屋の前で立ち止まって、怪訝な顔のアーチャーを見上げる。
「アーチャー、ここ使ってくれ。これが鍵と当座の生活費。それから、こっちは魔力の補給剤。二日置きに配達するから。……えっと、それで、あとは、自由にしてくれてかまわない」
鍵以外が入った紙袋をアーチャーに手渡し、鍵を開けながら説明して、立ち止まっているアーチャーを引き入れ、部屋の奥へと背中を押した。
「ここで何をしてもいい。アーチャーは、自由なんだ」
繰り返し言って、俺はひとり、玄関に戻る。
「衛宮士郎、これは――」
「あのさ、あれ、なしな」
「あれ? なし?」
「つきあうとか、そういうの。俺はただ、アンタに憧れてるだけだ。恋人とかそういうの、望んでないから」
嘘を並べて笑みを作る。
「それじゃな。補給剤は、明々後日にドアの郵便受けに入れておくよ」
さ、と玄関を出て扉を閉めた。アーチャーに何も言わせないまま出てきてしまった。だけど、今は話し合いとかできそうにない。
さっさとその場から離れる。
逃げるようにマンションを後にして、息が詰まりそうになって足を止めた。
追いかけてくるような気配はない。
「っ……」
あふれそうな涙を、歯噛みして食い止めた。アーチャーが追いかけてこないことにショックを受けるなんて、手前勝手にもほどがあるよな、ほんと……。
今日、恋人にお別れをした。
初めての恋は、苦しいだけだった。
好きだけど、それだけではどうしようもないことがあるんだって、身に沁みた。
恋人になりましょう、ってことでつきあったけど、宣言したからといって恋人になれるわけじゃないんだ。
この恋を花に例えるなら、俺の一方通行な恋は、蕾のままで萎れたようだ。
俺の想いは痛みだけを残して、胸の奥で凝り固まっている。
どうしてアーチャーとつきあうことにしたんだっけ……?
今でもよくわからない。好きなだけでいいと、その気持ちは、一生口にはしないとそう決めていたのに。
たぶん、俺の気持ちを受け取ると言ったアーチャーに舞い上がっていて、アーチャーの真意に気づかなかったんだ。俺の気持ちを受け取ると言ったのは、恋人になりましょうということじゃなかったんだ、きっと。
「だけど、これはちょっと、強引だったかな……」
いきなりマンションに連れてきて、ここを使ってくれって……、家を追い出したも同然じゃないか……。
アーチャーには反論する隙を与えなかった。もとより、反論なんてしなかっただろうな。アーチャーはいつも淡々と現状を受け取っているだけだったから。
俺が何を言っても受け入れるだけなんだと思う。
俺の気持ちに気づいたから、それを受け入れただけ。それから、勘違いした俺の、恋人になるんだ、って言葉を了承しただけ。
アーチャーは、自分というものを殺している。守護者の仕事をするときと同じ。ただ受け入れるだけだ。
俺は、苦しめていたんだろうか……?
作品名:サヨナラのウラガワ 1 作家名:さやけ