サヨナラのウラガワ 2
あまりにも率直すぎで自信家な物言いだったが、相手が自身の元となる存在であるために、いろいろな手間や回りくどい言い回しなど不用だとアーチャーは判断していた。
「え? あ、う……」
真っ赤になって言葉を失くした士郎を見下ろし、アーチャーは、即、次の手を打つ。
「ふむ。では、そういうことで、新たな関係作りに勤しめ。以上だ」
「は? なに? 新たな? なんのことだ?」
話が終わり、くるり、と背を向けたアーチャーに、士郎は食い下がってくる。
それはそうだろう。当然の疑問だ。いきなりすぎる話であることだし、アーチャーの言葉も足りていないため、士郎にはなんのことやらわからない。
「鈍いな、衛宮士郎。お前の気持ちを汲み取ると言っている」
「は? 汲み取、え? ど、どういう、」
少しオブラートに包んだ言い方をすれば、やはり、あまりにも士郎の理解が足りないので、アーチャーは士郎に向き直り、手を伸ばし、びくり、と身を竦めた士郎を抱き込んだ。
「はえ? な、え? あ、あの、アーチャー?」
抱き込んだ士郎の首筋に鼻先を埋めれば、皮膚は汗ばみ、どくどくと速い脈動が感じられる。まだ肌寒い早春だというのに、その身体は熱く、うろたえながら何かを言おうとしているものの、じっとアーチャーの腕の中でおとなしくしている。
普通、何も感じていない相手、しかも同性にこんなことをされれば、逃れようともがくか、殴ってでも逃げようとするだろう。
「あ、の……、アーチャー、それって……、恋人……って、こと……?」
何を馬鹿馬鹿しいことをほざいているのか、と士郎を見下ろせば、赤い顔のまま、琥珀色の瞳を揺らしてアーチャーを見上げている。
いまだ確信が持てない様子の士郎は、アーチャーに必死な顔で訊ねてきている。
――――まだるっこしい。
そのとき、アーチャーはそんなことを思っていた。
好きだというから、いや、明確な言葉などなかったが、ありありと好意を寄せていることが、周囲の目にも明らかになるほどわかっているから応えてやったというのに、士郎は簡単に乗せられたりせず、慎重に確認を取ってくる。
少々、苛立ちを覚えたことは確かだ。
「ああ」
だから、愛想もクソもなく、諾、と答え、そのまま、呆けた唇にそっと口づけた。
自分からしておきながら、アーチャーは己の行動に疑問を感じる。
魔力の補給以外の目的でこんな接触をする気など、当たり前だがアーチャーにはなかった。すでに経口摂取という形の行為はしてしまっているが、それは人工呼吸となんら変わりがない。キスなどというものとは別物だ。
アーチャーは本気で思っていた。互いの口を接触してはいるが、どのみち士郎とは元を同じにする存在だ。自分で自分の口に触れて何が悪い、と。
そんな言い訳を並べ立てながら魔力の経口摂取を行い、その上で、恋人とのファーストキスなるものを士郎には残しておいてやった方がいいなどと、アーチャーは心配りをした気になっていた。
だが、アーチャーは凛に担がれるように士郎の気持ちを受け取り、配慮しようとしていたことさえ無碍にしている。
――――なぜ、私は……?
キスなどする意味も必要もないというのに、やってしまっていた。今さら取り消すこともできず、茹でダコのように真っ赤になった士郎の顔に少し驚き、しばし眺める。
表情も、真っ赤になるのも、一心に見つめる琥珀色の瞳も、すべてがアーチャーに向けられた好意をありありと浮かび上がらせ、思わずこちらがたじろぐほどに真っ直ぐな想いだけが見て取れる。
――――まあ、いいか。
士郎は己を好いており、士郎が恋人だという認識でいるのなら、これからは遠慮することなく、キスとともに魔力を摂取すれば一石二鳥になる。
そう勝手な解釈をして再び口づけた士郎の唇は、熱く、柔らかく、そして微かに震えていた――――。
衛宮邸でのことを繰り返し思い出す。契約してから五か月近く、ともに過ごしたマスターである士郎は、未熟者でへっぽこだが、魔術師として一人前になろうという意志は強く、アーチャーは士郎の努力を認めざるを得なかった。
ただ、惜しいかな、その努力は、すぐには報われないものであり、時間がかかる。士郎は弱音こそ吐きはしなかったが、その心中は相当に焦れていただろうと察せられる。アーチャー自身も経験していることなので、やはりそのあたりの懊悩は手に取るようにわかっていた。
――――手に取るように……。
そう、アーチャーには、士郎の感情も考え方も、何もかもが手に取るようにわかった。元を同じにする存在だからというのが最大の理由だろうが、士郎は何かにつけて顔や態度に出やすく、わかりやすい。それは、若さ由縁の賜物でもあるため否定するつもりはないのだが、どう考えても、尋常ではないくらいに見透かしやすかったのだ。
アーチャーがそういう能力に長けていたわけではない。どちらかというと、鈍い方に含まれるだろう。だが、アーチャーには透けて見えるように士郎が考えていることも、思っていることも、はっきりとわかった。まるで、突然、そのような能力に目覚めたかのように、士郎と契約をしてからというもの、士郎のことは、もしかすると本人よりもアーチャーが一番よく知っているかもしれない、というような状態だった。
直接供給の成功も、そのあたりのことが関係していると思われる。直接供給というものは、存外、互いの協力がなければ成立しないものだ。それが一度目から、しかも同性でとなると、かろうじてだとしても成功という結果をもたらしたことは奇跡に近い。
それもこれも、アーチャーが、まさしく手に取るように士郎の内面を透かし見ていたからに他ならないのだが……、その、ある意味便利な能力は失われてしまった。
今現在、アーチャーのその能力だか直感だかは、全く働かなくなっていた。そうして、このような事態を招いているのだ。
直接供給をしたのは、つい三日ほど前。
触れた肌の熱さ、その弾力、少し汗ばんでいたのは、おそらく緊張と恥ずかしさから。その程度のことしかアーチャーには汲み取れず、三日後にこんなことになるなど、思いもよらない。
――――わからない……。
士郎の態度が突然変わったようなことはなかった。今朝までは、いつものように過ごしていた。変わったことと言えば、少し前から手に取るようにわかっていた士郎の内面的なものが全く感じられなくなったことだけ。
直近の供給にしても、いつもと変わらず、士郎は適度な緊張をし、たどたどしくアーチャーを受け入れていた。毎週一度は必ず行うのだから、少しくらい慣れればいいと思うのだが、士郎は初回から、いつまで経ってもそういう状態を抜け出せずにいた。それをアーチャーはからかい、士郎が拗ねる、というのが常だったように思う。
今夜のように月明かりが煌々としている夜は一層肌を赤くし、電気を点けなくても見えているのだろう、とアーチャーの目を手で覆ってきたこともあった。
「…………」
月の光がもたらす影だけが、この部屋で唯一、動きのあるものだ。カーテンを開けたままの窓から射し込み、室内を青く染めて、窓のサッシの影がじわじわと移動している。
作品名:サヨナラのウラガワ 2 作家名:さやけ