サヨナラのウラガワ 2
家具付きマンションだろうこの部屋には、小さなチェストとベッドが置かれているだけで、飾り気のない室内を殺風景だ、などと評する気すら起きない。
「恋人では……ない…………」
ベッドに横になったまま、アーチャーは青い光をぼんやり眺める。南側の窓からは、太陽と月の動きがよくわかる。赤く染まる空が藍に落ち、満月の明るい夜がもう半ばを過ぎたようだ。
「恋人では……」
――――ならば、我々はなんなのか?
疑問を浮かべるものの、確かな答えが見つからない。
――――恋人ではなくなり、それでも魔力を受け取るだけの従者だろうか?
「私は…………」
青い光が眩しくて、窓に背を向けて寝返った。
瞼を下ろせば、ここ数か月の日々がよみがえる。
「衛宮士郎が望むなら……」
こぼれた声は低く、皆目、音にはならなかった。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
呆然と見送ったのは、まだ、大人になりきらない背中だった。
私の過去ともいえる、衛宮士郎……。
振り返ることもなかった。
言いたいことを、まるで連絡事項のように告げて、その背は扉の向こうに消えてしまった。
私は棄てられたようだ。
主から、不要のものと確定されたらしい……。
私は何か間違いを犯したのだろうか。
覚えがない。
ということは、私が気づかないうちにした行為が原因なのか?
しかし、記憶を失うようなことはなかったし、確かに小言や厭味は言ったが、そんなもの今にはじまったことではない。最初から衛宮士郎には厳しく接していた。何しろ殺すつもりだったのだからな。したがって、間違いに思い当たらない、ではなく、思い当たる節だらけだ……。
まあ、聖杯戦争中のことは互いに納得のいく結果を得たので無視していいだろう。では、奴と契約を交わしてからということになるのだろうか。
だとすれば、どこから間違っていたのだろう。
恋人なのか、と訊いた衛宮士郎に頷いたというのに、それはなしだ、と衛宮士郎は言う。
やはり、恋人というものとは違うと答えるべきだったのだろうか?
だが、私に好意を寄せ、理由はともかくとして、日に数回キスをし、週に一度はセックスをする。その関係性を他に表す言葉は思いつかなかった。存外、語彙力があるじゃないかと、胸の内で少し衛宮士郎を褒めたというのに、あれはなしだと言われてしまって、私はどうすればいいのか。
もしや、そのキスやセックスが足りなかった、ということか?
しかし、キスはまだしも、セックスの方は衛宮士郎の負担が大きいこともあり、供給のときだけにした方がいいと配慮したつもりだったのだが……。
魔力供給のことだけを考えれば、世の恋人たちのように三日と空けず抱き合う(恋人たちがどのくらいの頻度でセックスをするのかは知らないが)というようなことができればいいが、現実的に考えて、それは無理な話だ。
衛宮士郎は直接供給のあとはぐったりしていて動けない。翌日もどことなくぼんやりしている。魔力を私に吸い取られていることもあるだろうが、やはり、あんなものを受け入れる行為は疲れを残すのだろう。したがって、週一回というスパンは変えずにいるつもりだった。
それが原因だったというのだろうか?
だが、いずれ、衛宮士郎の目が覚めたとき、男としての機能を忘れてしまってはまずいだろう。アレはまだ若い、というよりもまだ子供だ。特殊なセックスが癖になりでもすれば、女性と添い遂げることになったときに苦労するのは目に見えている。
だから、セックスは必要最低限でいい。それ以上は、望むわけにはいかない。たとえ、恋人というものになったとしても。
いや、そう都合のいいように考えるのは危険か。これでは、衛宮士郎が心底、私との関係に本気だったと取れる。
そうではない。
凛の言った通り、気の迷いだった。
そういうことなのだ。
恋人などと……、はしかのようなものだ。衛宮士郎は理想を目の前にして、浮足立っていただけだ。
「…………」
そう思い至って、私は、なぜこれほどに衝撃を受けているのだろうか。
私は衛宮士郎の戯言に付き合っていたというだけだ。それ以上でも以下でもない。ましてや、私が衛宮士郎になんらかの特別な感情を抱くなど、ありえない。
亡き者にしようとしたのだぞ?
それも、身勝手な理由で、半ば八つ当たりのように。
だが……。
この虚無感はなんなのだ。
恋人ではない、と衛宮士郎に言われたからどうだというのか。
元に戻っただけだ。ただのサーヴァントに戻っただけだ。
だというのに……。
身動きすら億劫になるほど虚脱感でいっぱいだ。
物理的に距離があって、僅かな魔力も感じられないからなのか、それとも、気配すら辿れない不確かさが不安なのか。
どうしてだ。
なぜ、こんなにも私は衛宮士郎を気に留めているのだろう。
魔力が足りないからなのか、ただ近くにその存在を感じられないことが、どうにも焦燥を煽る。
それはそうと、いつまでこうしていればいいのだろうか。
衛宮士郎は自由にしていいと言っていたが……、自由とは、なんだ?
私に自由などありはしない。私は守護者という運命に縛られている。自由に過ごすなど、そんなもの、今さらどうすればいいかわからない。
ただ、衛宮邸では、家事に勤しみ、皆の食事を作り、それなりに好きなことをしていた。
これ以上に、その他に、自由というのはいったい……?
「士郎…………」
初めて、下の名を口にしてみる。
何やらおかしな気分だ。かつて己もそう呼ばれていたはずだというのに、他人の名のようだ。
もしや、私は、衛宮士郎を別物と捉えているのか?
散々、我々がセックスをするのは自慰の変則だとか士郎に言い放っていたクセに?
衛宮士郎は、私とは別の存在……なのか?
元は同じなのかもしれないが、前の聖杯戦争を境に分岐したと考えられるのかもしれない。私は理想を掲げはしたが、その理想を手に入れようとはしなかった。
衛宮士郎が私を引き留めたということは、理想を手に入れようとした、そういうことなのではないのだろうか。
いや、まあ、それは本人に訊かねばわかることではないか……。
「なぜ、私を……?」
衛宮士郎が、なぜ私を引き留めたのか、はっきりとした答えを聞いてはいない。衛宮士郎自身、答えがわからないような感じだったと思うが……。
その答えが出るまでは問い質せないまま、私に対する好意がありありと見て取れるようになり、恋人になり、そして今は、恋人ではなくなった。
好き合って恋人になったわけではない。いずれ正気になる、と凛も言っていた。
したがって、恋人でなくなったことを残念に思うこともないというのに、私は、何を落ち込んでいるのだろう?
いや、落ち込んでなどいない。わけがわからなくて、ただ混乱して…………、いや、違う。
私は恋人でいたかったのだ、衛宮士郎の。
だから、こんな虚無感に襲われている。
だが、私は衛宮士郎のように感情が先立ったわけではない。では、私は衛宮士郎をどう思ったのか……。
好きや嫌い、そんな陳腐なことだったか?
作品名:サヨナラのウラガワ 2 作家名:さやけ